君原健二さんの「私の履歴書」


1.mikkoさん、前々回の私のブログへの2回目のコメントのあと、宇治市は大雨の被害でたいへんでしたね。
http://mikko-t-0513.blog.eonet.jp/default/2012/08/post-7c31.html
ブログの写真におどろきました。あの高い宇治川の堤防を越えて水が氾濫したのはショックです。

わこさんのコメントも含めてまだ考えていますが、日本は本当に、災害が多く、大きい。
自然災害のきわめて少ないイギリスがいかに恵まれているかと思います。

東京に2度目のオリンピックを誘致する動きがありますが、私がIOC委員なら
「開催中に、もし、大雨、台風、地震・・・が起きた時の対応策如何?」
と質問するでしょう。
「想定外です」と答える訳には行かないでしょう。


2.さわさきさん、氤岳居士さん、貴重なご指摘有り難うございます。
パラリンピックについての報道は、たしかに、興味深いですね。


「監督」は広辞苑によれば「目をくばって指図をしたり取り締まったりすること、また、その人・機関」とあり、英語で言えば「スーパーバイズ・スーパーバイザー」でしょう。
ラグビー日本代表が「監督」と呼ぶのをやめたのには共感を覚えます。
もっとも、野茂がかって言ったように、日本ではプロ野球選手といえども「子供扱いだから」、「監督」が必要、と主張する人が多いかもしれません。
「スポーツにはいろいろある」・・・・・ご指摘のように、
「金メダルの価値が大きいのと、それほどでもない競技」
「道具や装置を用いた競技と、そうではない競技」の区別も面白いです。
さらに
「まだアマチュアリズムが幾らかでも残っている競技と完全にプロ化しているもの」
という区別もあるかもしれない。



3.以下、前回に紹介した、君原健二さん(オリンピック・マラソンに3度出場)の「私の履歴書」について今回も取り上げます。
氏は1941年福岡県出身。私とほぼ同世代で、共感することが多い。


いろいろ面白いのですが、まず、子供のとき勉強が全く出来ず、運動も得意ではなく(「運動会の徒競争で1番もたぶん2番もなかった」)、「劣等感の塊だった」という話。
・・・小学校での先生の通信簿の評は「内気にして意志弱し」「人と親しまず、自制心に乏しく・・」「努力する気が少しもみられず、態度に明るさがない」等、「劣等感を上塗りするような言葉ばかりが残っている」。
高校に入っても、「1年1学期の成績はクラスで56人中56番」。


こういう人物が、もちろん素質があったのでしょうが、のちには、練習の虫となり、英雄になるのですから、スポーツというのも素晴らしいですね。


2.早く走るには「身軽が勝ち」で、少しでもロスを小さくする努力をする、と言うの
も面白い。時計を外し、靴下ははかず、近眼でも眼鏡は外す・・・


「とにかく、私は常にムダの排除に力を入れてきた。もともと、ケチで経済的な人間な
ので、そういう点にかけては優れている。・・・・(そういえば)マラソン選手におお
らかな人はあまりいない」


3.何といっても、古い世代の人間だなあ、時代も違うが、今のスポーツ選手とは意識
や姿勢が違うな、と感じるところが多々あって、これも面白いです。

(1) 成績も悪く、高校時代、陸上で2度全国大会に出たぐらいで、さほど注目される選手ではなかったが、運よく、選手の増強が必要な時期にあたり、八幡製鉄が採用してくれて、仕事をしながら陸上部に入った。
「会社に恩返し誓い練習。人一倍走り、その後残業」という題の連載5回目の文章。
「陸上部のおかげで就職できたのだ。その恩返しをしなければならない。先輩たちほどのレベルは無理でも、自分なりに強くならなくてはいけないという使命感を抱いた」

会社に恩返し。今、こんな風に感じることは少ないのではないか。
会社自体がそれほど甘くなくなったでしょうが、君原さんに比較するのもおこがましいが、私ごときでも、若くて、研修生としてアメリカに、仕事を全くせずに、いわば、遊びに、長く行かせてもらい、この恩は忘れていけない、とずっと思っていました。


(2) アマチュアリズムについて。
これも、言葉自体が死語になってしまったかもしれませんし、古き・良き時代といえばそれまでですが、
「いまでは実業団選手といっても、それほど社業をこなさず、ほとんどプロのようになっているが、私の時代のアマチュア選手はフルに働くのが当たり前だった」(5回)
「あの時代は、アマチュア精神がきっちり守られていた。実業団選手はフルに仕事をこなしたうえで、練習に向かった。合宿に行くなら、休みを取らなくてはならなかった」(16回)


(3) 最後になりますが、
良くも悪くも、あの時代に、反抗精神があったということ。
君原さんは、八幡製鉄の陸上部の「監督」とたびたび意見がぶつかった、言うことを聞かないこともあったとして、「監督」への思いについて以下のように書きます。


・・・「いま振り返ってみると、私の胸の底には親への反抗心に似た感情があったような気がする」

これも、しがないサラリーマンの私を含めて、あの当時の若者は、「監督」は知りませんが、上司や先輩や(場合によっては親にも)に対して、「負けるものか」という反抗心、対抗心、競争心があったような気がします。


今のオリンピック選手は、「両親や周りやチームメイトや恩師や「監督」に感謝し、彼らのおかげで今の自分がある・・・」という発言をよく耳にします。


良くも悪くも、平和な・豊かな、ハングリーでない時代になったせいかなあ、と
貧しい時代、夫々が「うっ屈」や不満を抱えつつ、親や教師に反抗し・反発しながら育った世代としては感じています。