倫敦かロンドンか?と新しい「かな漢字まじり文」

1. 十字峡さん、柳居子さん、1週間ぶりの更新で、お礼が遅くなりました。
フェイスブックの「いいね」の皆様とコメントも有難うございます。
フェイスブックの沢崎さんのコメント「大阪中ノ島図書館の事件」というのは、私は浮世の出来事はあまりフォローしていないので知りません。
ご指摘のように、図書館の利用方法はいろいろでしょうね。


十字峡さんの「ロンドンが倫敦でニューヨークが紐育でないのは?」
とありましたが、意識せずに気分で書いているブログですので全く意味も訳もありません。
前回は、「ボリス・ジョンソンロンドン市長」と書くとカタカナばかりになるので何となく漢字にしたのだと思います。
「どうでもいいコメント」と書いておられますが、結構おもしろいご指摘と思いました。
私の場合、気分屋なので、まあ「好きか嫌いか」ぐらいで、特に理由はないのですが、倫敦かロンドンか、紐育かニューヨークか、珈琲かコーヒーか?
皆様どちらでしょうか?

柳居子さんが毎朝座っておられる(いつも思いますが、これってすごいことですね)京都堺町六角上るの「イノダ」はたしか「イノダコーヒ」で「コーヒー」でもなかったですね。
京都人は「コーヒー」でなく「コーヒ」、前者がフラットに発音するのに対して、後者は「コ」にアクセントがある、ように思いますが違いますでしょうか。


他方で、軽井沢に本店がある丸山珈琲]
http://www.maruyamacoffee.com/
は「珈琲」です。ここは小淵沢のリゾナーレという所に小さな支店があって、家人が最近気に入って、山に行く途中に寄って、買って帰ります。

と、ここまで当方こそ「どうでもいいコメント」を書きながら、ふと気がついたのですが、あくまでこじつけですが、
私の場合、時々、「珈琲」「倫敦」と書きたくなるのは、最近とみにカタカナ日本語が多くなって、マーケティングイノベーションに始まり、IT関係の言葉のウェブだの、ソーシャル何とやらだの、文章の中にカタカナが氾濫するので、少し漢語を入れて、バランスを取りたいという気分になるのかもしれません。
これからは、明治の先人が漢文に代えて、苦労して作り上げてきた「漢字かな交じり文」の代わりに、新しい「かな(カタカナ&ひらがな)漢字交じり文」を作り上げていく時代かもしれません。


2.ニューヨークか紐育か?で言えば、先週、柳居子さんから、「紐育のドライ・マティーニ」という文庫本のエッセイ集を送って頂きました。まことに有難うございます。

題名が洒落ていますね。
まだ読んでおりませんが、まさに「紐育」であり、「ドライ・マティーニ」であるところに、日本人が異国で洋酒を飲んでいる気分が出ていて、楽しそうです。
確かに、漱石にとっては「倫敦塔」だったのでしょうね。


その柳居子さんの、「某東京都知事」や「某造型大学」について、なぜ「某」をつけるのか?というご指摘ですが、たしかにごもっとも、「某」をつけるのはおかしですよね。
これも特に理由はないのですが、あえてこじつけて言えば、あまり好きではない名前を出す気分になれない、というようなことでしょうか。


3.まあ、気分屋であり、所詮、好き嫌いの話だと思います。


好き嫌いといえば、昨日たまたま友人に誘われて、法政大学での「思想史の会」というのに参加しました。
坂野潤治東大名誉教授が今年3月に出した『日本近代史』出版以後に考えたことについて話をされ、質疑応答がありました。

ちくま新書で、新書にしては1100円もする大作ですが、なかなか面白い本です。
概説書ですが通説から離れた、ややユニークな論点に魅力があります。


「お蔭様で売れ行き好調です」
という切り出しで、、明治維新の「危機と崩壊と革命」、太平洋戦争敗戦による「危機と崩壊と革命」、そしていまの日本は、「危機」から「崩壊」の過程にあるのではないか、歴史に学ぶ必要があるのではないかという問題意識を含めて、いろいろ話をされました。


中でいちばん面白かったのは、坂野さんの
「歴史は全部、好き嫌いです」という一言でした。


もちろん、坂野氏の場合は一級の学者ですから、資料を十二分に読み込んだ上での「好き嫌い」ですから我々素人の「気分」や「感性」の話とはまるで違いますが、それでも「日本近代史」を読んでいても著者の好き・嫌いが文章の背後に読み取れて面白いです。

(1) 例えば、西郷隆盛が好きで、大久保利通が嫌い

この点は、連れていってくれた友人が、逆なので、その議論を聞くのも興味ありました。
西郷についての面白いコメントは以下のようなものです。


・西郷が居なかったら、明治維新は成らなかったと思う。いちばんの功労者である。
しかし島津久光のせいで、青年期に5年間、島流しにあった。この空白期間は実に大きく、時代や世界の状況を学ぶのに遅れを取った。従って西郷は大好きだが、明治維新後は残念ながらその思考と行動はさほど評価しない。

西南戦争は、西郷側にも勝つ成算が無いわけではなかった。
兵力は、政府軍4万6千、西郷軍3万、と劣勢だったが、川村、樺山など西郷に恩義を受け崇拝している人たちの政府側からの寝返りを期待していた。しかし彼らは政府軍を裏切らなかった。西郷は自分が余りに恩義に厚い人物であるだけに、他人もそうだと見たのは彼が甘かったといわざるを得ない。
何れにせよ、江藤淳あたりに代表される、西郷を「滅びの美学」の象徴と見るような見方は自分はまったく賛同しない。

(2) 平民宰相と呼ばれた原敬は評価しない。評価する政治家は昭和で言えば、高橋是清幣原喜重郎ぐらい。
好き・嫌いで言えば、思想家・学者では、
好きなのは、吉野作造、河合栄次郎。
天皇機関説」の美濃部達吉が嫌い。新渡戸稲造は大嫌い。矢内原忠雄も嫌い。丸山真男さんもビミュー。
この辺は、私は不勉強で、よく分かりません。

二次会の酒の席で、
福沢諭吉はどうですか?」と訊いたら
「尊敬しているが、好きではない」というお答えでした。
なるほど。
チャーチルは?」「大好きです」
なるほど。