コメントに感謝と山を下りる


1. お礼が遅くなりましたが、皆様のコメントに感謝です。
示唆に富むコメントばかりで全ての要約はとてもできませんが、一部を以下に整理させて頂きます。

(1) 人物形成にあたっての両親の存在。とくに、「穏やかな父親と激しい気性の母親という取り合わせ」の面白さ。(さわやかNさん・我善坊さん)

(2) エリートとは何か?「持続することができる才能」か?(我善坊さん・氤岳居士さん)

(3) 「代表的アメリカ人」とは?「アメリカ人的」とは?
ブッシュ元大統領は?小泉純一郎は?(我善坊さん・氤岳居士さん)

(4) リーダーとは?民主主義的なあり方と強力なリーダーの存在とは並存が難しいのではないか?(さわやかNさん)

(5) 「勝つために全力で競争する」ばかりだと社会は成り立たないと思う。「世の中、敗者で成り立っているとも思う」(柳居子さん)

といったところでしょうか。


2.これらの貴重なコメントの全てに再コメントするのは紙数の制約もあり容易ではありません。
たいへん興味深かったということと、引き続き、私自身の考察を続けていきたい、というお礼でご勘弁頂きます。
ただ、ジャック・ウェルチに関連する点については若干触れるつもりです。


まず、「強力なリーダーシップ」は民主主義では難しいのでは?という点について。
・・・・・・ご指摘はひとつは「リーダーシップとは何か?」によるのではないかという気もします。
その点では、ジャック・ウェルチの「リーダーシップとは他の人が成長し成功することを手助けすることだ」「そのためには、誰に対しても「発言権」を認め、「敬意」「率直さ」を持つべきだ。」という意見に共鳴するものです。

そして、そのような「リーダーシップ」であればそれは、民主主義社会において(こそ)可能かつ必要であろう、と考えます。


3. 次に、これがいちばん大きい問いだと思いますが、
「競争」についてです。
(1) 競争社会の弊害は大きいでしょうし、「世の中、敗者の存在で成り立っている」というのはまさに至言ですね。我善坊さんだけでなく、小生も共感します。

(2) ただ、その通りではあるにせよ、
社会で生きていく上で、「競争」や「選別」や「評価」はどうしても避けられない
(例えば、我々の日常の人との付き合いで、連れ合いや親や子供に対しても含めて、無意識のうちに「評価」している自分を避けられないし、人もー妻や子供はもちろんー同じように私を「評価」し、「選別」しているはずである)

(3) 非日常ではもっとそうで、目下の総選挙なんか「競争」の最たるものではないか。
みんな「勝つ」ために必死になっていますよね。

(4)「競争」・・・が避けられないとして、それならどうするか?
が大問題だろうと思います。
ジャック・ウェルチはこう言っているのでしょうね。
・誰もが最善の努力をすべき。
・公平に・率直に・透明性をもって競争する
・誰もが自分の得意分野があり、それを社会をあげて育て、その機会を与えるべきである
・その結果の敗者、不平等はやむを得ない。しかし大切なのは、
勝つことと「正義」とは関係ない。勝者が正しいとは限らない。
もちろん、幸・不幸とも関係ない、という認識でしょう。
(「勝つことは最高だ」とウェルチは言っているが「幸せだ」とは言っていない、と思う)


4.「競争」が「避けられないもの」である以上に、高い価値を持った「倫理」である、という考え方もある訳で、コメントで名前の出たジョージ・ブッシュ・ジュニア大統領の言葉を紹介しましょう。

(1) 彼は2002年2月に初めて来日し、国会で演説をしました。
そこで大統領は、福沢諭吉の名前をあげて、彼が日本語になかった“competition”という考えの訳語として「競争」という新しい日本語を創り出したことを紹介し、

(蛇足ですが、アメリカ人はこういうテクニックはうまいですね。ブッシュが福沢諭吉を知っていたとは思えないが、スピーチライターはいつもこのように、相手国の人名や言葉などを持ちだして、スピーチに花を添えます)

さらに続けて以下のように語ります。
・・・・「しかし、“KYOSO”は言葉以上のものである。それは精神であり、倫理なのだ。それは、自由主義国の人々の、創造的な発展(イノベーション)を促し、潜在能力を引きだすエンジンなのだ・・・・」

因みに、『福翁自伝』によると福沢は、
幕府のお役人に西洋のある経済書を翻訳して提出することになり、
「コンペチション」という原語にであい、いろいろ考えた末、競争という訳字を造り出して見せたところ
「イヤここに、争いという字がある。ドウもこれが穏やかでない。ドンナことであるか」と質問があり、市場の競争について説明し、意義は理解してもらったが、「何分ドウモ争いという文字が穏やかならぬ。これではご老中方にご覧に入れることができない・・・」と言われたという逸話を面白おかしく披露しています。

4. ということで今回も無意味に長くなりましたが、東京の小さな家の改修が無事に終わったので、
11月30日に5カ月弱滞在した山を下りて東京に戻りました。
本来、12月2日(日)の朝早く、中央高速で帰る予定だったのですが、当日山は雪になるという予報で、安全な日に運転しようと準備を急いで日和の良い日に思い立って出てきたものです。
この週は、田舎に預けてある家具・衣類など荷物をもとに家に戻すため、最後の移動を入れて実に3回、茅野・東京を中央道で往復、笹子トンネルを走り抜けました。
予定通り2日に発っていたら、事故にまきこまれないまでも、最低でも、高速は通行止めで動けず、たいへんな目にあっていただろうと思います。


競争や努力も大事かもしれないが、
運・不運ということも考えざるを得ない、今回の事故でした。