西郷隆盛と福沢諭吉の『丁丑公論』

1. お礼が遅くなって恐縮ですが、柳居子さん、keijiさん、貴重なコメント有難うございます。

Keijiさんは、カミュ『異邦人』について書いた昨年12月のブログに7カ月ぶりにコメントを頂き、まことに光栄です。
どうしてこんな昔のブログが分かったのでしょう。不思議ですね。
残念ながら私はアレキサンドリアも地中海の鮮烈な陽光も知りません。
しかし『異邦人』を読んでいると、行かなくても十分想像力を刺激されますね。


2. 柳居子さんのコメントも興味深く拝読しました。西郷派のお一人のご様子ですね。
歴史の「もしも〜」のご指摘については私も全く同意見で、「もしも〜」と考えることは意味が大きいと考えるものです。
その点も触れたいですが、

今回のブログは西郷に絞って、福沢諭吉が西郷を擁護した『丁丑(ていちゅう)公論』の紹介です。因みに「丁丑」は明治10年の「えと」のこと。

西郷については実に多くの人が自分の西郷論を表しています。
ご存知司馬遼太郎にも、文庫で全10巻の「翔ぶがごとく」がある。

司馬遼太郎は「官」への深い失望感から発して、「官」の始源を探りつつ明治国家が喪失したものは何であるかを知るために、この長編小説を書いたのである」(解説)

司馬遼自身はこう書きます。

「官とは、明治の用語で、太政官のことである」
「「日本の政府は結局太政官ですね。本質は太政官からすこしも変わっていません」・・・・機構の思想も、官僚としての意識も、当然ながら(戦後も)残った。太政官から少しも変わっていません、というのは、おどろくに値しないほど平凡な事実なのである」(司馬遼太郎「書きおえて」)


3.いちばん有名なのは、内村鑑三の『代表的日本人』で、1908年英文で書かれたもの。
彼は日本を代表する5人の人物として、西郷を真っ先にして、あと、
上杉鷹山米沢藩主)二宮尊徳中江藤樹日蓮上人。


西郷を『わが国の歴史で、もっとも偉大な人物・・・最後のサムライ」と呼ぶ内村の文章は、「おそらく汗牛充棟もただならぬ西郷論のうち、もっとも熱烈純粋な賛美をささげたもの」。


内村は反乱を率いた西郷をどう考えるか?「1868年の維新革命が、西郷の理想に反する結果を生じた・・・・もしかして反乱が成功するなら、その一生の大きな夢が実現することもあるのではないか。疑念を抱きながらもわずかの希望を託して、西郷は反乱者と行動をともにしました」

3. そういった中での福沢の著作ですが、いま学んでいる世田谷市民大学のゼミ「福沢諭吉を読む」で本書を取り上げ、私がゼミでの発表の担当になりました。

『丁丑(ていちゅう)公論』とは?

まず、公表された経緯が注目される。
明治10年西南戦争の鎮定後、福沢は直ちに本書を書いたが、内容に激しい明治政府批判があるため、人に見せなかった。
24年後、彼の死去の数日前に、時事新報の主筆をしていた石河幹明が彼の了解をとって新報紙上に発表した、とある。


4. 何が書いてあるか?
福沢はまず、これを書く意図は、国民に「抵抗の精神が必要である」ことを知らせるためといい、以下のように続ける。


(1)「近来、日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて、抵抗の精神は次第に衰退するがごとし」
だから「憂国の士はこれを救うの術を求めざるべからず」


(2)抵抗の法は一様ではない。言葉でも武力でも、経済力でも、可能である。
西郷隆盛のやり方は自分の意見とは異なるが、抵抗の精神においては変わらない。


(3)「かかる無気無力なる世の中においては、士民ともに政府の勢力に屏息(へいそく)して事の実をいわず・・・」→自分は一国の公平を保護せんがため「公論」をものする。


(4)しかし、「方今、出版の条例ありて少しく人のさまたげをなす」
したがって、いまは公にせずに「時節を待ち、後世子孫をして今日の実状を知らしめ、もって日本国民抵抗の精神を保存して、その気脈を絶つことなからしめんと欲する・・」。

5. 各論については詳細省略しますが、要約すると論旨は以下の3点です。


(1) かっての維新の英雄かつ忠臣と讃えられた西郷が西南戦争を起こし、時の政権に立ち向った行動を、新聞も知識人も、一斉に「逆賊」として非難するが、これはまことにおかしい、と個別に理由をあげて反論する。

(2) 同時に、西郷が武力で抵抗した、そのやり方には問題あった。

(3)しかし非難されるべきはあくまで政府である
福沢は、その例を幾つもあげるが、例えば、


・「薩摩の士族が維新後も「質朴率直」の精神を守っているのに対して、政府の官員は維新の精神から逸脱し、「金衣玉食、奢侈をきわむる者あり・・・」


・私学党のの暴発を抑えられなくなったのは、むしろ不平不満の士族に自由に意見を言わせるような施策を一向にとらなかった政府に責任がある。
その結果、西郷を追い詰めて「死地におとしいれたるものは政府なり」。


・さらに一層問題なのは、明治維新の際に例えば榎本武揚を許したように、本来「国事の犯罪は、その事を憎んでその人をにくむべきではない。ところが昨今の政府は、江藤新平しかり、前原一誠しかり、苛酷に処刑してしまっている。


・その結果、西郷の場合も、政府は「死地におとしいれたるもののみにあらず。・・これを殺したる者というべし」。
「西郷は天下の人物なり。・・・他日この人物を用いるの時あるべきなり。これまた惜しむべし」。


5. このあとゼミは、
「これが明治10年1878年)の福沢の文章とは驚く」
「総論の福沢の現状認識は、まるでいまの政治・社会の状況を書いているみたいだ」
「彼が後世に伝えたいと願った、日本国民抵抗の精神は、いまどうなっているだろうか?」
といった感想や疑問で、いろいろと活発でした。