コメントに感謝とオリンピック雑感

1. 加藤さん、柳居子さん、mikkoさん、コメント有難うございます。
・ 鹿の被害だけでなく、私たちは、自然の脅威・災害や、自由に暮らしている動物たちとどう折り合って生きていくのか?
難しい問題ですね。
「神」「天」の視点からは、自然も動物も人間も全て同じではないでしょうか。


・「繁栄度指数は所詮、目安であり、繁栄している人間からの視点ではないか」もご指摘の通りでしょうね。
何をもって「豊か」と考えるか?

加藤さんご指摘のカナダについては、前回も書いたように私もよく知らない国なので、うまくフォローが出来ません。
ただ、「大国」の繁栄・豊かさは、たしかに日本にとって参考にならないかもしれない。
そうはいっても日本の場合、ニュージーランド(NZ)のような小国の「豊かさ」を真似することも出来ないだろう。
難しい問題ですね。


NZについて、ロンドンでの開催に合わせてでしょうが、メキシコ・オリンピックの銀メダリスト(マラソン)の君原健二さんが今月の日経の「私の履歴書」を連載していますが、かって2カ月間、合宿で過ごしたNZについて、「豊かな国NZに心酔」と題して、「人々がゆったりと生活しているのがうらやましかった」と書きます。
(もちろん、「日本には日本の良さがあるのだ」と補足することも忘れませんが)

2. その、ロンドン・オリンピックも無事に終了しました。
ロンドンに住む娘も観に行ったようですが、「あのクールなイギリス人が、あれほど熱狂するとは思わなかった。北京の半分弱の予算で、よくやったのではないか」というコメントでした。


オリンピックという、英雄たちの「巨大な物語」が幕を閉じて、私たち庶民は再び、日常に戻り、自らの「職分」、自らの「ささやかな物語」を紡ぐことを再開しなければならないでしょう。


新聞は、テレビとソーシャルメディアとの連動を大きく取上げ、ツイッターの投稿件数が開催以前に比べて、午前1時〜4時に3割も増えたそうです。

若者が多かったのでしょうが、翌日の仕事や車の運転に支障がなかったのだろうか、ちょっと気になるところです。
彼ら・彼女らが、この経験を、これだけの一過性の観戦で終わらせずに、自らの「日常生活」を生きていくことにどうやってつなげていくのか、興味がありますね。


3. 私はもちろん年寄りですから、夜中や未明に起きてテレビにかじりつくことなど、とても出来ませんでしたが、少しは観戦し、今回は以下に、スポーツ音痴である私の、本筋とは関係ない、些細な感想を記録いたします。


まずは、サッカー女子(なでしこ)の試合を観ていて、日本では「佐々木監督」と「宮間主将」が、画面の紹介では
それぞれ前者は「コーチ(coach)」,後者は「キャプテン(captain)」と表示されたのに面白く思いました。


日本では「コーチ」というのは監督の下に居る存在ではないか。
日本のサッカーの「監督」は欧州では「コーチ」と呼ばれる。
そういえば、アメリカの野球チームでも、日本での「監督」は「マネージャー」と呼ばれる。
日本で「マネージャー」といえば『もし高校野球部の女子マネージャーがドラッカーの「マネイジメント」を読んだら』で登場する存在であろう。
日本以外のスポーツ・チームにも日本の「マネージャー」のような存在があるのか?
それはどう呼ばれるか?


何れにせよ、「監督」というのはちょっとえらそうな、タテ社会の人間関係を私は想像してしまいます。
そして、佐々木「監督」が、私には「監督」という呼び名らしくない存在に見えて、ここが実にいいなという気がしました。


4. その、サッカーですが、女子なでしこチームのロンドン入り飛行機が「エコノミー」で、他方、男子は「ビジネスクラス」だったというのが、
ブログhttp://mejirokadan.blog.so-net.ne.jp/2012-07-23

で知りました。
ブログは、これは男女差別ではないかという海外のメディアを紹介したものです。
「スポンサー支援の大きさが違うから仕方がないよ」という友人のコメントもありました。



5. メダルについて、素人のとんちんかんな感想かもしれませんが、
サッカーやバレーボールは,男女合わせて2つしか可能性がないのに、
個人競技であるレスリングや柔道は15も16もメダルが個人に与えられる。

ということは、団体競技個人競技を全て一律に合計して、「どこの国がメダルが幾つ・・・」という報道は、あまり意味がないのではないか?

まして、メダルを取った選手ばかり大きく取上げるメディアの姿勢は、それでよいのか?


6. そもそも、スポーツといっても、いろいろあるな、とあらためて感じた次第。
(1) 個人競技団体競技とは違う
(2) 勝ち負けがはっきりしているスポーツと、審査に大きく依存するスポーツとを同じ「オリンピック」で競う意味は?
(3) 個別には、例えばラグビーと野球は参加していない。サッカーはオリンピック、ラグビーは違うという判断はどこから来るか?
(4) 個別には、テニスについて、たまたまではあるが、つい1ヶ月前に同じウィンブルドンで全英をやったばかり。しかも、テニスだけではないが、出てくるのは全て「プロ」。



7. アマチュアリズムという精神は、いまや無くなってしまったのか?


8. 個人競技について言えばとくに、「より早く」を競いあう競技について、

「一体、人間はどこまで、この先進むのか?
100メートルを10秒切って走って、9秒を切ること、8秒を切ることが、この先、起こりうるのか?
「より速く」が、どこかで止まり、それ以上は先にいけないとすれば、その先、「走ること」にどういう意味があるのか?モチベーションは?


9. 最後に、柔道について、
日本をルーツとする「柔道」と「相撲」の2つの国際化の方向について、その方向が対照的に違うという友人のコメントを面白く聞きました。


友人は「柔道の行き方が“国際化するスポーツ”のあり方として優れている」という意見で、これも確かによく分かりますが、

個人的には、「相撲」のあり方もいいかなと思いました。
確かに「日本」にこだわり過ぎかもしれない、日本の伝統・風習・しきたりを守り、外国人力士といえども日本語で喋ることが要求される「相撲」と、


「日本の柔道のコンセプト ―−中学時代の体育の時間に、柔道は勝つことより、護身術であり、受身がいちばん大事と教わった ―−を捨ててでも、グローバル
なスポーツ、勝つことにこだわる格闘技としてのJUDOを広げていこうとする方針」
と、

どちらがよいか?
これも難しいです。