日本語からアメリカ映画『めぐり逢えたら』へ


1. KSENの仲間加藤わこさんからご教示を頂き、新しい写真のアップロードが出来ました。若い友人のITアドバイザーの存在は本当に貴重で、感謝します。

ということで前回載せようと思った猫の墓の写真と、北原白秋の詩に因んで落葉松の写真が入ります。

2.さわやかNさん有難うございます。示唆に富んだコメントですね。

(1) 西欧語がラジオ型に対して日本語はテレビ型という指摘(鈴木孝夫)はあるものの、日本語も音韻の効果が大きい、とはご指摘の通りと思います。
三好達治の『詩を読む人のために』という愛読書がありますが、ここで著者は最初に島崎藤村の「千曲川旅情の歌」を取り上げて、この詩が古典的名作である理由の1つに優れた音の響きをあげています。

例えば有名な冒頭の2行
「小諸なる古城のほとり / 雲白く遊子悲しむ」
の調べの美しさには音の選び方が大きく働いている。
・・・母音Oが第1行に8個もあり、その多さが心地よい響きを伝える。
そして第2行は前半なおO音が2度くりかえされ、「前の行からの余韻を持ち越したような効果をそこに担いながら、そこから今度はU母音の繰り返しがはじまる」・・・・・


(2)「日本語って何?」というのも面白い疑問です。
水村さんが、「日本人を日本人たらしめるのは、日本の国家でもなく、日本人の血でもなく、日本語なのである。それも長い<書き言葉>の伝統をもった日本語なのである・・・」(P.290)と書くとき、ツイッターフェイスブックに飛び交う言葉は想定していないでしょうね。

だからこそ、言うまでもなく、源氏物語三島由紀夫を愛するドナルド・キーンさんは私よりはるかに日本人だと思います。

(3)明治時代日本で教えたベイツの言葉だという、
「ヨーロッパの学問世界は機械ではなくひとつの有機体であり・・・花を咲かせるためには一定の気候、一定の風土を必要とするのだ」。

この「学問世界」を「言葉」と言い換えても、全く同じですね。
イノベーション」「マーケティング」とカタカナで書くとき、私たちはこの言葉を生んだ「気候」や「風土」まで考えているだろうか。
「ソサイエティ」を日本の気候や風土に合わせようと「社会」と訳した先人の努力を、私たちは怠っているのではないか。
(因みに、福澤諭吉は「社会」ではなく「人間(じんかん)交際」という漢語を当てましたが、こちらは普及しませんでした)


3.以下詰まらぬ話ですが、それで思い出すのが、最近のアメリカ映画の題名がほとんどカタカナになってしまいました。「メン・イン・ブラック」だの「インデペンデンス・デイ」等々。


たまたま数日前に、珍しく自宅のテレビで古い映画を観ました。
1993年の『めぐり逢えたら』という他愛もない「romantic comedy」でトム・ハンクスメグ・ライアン主演です。
アマゾンでDVDの評価を見ると、日本でも本国アメリカでも「4.5」の星ですから、他愛もないといっても、そこそこ良く出来た、評判のいい映画でしょう。

物語は?・・・最愛の妻を失って以来、新天地を求めてシカゴからシアトルに移り住んだあとも、夜も眠れないほどの哀しみに沈む建築士のサム。
父を気づかう9歳の息子はラジオの人生相談に電話し、「パパに新しい奥さんを」とリクエスト。
息子に続いてしぶしぶ電話口に出たサムの率直な「ものがたり」がアメリカ中の涙を誘う。遠く離れたボルチモアで偶然放送を聴いた新聞記者のアニーもその1人。
結婚を間近に控えたアニーだが、見ず知らずのサムに魅かれていく・・・。


アニーは取材を理由に情報を入手して、サムに手紙を書く。
「バレンタイン・デイにたまたま仕事でニューヨークに行く。エンパイア・ステート・ビルの展望台で会えないか?」
果たして、サムはやってくるだろうか?

4.なぜ古いアメリカ映画の話題を持ちだすか?というと、
原題は「Sleepless in Seattle (シアトルで眠れない日々)」、
これも一応Sを重ねて洒落ていますが、邦訳の題もなかなかいいなと思ったからです。

(1) まず主演女優がメグ・ライアンで、意図したかどうか分からないが、「めぐり逢えたら」は一応韻を踏んでいる。
(2) それ以上に、よく考えた題だなと思うのは、もっと古い映画『めぐり逢い』のいわば本歌取りだということです。


1957年の『めぐり遭い』の原題は「An affair to remember」でこちらの題は平凡ですが、映画は典型的なアメリカのロマンティック・コメディで、ケイリー・グラント、デボラ・カー主演。
エンパイア・ステート・ビルの102階の展望台で半年後に再会しようと豪華客船の上で約束する2人(2人とも婚約中だが船の中で生まれて初めて真剣な恋に落ちる。お互いに身辺整理をするのに半年はかかる)。その姿が大評判になりました。
果たしてデボラ・カーはケイリー・グラントに半年後会えたのか?
今ならさしずめ東京スカイツリーでしょうか。
当時このビルは世界一高いビルでした。
「天国にいちばん近い場所で会うのね」というデボラ・カーのせりふが印象的でした。


『めぐり逢えたら』の方はメグ・ライアンや友人がこの映画を大好きで、「いかにも女が好きそうな映画だ」とからかわれながら熱心に見る場面が何度も出てくる。
エンパイア・ステード・ビルで会えないか?という発想はここから出てくるので、いわばもとの映画のパロディになっています。


詳しく紹介するのは何れまたにして、
最後に「どんな他愛もない映画でも1か所ぐらい、私が面白いと思う場面がある」という話をします。



5.約束したバレンタイン・デイの当日、メグ・ライアンは大事な用事で動けず、夜遅くなってエンパイア・ステート・ビルに駆けつける。
ビルの1階の受付のおじさんは
「残念。ちょうど入場時間を終えたところで展望台に行くエレベータはもう出ない」
「お願い。1分だけでいいから」と彼女は懇願する「ここで会う約束をした人がいるのよ」
「その男、ケイリー・グラントかい?」と受付のおじさん「うちの女房が大好きな映画だよ」
にやっと笑って、入口を開けてやるおじさん。彼女は走ってエレベータに乗りこみ、上がって行く・・・

この場面に触れた評はないかもしれませんが、
私は、いかにもアメリカ映画らしい場面だな、と思いました。
所詮映画だろうと言う人もいるでしょうが、
異国に暮らして、似たような、規則一点張りでない、ちょっと融通をきかせてくれる、という経験を実際にした人は多いのではないでしょうか。
こういう、ある種のいい加減さ、というか、寛容な対応、というか。
日本でもっとあってもいいのではないかとかねて考える者ですが、そんなことをしたら規則の意味がない、切りが無い、危険だ、仕事が予定通り進まない等々、反対論も多そうですね。


例えば、東京スカイツリーで、同じような懇願をする女性が現れたとしたら・・・・
と考えました。