ニュージーランド・豪州・教育・「ちいさな哲学者たち」

1. 遅くなりましたが、海太郎さん有り難うございます。
大兄の昔のブログを再読しました。

http://blog.goo.ne.jp/rokuai57/e/ff38a568a88731ba4450191a4df9d58f#comment-list
ニュージーランド(NZ )の高校に2年留学した高校生・池部君の著書を要領よく紹介しておられて、勉強になりました。
「ディスカッションとエッセイ、調査を中心に」学ぶ。メディア研究、古典研究(ギリシャ・ローマ)、模擬国連活動、ディベート、金融政策チャレンジ・・・など。「ニュージーランド人の価値観、それは自由にものを考え、多くの人と討論し、よりよい社会を作ろうと行動することであった。」
「NZは理想を追求する社会であり、社会福祉でも非核政策でも環境保護政策でも、世界の最先端を行こうとするスピリットがある」


NZの歴史の授業で彼が書いたレポートへの担任の先生のコメントも面白い。
「こんなエッセイはナンセンスだ。あなたの論文の中で私が賛成できるところなど殆どない・・・しかし論理構成には文句の付けようがない。エクセレンス(優)に値する」
そして「優」をもらった池部君はこう書きます
「“どのような論理であっても証拠をベースに積み上げることが重要である”と強調する先生の姿勢は公平であると感じた。
「公平」はニュージーランド人が信じる徳である」

2008年にこう書いた留学生の池部惇敦君、いまどこでどうしているのでしょうか?
その後、この国ではクライストチャーチ地震で多数の日本人留学生が亡くなったのは大きな悲劇でしたが・・・


因みに、前にたびたび引用したレガタム(Legatum)というシンクタンクが発表した国別「繁栄指数」の「教育」の部門では、NZは世界1位、オ―ストラリア(豪州)が2位です。
そして両国とも、「教育」を重要な輸出産業と位置付けている由。

2. 教育に関してフランスの事例も紹介しましょう。
ある人に勧められて、「小さな哲学者たち」というドキュメンタリー映画を蔦屋で借りてきてDVDで観ました。


(1) もともとはアメリカの教育者の提唱だそうですが、フランスのある幼稚園で4^5歳の子供たちと「哲学」について語りあうというユニークな授業(「アトリエ」)の実践です。
興味を持った映画関係者が役所・幼稚園・親のOKを得て、現場で2年間撮影をすることで映画が完成しました。

(2) 幼稚園は、アルジェリア系、韓国系、黒人など様々な人種のフランス人が住む貧しい地域にある幼稚園で、革新的な教育プログラムの応用学校に指定されている、
ある女教師が、哲学を専門にする某大学教授の提案を受けて
「子供のための哲学というものが存在するか?意味があるか?」
という実験に乗り出し、2年間の時間を経て、見事な成果をあげます。

(3) 彼女は、月に2,3回、特別な時間であることを意識させるために、4〜5歳の10ほどを集めて、まずろうそくに火を灯します。ろうそくが燃えている間、子供たちは
「哲学って何?」(これには「人を賢くさせるものだ」という答を返す児童が出てきた)
「考えるってなんだろう?」
「死ってなんだろう?」
「違いって?」
「愛とは?」
といった先生の問いに対して、思い思いに言葉を口にします。

(4) もちろん、最初は全てがうまく行ったわけではない。
「最初の数カ月はもたついて、手さぐりしていた」と教師は語る。
「テーマによっては、考察の時間は10分も続かなかった。隣の子とじゃれあう子もいたし、考えるのを放棄したり、何も話さない子もいた。


しかし、「1年経つころには何が起きた。2年目の中ごろには、すべてが輝いていた。子供たちそれぞれの人格が表に現れ、グループがしっかり構築され、先生は、一歩引いて、子供たちが考える沈黙の時間を受け入れるようになった」
「差異について考えるアトリエの時間、そこで変化が起きた。ヤニスが肌の色の重要性について話し、ルイーズが父親の障害について話したとき、彼らの声としぐさには重さがあり、成熟がみられた・・・」


(5) 映画はメッセージ性や余計な解説を避けて、先生と子供たち、子供たち相互の語り合いを、淡々と追いかけます。子供たちが哲学の時間について家庭で親と語り合う時間も出てきます。これもただ親子の会話を追うだけです。
こういう姿勢が何ともいいです。

例えば、「死とはなんだろう?」という問いには、
「亡くなることと死ぬこととは違う」と答える5歳の少女が居ます。
彼女によれば、お棺に入れられ、お墓に埋葬され、花を飾られるのが「亡くなる」ことであり、「死ぬ」とはもっと荒々しい・暴力的な出来事なのでしょう。


何れにせよ、先生は、そして映画も、このような少女の言葉から何らかの大人の意見を出そうとはしません。ただ子供たち自身の「考え」や「言葉」を引き出すことに全力を集中しています。

(6) しかし、この映画の監督は映画の中ではなく別の場で以下のように語っています。
「他人に耳を貸し、他人との差異を理解し、異なる文化を吸収することで、民主主義を構成するすべてのことが学べる。
幼稚園の哲学をめざすアトリエは、他人の意見は自分のそれと同じだけの価値があるのだと理解できる市民を育てる方法を示している」


3.この映画、2011年に公開されたようで、日本でも話題になったのでしょうが、不勉強でいままで知りませんでした。
http://tetsugaku-movie.com/
因みに、京都の出町柳にある「かぜのね」というカフェ兼居場所でも、12年1月に「上映会&しゃべり場」が開催されたそうです
(「かぜのね」はKSEN仲間の加藤和子さんの企画で前に顔を出したことがあります)
http://tetsugaku-movie.com/news.html
さすが、京都です。