最高裁裁判官の国民審査に悩む

1. 柳居子さん、コメント有難うございます。なるほど
ジャック・ウェルチも山奥の鹿も私たちも所詮は同じような存在でしょう。

それでも、アメリカで26人をいちどに射殺した(うち20人は5~10歳の児童)というニュース(15日)を聞くと、彼らの恐ろしさも感じますね。
NYTIMESは、見出しに「MASSACRE」(虐殺・皆殺し)という言葉で報じています。


2. 他方で当方は、15日は雨の中を成田空港まで出かけ、16日は幸い東京は穏やかな好天で、投票を済ませました。

政党が突然増えて、選択に困るという悩みをよく聞いた選挙でした。
私はといえば簡単で、格好つければ、「チェック・アンド・バランス」と「中庸」をキーワードにして判断しているつもりですが、平たく言えば、「天邪鬼」、右には左、左には右、ああ言えばこう言う、というだけのことです。


3. それでもいちばん悩むのは皆様もそうだと思いますが、「最高裁の裁判官の国民審査」で、これは本当に困る。
不勉強と言われればそれまでですが、判断するだけの知識が正直言ってない・・・
ということで今回のブログは、またアメリカの(恐ろしい国だけど、面白い国でもある)話です。

まず、『はじめのアメリカ法』(樋口範雄、有斐閣、2010年)という良書があり、東大での授業をもとに本にしたものですが、こんな趣旨の一節があります。


・ ・・「アメリカの連邦最高裁は9人の裁判官からなるが・・・大事なのは、アメリカの法律家もロー・スクールの学生も現在の・・9名の名前をすべて言えるのではないかという点です。
他方で日本は15人と数が多いが、それにしても、日本の法学部生や法科大学院生、さらに弁護士でさえ、この15人のうち何人の名前をあげることができるだろうか?
最高裁長官の名前さえ怪しいのではないか?・・・・
まさにその通りで、私も長官の名前を知りません。
他方で、アメリカの「長官」に相当する「主席判事(Chief Justice)」の名前は私でも知っています。
現在は、ジョン・ロバーツ(最高裁で最年少の、就任時の2005年弱冠50歳、ハーバード大学・大学院を最優等で卒業した超秀才で、保守派のエースとして、共和党ブッシュ・ジュニアが指名)。

その前任は、レーガン大統領指名した、これまた保守派のレンキスト、以下、バーガー(ニクソン指名)、アール・ウォーレン(アイゼンハワー指名)とさかのぼり、何れも共和党大統領が指名した人物が並びます、


アメリカの最高裁判事9名は上にあげた「主席」(以下、日本的に「長官」にします)を含めて、大統領が指名し、上院の同意を得る。
任期は終身で、大統領と同じく、「弾劾(だんがい)」を受けることは法的にありうるが、日本のような「国民審査」はない。

「上院」というと、日本では参議院が相当するのでしょうか?
しかし、権威も存在意義も議員構成(人口の違いに全く関係なく、それぞれの州から2人、いま50州だから100人)もまるで違いますから、同じ仕組みを日本で入れるのは難しいのでしょう。

「国民審査」のほうがより「民主的」と考えたのでしょうか?


4. なぜ、私でさえ、彼らの名前を知っているか?というと、雑誌や新聞等の「露出度」も大きいことも1つの理由です。


なぜ露出度が大きいのか?
1ついえることは、ここにも2大政党制が影響して、「長官」を指名する機会に恵まれれば、当然に、自らの信条に沿った人物、共和党であれば保守派を、民主党であればリベラル派を送り込みたいとするからです。
従って、前任のレンキストが在任中に死去した際、ブッシュは後任に、保守的な司法判断で実績のあるロバーツを指名しました。


このロバーツ長官の、医療保険制度改革をめぐる憲法論争での判断(2011年)がマスコミを大きく騒がせました。

1期目のオバマ大統領が最も力を入れたと言われる、国民皆保険を意図した医療制度改革法案は妥協の末、議会を通過、法制化しました。
しかし、これは個人の選択の自由を侵害する憲法違反だとする訴えがなされ、連邦最高裁の判断が注視されました。
現在の判事9名の構成からすれば、保守派が有利で、「違憲」とされる可能性も噂されました。そうなると、日本と違って「違憲」の判断は重いですから、オバマは制度改革を実行することが出来ません。


最高裁はどう判断したか?
5対4の評決で「合憲」としたのです。しかも4対4で同数となった最後に、保守派のエースと目されたロバーツ判事が、予想に反して最後に「イエス」に1票を投じました。

彼がどういう意見で「合憲」としたかは新聞や普通の雑誌(TIME等)でも報道されましたら、彼の見解を誰もが知ることが出来ます。

共和党にとっては「自分たちの選んだジャッジが!」と憤慨した人も多かったでしょう。
しかし、それがアメリカ連邦最高裁の面白いところです。


5. これにはもちろん前例があって、いちばん有名なのが、アール・ウォーレンです。
アイゼンハワー大統領がこれまた「保守派」の代表として期待して送り込んだ彼(若い時はカリフォルニアの検事として戦争中の日系人強制収用を強く支持・推進した)は、「長官」となるや、次々と「リベラル」な憲法判断を示して、「ウォーレン・コート(法廷)」として1つの時代を画しました。


中で、もっとも有名なのが、1954年のいわゆる「ブラウン判決」で、
それまで長く最高裁が支持してきた「分離すれど平等」の原理を覆し、公共施設(このケースでは小学校)での黒人差別を「違憲」としました。
これが、アラバマモンゴメリー市のバス・ボイコット事件(バスで白人に座席を譲ることを拒否したローザ・パークスとそれを支持し運動を展開したキング牧師とを、一躍国民的な存在にした)から、公民権運動、そして公民権法の制定へとつながっていったわけです。


6. これらを、「法と正義」を如何に守るかという司法システムの問題と理解する
と同時に、
「人間は変わるものだ、だから素晴らしいんだ」という事例として考えてもいいかもしれません。
だから「公約違反だ」なんて騒がないで
「どう、なぜ変わったのか?それは正しい方向への変化なのか?」と問うべきだと思うのですが、マスコミ以下、この国では誰もそんなことをやりませんね。