『バグダッド・バーニング』と『大村はま、優劣のかなたに』(苅谷夏子)

1. 我善坊さん、加藤わこさん、貴重なコメント有難うございます。
マキアベリがそんなことを言っていましたか。
せめて「君主論」もう一度読みたいものです。

わこさんが我善坊さんの、「市民を腐敗から解放するという回り道こそが必要」に触発されて、「愚民の回り道でも、民主主義をあきらめてはいけないんだ」とあらためて思う・・・・そういうコメントの相互作用が本当に嬉しいな、と思います。

マキャベリの意見はよく分かりますが、16世紀と違うのは「マスコミ」の存在と「ソーシャルメディア」ではないか。
前者はむしろ市民を腐敗(というか、わこさんの言う「愚民化」)させるほうに働いているような気がする。
他方で後者はどうなんだろう。ちょっと期待したいところもあるのですが・・・


2.『ライファーズ』という本は知りませんでしたが、わこさん推薦は絶対信頼しているだけに、読みたいものです。

お勧め頂いた『バクダッド・バーニング、イラク女性の占領下日記』と
大村はま、優劣のかなたに、遺された60のことば』(苅谷夏子、ちくま学芸文庫、2012年10月)
の2冊ですが、後者は読み終えましたが、前者はまだほんの一部です。

しかし、後者について言えば、2004年に出た邦訳を、わこさんに教えてもらうまで全く知らなかった、ということをまず恥ずかしく思った次第です。
しかし今からでも遅くないから、こういう本こそ、買ってよかったと思っています。


(1)「世界でもっとも有名なブログ」とも言える、「リバー・ベンド」という仮名で
バクダッドに住む若いインテリ女性が、イラク戦争の戦火におびえ、アメリカの理不尽な戦いと占領を痛烈に批判しながら、戦時下のイラク人の暮らしを英語で発信し続けた「ブログ」は、2003年8月に始まり、彼女のブログそのものをチェックすると、2007年9月で終わっています。


(2)インターネット情報によると、彼女とその家族はこの時点でシリアに脱出したそうですが、難民としていまのシリアに居るのはもっと悲惨かつ危険ではないでしょうか。いま彼女とその家族はどうしているのでしょうか。


(3)そして邦訳の「あとがき」を読むと、「発信すれば、必ずどこかに、読む人がいて、伝える人がいる」
という梅田望夫さんの『ウェブ進化論』の実証のような話でちょっと感動します。


即ち、彼女の英語のブログを読んで心を打たれた8人の女性が「翻訳をしよう」と集まり、ボランティアで邦訳を手掛け、2006年6月10日までのブログを2冊の本にまとめた。
おそらく幾つかの出版社に断られたと思いますが、株式会社アートンというところが
OKしたようで、
著者は「リバーベンド」(命の危険があるためもちろん本名は翻訳者も知らない)訳者「リバーベンドプロジェクト」という名で出版されました。

(4)「あとがき」によると邦訳の一部をリバーベンドに渡そうとメールしたが、「本名を伏せていて、どうやって受け取れるかもわかりませんし、本当に必要とする多くのイラク人がいるときに、私が受け取るいわれもありません」という返事が返ってきた。
そこで訳者のメンバーは「リバーベンド基金」として積み立てることにした、とのこと。


(5)もちろん、「ブログ」の特性もあって、どういう人が書いているか分からないし、そもそも事実なのか、本当にイラクから発信しているか、等いろいろ疑問もあるでしょう。
しかし、8人の日本人の女性が「リバーベンドに魅せられ」でボランティアで動き出した、という事実は重みがあるでしょう。

以上、知っている人はもうとっくに知っている有名な話を、いまごろ報告するのは何とも恥ずかしいですが、年寄りの「時差感覚」はこの程度なんだということで、お許しください。


3.『大村はま、優劣のかなたに、遺された60のことば』の方は読み終えたばかりですが、紙数もなくなり、詳しく紹介できません。
これまた恥ずかしくも、私は「大村はま」という「日本一の国語教師」とも呼ばれた女性を、名前だけで、この本を読むまで何も知りませんでした。

大村はま1906年生まれ、2005年、98歳で死去。
73歳まで、現役の国語教師として都内の中学で教え、「新聞・雑誌の切り抜きを学習材に、ほんものの国語の力をつける「大村単元学習」を開拓してきた」(鳴門教育大学



彼女の、いろいろ印象に残った言葉がありますが、今回1つだけあげると、
「読みたい本が言えないような人はつまらない」です。
「読んだ本」ではなく、「読みたい本が大事」という言葉に惹かれました。

著者の苅谷さんはもと教え子で、晩年の最期まで秘書として仕えた人ですが、彼女はこう解説します。
――中学生に「読書生活の記録」をつけさせた。
「読書の記録」」ではない。単純に、本を読む、しかも良書を読む、そういう限定的な読書よりももっと広い世界を、中学生に見せようとした。たとえば、ちょっと興味をひかれた新刊書の広告をハサミで切り抜いて、用紙に貼り込んでいく。(略)そんな中で、「読みたい本」を記入していくページは、「読んだ本」と同等か、それ以上のものとして大事にされていた。


そして、以下は大村自身の言葉です。
「読むひまもなくて、読めなくて、でもね、これは読みたい、って思っている本がいつも胸に少しずつある、少しでもある、そういう人はやっぱり、考える世界とか・・・へ近いっていう気がするんです」


・・・忙しい現代人、必ずしも読めなくても仕方がない。
しかし、いつも「いつか読みたい本」を(もちろ再読も含めて)何冊も何冊も持っている・・・
これ、中学生でなくても、私のような老人でも十分心を動かされる、いい言葉と思います。