蓼科高原の秋と『福翁百話』

1. 柳居子さん、いつも的確なコメント有難うございます。

「人との巡り合い・・が人の営みの殆ど全て」の言葉は身に沁みますね。
しかも、月並みですが、出会いは別れの始まりでもある。

前回お話した、コロボックル・ヒュッテの主・手塚さんも逝って、霧ヶ峰に行く楽しみも少し減りました。
山男で高原の草花や動物に詳しく、話好きで酒好きで、若い時から女性のファンも多かったのではないか。
妻もその1人で、お参りをしたいということで私は2度目、再びヒュッテを訪れました。

深い青空と山並みが美しく、後を継いでヒュッテを切り盛りしている息子さんとしばらく話をしました。山を降りるころにはちょうど夕焼けがきれいで一日良い天気でした。

2. 秋深くなるまでずっと過ごすのは今年が初めてで、「11月に入ったら本当に寒くなるよ」と脅かされています。「今朝は、八ヶ岳に初冠雪が見えましたよ」とも教えてくれました。

基本的に夏仕様の家ですから、これからさぞ厳しいだろうと覚悟はしていますが、いまのところは徐々に秋深くなる里山の風情はまことに気持よいです。都会と違って満員電車で不快な目にあうこともなく、ストレスもありません。
いつも近くをひとり、杖をついて散歩しますが、これから徐々に落葉松が黄色くなり、やがて散っていきます。


3. 週に1日は高速バスで(これが安くて2時間半で新宿に着きます)日帰りします。
世田谷市民大学の「福沢諭吉を読む」のゼミに出席するのが主な目的です。
2年続くゼミもあと1カ月半で修了。最後に『福翁百話』と『百余話』を読んでいます。
『福翁百話』は晩年の執筆で文字通り100の、かれが「漫筆」と呼ぶ、人間関係、家族・夫婦・男女、教育と学び、文明や政治経済といったテーマについての感想・随想を処世訓風に述べたものです。

福翁自伝』のような逸話に彩られた事実と語りの面白さはなく、やや肩肘張った文章で、私もいままで敬遠していました。
「自伝」にはお説教や自慢話的なところが一切何無いし、そこが「自伝文学の傑作」と評される理由の1つです。
そこで、いわば「自伝」を横に置き、「百話」のメッセージ・お説教を検証する事例研究としてあらためてチェックしながら「百話」を読むと、こちらもなかなか面白いです。


因みに、死去までの流れは以下の通りです。
(1) 明治30(1897)年、時事新報に「百話」を1つずつ連載、直ちにまとめて発刊。
(2) 明治32年、『福翁自伝』発刊。9月脳溢血で倒れる。
(3) 33年、「修身要領」脱稿
(4) 34年、1月25日脳溢血再発、2月3日死去、享年68歳。


4. 丸山真男が、この『百話』のメッセ―ジを引用して「福沢諭吉の哲学」を紹介しています。

第七話「人間の安心」にある文章で、原文を引用すると以下の通り。
・・・「人間のごとき、無智無力、見るかげもなきウジ虫同様の小動物にして、石火電光の瞬間、偶然この世に呼吸飲食し、喜怒哀楽の一夢中、たちまち消えてあとなきのみ」
「すでに世界に生まれ出たるは、ウジ虫ながらも相応の覚悟なきを得ず。
すなわちその覚悟とは何ぞや。
人生本来戯(たわむ)れと知りながら、この一場の戯れを戯とせずしてあたかも真面目に勤め、(略)生涯一点の過失なからんことに心がけるこそ、ウジ虫の本文なれ。いなウジ虫の事に非ず。万物の霊として人間のひとり誇るところのものなり。」・・・

彼はこの言葉がたいへん気に入っているようで第44話「婦人の再婚」でも以下のように繰り返します。

・・・浮世を軽く認めて、人間万事を一時の戯れとみなし、その戯を本気に勤めて怠(おこた)らず、ただに怠らざるのみか、真実熱心の極に達しながら、さて万一の時にのぞんでは、本来これ浮世の戯なりと悟り(略)、これを人生大自在の安心法と称す。・・


5. たいへん気に入ったのは、これを読んだ丸山真男も同じで、彼はこの「(論理の)パラドックス」を福沢諭吉の哲学の核と考えて、以下のように解説します。


・・「福沢の驚くべく強靭な人間主義は、宇宙における人間存在の矮小性という現実から面をそむけず、これを真正面から受け止めながら、逆にこの無力感をば、精神の主体性をヨリ強化する契機にまで転回させたのである。」

「もし戯れという面がそれ自体実体性を帯びると、そこからは宗教的逃避や虚無的な享楽主義が生まれるし、真面目という面が絶対化されると、現在のシチュエーションに捉われて自在さを失いやすい。
真面目な人生と戯れの人生が相互に相手を機能化するところにはじめて真の独立自尊の精神がある。福沢は(略)そうした機能化作用を不断にいとなむ精神の主体性を讃えた。」・・・

6. いつもそうかもしれませんが、今回も、他人の言辞の引用で終始してしまいました。
手塚さんにもうお会いすることがない、という想いを抱きつつ、引用したものです。