秋の気配の蓼科と若者たち

1. 加藤わこさん、さわやかNさん、mikkoさん、柳さん、遅れましたが、コメント有り難うございます。

学生たちとの会話の報告をきっかけに、皆様の若者への思いと気付きを披露して頂き、まことに感謝しております。
今回は、そのお礼で終りそうですが、
その前に、疎開先の蓼科高原はすでに秋の気配。
コスモス、萩、そばの花が咲き、稲田は黄金色です。

2. わこさん、
若者に「何かやろうという気持ちで飛び出してほしい」と呼びかけたい気持ち、よく分かります。


しかし、彼らのせいもあるかもしれないが、他方で社会の前でためらっている彼らの姿も見えます。
ご指摘のように「より開かれた・よりチャレンジしやすい社会」に向けて、皆で話し合い・考えていくしかないのでしょうね。

3. その場合にmikkoさんが言われるように、「ロールモデル」の存在はたいへん貴重で、とくに女性はmikkoさんのような人の後ろ姿を見て、育つのだろうと思います。
引き続き、健闘を祈ります。


4. さわやかNさんの、情報過多の成熟社会では、なかなか夢や希望が持てない、というコメントも面白いですね。ご指摘のように、たしかに、いまでは「ネッシー」も「雪男」も、私たちの脳裏から消えてしまいましたね。


私たちは、もう一度、私たちそれぞれの「ネッシー」を想起し・作り上げる必要がありそうです。
そのためには、
(1)「本を読むこと」―――そして、ハリー・ポッターでも、長くつ下のピッピでも、ドリトル先生でも自分が好きで好きでたまらない存在を、自分の想像の世界にもういちど招待すること。
(2)「時に、日常から離れて、非日常の世界を知ること」
の2つが大事ではないか。


「若者よ、今こそ、書物を携えて、外に出よう!
自分の知らない・日常信じている価値観と異なる世界が、どこかに拡がっていることを知ろう!」


5. 柳さんのコメント、まことの正論と思い、そのためには教育のシステムと多様な生き方を評価する社会の存在が大事だろうと思います。

(1) 劣等感を植え付けてしまうような教育システム自体に大いに問題があるのではないか。
いつも言うように「人はみんな違いがある。だからこそ、教育の意味があるので、人と違うところを見つけること、何か1つでいいから、それも1番でも2番でもなくていいから、好きなもの、熱中出来るものを見つけること。それが教育だろうと思います。


(2) そのためには、大学教育以外の教育であってももちろん構わない。


たまたま、今回、蓼科に長期滞在することになって、本日、妻が当地で初めて、知人に紹介された美容院に行きました。

たぶん、私は美容院なるところに入るのは始めてでしたが、
当地に居ると、車で移動するしかない、街に出るときは、2人で一緒に車に乗って、その日はいろいろな用事をすませる。
パソコンの具合を照会するため電気店に寄ったり、銀行に寄ったり、電車やバスの切符の購入をしたりという用事の中に妻の美容院行きもあり、4〜50分のことなので涼しい待ち合い室に座ってサービスのコーヒーを貰いながら、持ってきた本を読んで時間を過ごしました。


その時に気付いたのですが、美容師さんというのか、4〜5人居ましたが、全員が若い男の子でした。おそらく高校のあと美容の専門学校を卒業したばかりでしょうか。

もちろん好きでやっているのでしょう。
妻の面倒を見てくれた男の子は、店長さんだそうですが、本当に若い。
東京の吉祥寺のお店で働いていたが、時々、遊びに来ていた蓼科高原が気に入って、東京の仕事を辞めて、奥さんと生まれたての赤ちゃんと3人で原村に引っ越してきた。いまは八ヶ岳の見える小さなアパートに暮らしている。奥さんも美容師なので、何れは、空気がきれいで野菜が安くて・おいしいこの地で2人で、お店を持ちたい・・・・・


妻とそんな会話を交わしたそうです。


ここで、どんなにささやかでも、身の丈に合った「夢と希望」を持って働いている若者に出会ったような気がして、
何となく、いい気分になって、山の家に帰ってきたところです。
今日は、さわやかな日和で八ヶ岳蓼科山もよく見えました。

6. 最後に、加藤わこさん、
フェイスブックの「タグ付け」というのをして頂き、有り難うございます。

9月14日京都で、ソーシャルビジネスとソーシャルメディアの親和性をテーマに小さなセミナーを開きます。
http://www.facebook.com/takashi.kawamoto.33


「ひとはなぜつながろうとするのか?」という問いを、わこさんのプレゼンで参加者みんなで考える。私はその狂言回しを相努めます。

遅い夏休みに上洛されるというさわやかNさん、14日はまだ京都に居られますか?
以上、お礼とご報告まで。