国民の生活が第一?

1. 前回のブログで柳居子さんの「激怒された畏きお方」のコメントが面白かった、と書きました。
この点で友人(匿名)からメールが来ましたので、さわりを以下ご紹介します。


・・・・元総理の岸信介、元大本営参謀の瀬島某などが戦後公職に就くことに、「畏きあたり」は快く思っていなかったという証言は、いくつもあります。(石橋湛山が首相として組閣名簿を提出した時、昭和天皇は「外相・岸信介」の欄を指して、「これはこ
れで良いのか?」「本当に良いのか?」と二度にわたって念を押され、石橋湛山は汗
をかいて退出したと言われます。
・・・・


2.もちろん今は政治介入はあり得ない訳で、それだけに余計、
「畏きお方」は、「国民の生活が第一」といちばん強く考えておられるのではないか、という気がします。東北大震災の時の行動や発言に良く表われているのではないでしょうか。

もちろんそれは、栗林中将が祈念した「皇国の安泰」と同じような感情でしょうし、政治とは全く関係ありません。


2.他方で,「国民の生活が第一」という党名を決めた政治家がいます。

普通の人は「当然のメッセージだ」と思うかもしれませんが、私は天の邪鬼なので、
(1)国民とは?
(2)国民の生活とは?
(3)政治と政党とは?
と考えてしまいます。(別に個人的にこの人に好き嫌いがあるわけではありません)


3.まず国民とは誰なのか?
右肩上がり・一億総中流の時代が終わった今、男女、世代、地域、職業、何といっても所得と生活状況で、分断し、多様化し、利害・意見が対立しているのではないか。


それが証拠に、最近、消費税増税でもTTPでも原発でも、アンケート調査を見ていても、賛成と反対が拮抗している。この国はいろんなイシューで二分された状況が増えている。
みんなのフローがそれなりに右肩上がりに上がる時代でなくなった今、ストックの差が格差として固定する社会になった。
「みんながそれなりに分け前にあずかれた社会」から「トータルとして増えない富と増える支出の中で、どうやって富を分配していくか」の時代になった。


4.そういう国民の、「生活」とは何なのか?これまた一様ではない。
原発を例にあげれば、反対派は「いまの生活が第一」というより、「いまの生活を犠牲にしても守るものがある」という意識でしょう。
ベンツやレクサスに乗る富裕層と、子供を大学にやれない母子家庭とでは「第一」と考える「生活」の中身と政治への期待は異なるでしょう。


5.小沢さんは練達の政治家ですから、とうぜん、政治と政党の本質がよく分っているだろうと思います。

マックス・ウェーバーは、政治とは「権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力である」と定義します。(『職業としての政治』)
そして、政党とは「選挙によって統治権力を獲得し、その権力を特定の政治綱領を遂行するために用いる目的で結成された組織体」である(アンソニー・ギデンズ社会学』)


つまり、「権力の配分関係に影響を及ぼす」ためには国民の一部の生活を犠牲にしなければならない場合が出てくるでしょう。



「“国民の生活が第一“を、時に犠牲にしてもらうことがある。理解してほしい。それが政治というものだ・・・」と言うことぐらい、小沢さんなら十分分かっている筈です。


そして、そのためにこそ職業政治家が必要であり、彼らは、場合によって一部の「国民の生活」を我慢してもらってでも、自らの目的と理想の達成のために政党を作る。



だから、「国民の生活が第一」とは、どの「国民」のことを言っているのか?
「政党」である以上、それを明確にすべきではないか。
誰の「生活」のために政治活動を行っているのか。
例えば、アメリカの「共和党」「民主党」も、英国の「保守党」「労働党」もその点がはっきりしている。


だからこそ支持者もはっきりしている。
英国のような階層社会では、大工さんは「自分は労働者階級の人間だ」とはっきり発言するし、それに大いなる誇りを持っている。中産階級の弁護士だって不幸な奴らもたくさん居るさ・・・と信じているし、事実そうだろう。
仲間と近くのパブで過ごす時間が何より、幸福で満足。趣味で仲間とバイオリンを弾くのが楽しみという人もいる。
しかし、リッツホテルのアフタヌーンティーなんて生涯行こうとも思わないし、ベンツを買おうとも決して思わない。

そして、選挙では断じて労働党に入れる。今回は負けたけど、次があるさ・・・と思っている。

5.つまり、国民は、階層化されているし、分断されているし、利害は異なっている。
だからこそ「自分の政党」に期待するのだ。


日本の場合はたしかに、皆が貧しく、皆が明日に向かって努力し、それなりに成果も上がった、そういう時代がありました。

そういう時代がまた来ると、皆が思っているのだろうか?
写真は、東京オリンピックの時の貴重な写真だそうで、友人が仲間内のメールで送ってきたのを勝手に紹介します。


現在、招致活動に熱心な人は、こういう「懐かしい時代」がまたやってくる、
と期待しているのでしょうか?


6.最後に、新聞やNHKがやるアンケート調査について。
あまりに不十分で、詳細が判らず、私は全く興味ありません。

つまり、以上のように「国民」という抽象に意味がなくなった以上、世代によって男女によって所得によって、それぞれの意見がどう異なるかが分からずに、ただ「消費税増税反対が〜%いた」なんて聞いても意味がありません。

同時にアンケートは「クロス・リファレンス」に意味があるので、「Aの質問の賛成者はBの質問にはどう答えているか?」の「クロス」が大事と思います。
こういう「中身」を公表しない調査には意味がありません。