東北被災地・南三陸町や気仙沼・大島にて

1. 海太郎さん、いつもブログを覗いて頂き、まことに有り難うございます。
だいぶ前に若い友人がFBとの連携をやってくれたのですが、なぜか連携しなくなりました。自分で直せないのが悩みです。


2. 「ちいさな哲学者たち」が捉えているのは、幼稚園で「哲学」を学ぶ姿です。
「死とは?」という問いを4〜5歳の子どもに投げかける。子ども達は帰宅して両親に報告し・質問する。両親はどんな対応をするでしょうか?
これはとても重いテーマですが、
実は、3月17日〜19日、2泊3日で東北の被災地を訪れて以来、どうも「重いテーマ」が頭にひっかかって、気持がいまひとつ晴れません。


3. もちろん私ごときが、「気が重い」と言ったら、被災地の人達にまことに失礼であることは十分承知しているつもりですが。
よく、ボランティアに出掛けた若者が「被災地の人々が復興に向けて頑張っている姿をみて、かえって元気と勇気を貰った」というコメントを聞きます。
そういう若者を見ると、健康でいいな、これからも活動してほしいなあ、と心底思います。

そして、もちろん、私たちがお会いした人たち(南三陸の復興商店街で海鮮どんぶりを作ってくれた・気仙沼でカルビ焼肉定食を出してくれた・そして「インスタントコーヒーだけど無料サービスです」と言ってくれた・名前も知らない女性たちも含めて沢山の人たち)も、本当に元気で生き・活動しています。


しかし私の場合、今回の旅は正直言って、疲れて、自宅に戻ってからもしばらく、何となくやる気の出ない日々が続いています。
理由はおそらく、(1)高齢であること(2)それもあって、自分が何の役にも立っていないという負い目を現地で痛感したことに加えて、(3)私自身の幼い時の被爆体験・戦争体験、があるだろうと思います。


4. ここに書くことも何となく気が咎めるところもありますが、あえて記録しておきます。
かねてから気になっていたので、今回は、京都から支援活動を続けているKSEN仲間のFさんKさんに案内してもらって私たち夫婦と4人で行きました。
「何も出来なくても、ただ行くだけで立派なボランティアです」というFさんの言葉に励まされて、仙台駅で朝、夜行バスで京都から来た2人と待ち合わせ、レンタカーで仙台郊外の荒浜(津波で家屋がおおかた流された)から南三陸に行き、復興商店街でお昼を食べ、気仙沼からフェリーで大島に行き、泊まりました。
2日目は、気仙沼から石巻経由、宮城県亘理に寄り、山を越えて、福島に入り、その夜は飯坂温泉で泊まり。
最終日は、福島市内で、NPO活動を拝見したりして夜の7時半の新幹線に乗りました。お2人のお陰でいろいろな人から話を聞くことが出来ました。


5. やはり、いちばん衝撃的な場所は南三陸町の被災地あとに今も立つ「防災対策庁舎」跡です。
この時の様子を、ニューヨーク・タイムズの東京支局長マーティン・ファクラー氏が伝える『「本当のこと」を伝えない日本の新聞』(双葉新書)から引用すると以下の通りです。


「佐藤町長は、津波に襲われた際、災害対策本部を設置した防災対策庁舎の屋上へ他の職員と一緒に逃げた。東日本大震災の象徴のごとく語られる、押し寄せる波により赤い鉄骨のみとなってしまった建物だ。およそ30人の職員が屋上までたどり着いたものの、津波の水量はどんどん増えていく。ポールやアンテナによじのぼったり、外階段の手すりにつかまって助かったのは、屋上に避難した30人のうちたった10人だった。残りの20人は津波に流されてしまった・・・・・」

6. こういう事実を知って、「庁舎」の建物の前に立つ私たちには、何とも言いようがない「重い疲れ」のような気持が湧いてきます。
それは、広島の原爆ドームや鹿児島知覧の特攻基地あと、或いは上田市無言館(戦死した画学生の絵が展示されている)を見たときの気持ちに似ているかもしれません。

「どのような生命体にも最期がある」
「(しかし)人間にとって問題となるのは、実際には死ではない。問題になるのは、死を人間(だけ)が知っているということなのである」
ノルベルト・エリアス『死にゆく者の孤独』1982年邦訳は法政大学出版局
こんなことは「言うまでもない」と思う人が多いかもしれない。


しかし、「疲れる」のは、
死は人間に一様に訪れるが、その「訪れ方」は一様ではない、という事実です。
南三陸町の死者のような暴力的な死もあり、「寿命」と呼んでもいい死もある。
これは「フェア(公平)」とはとても言えない。
もちろん「死」だけではありません。
三陸の、或いは気仙沼の、かっては賑やかな商店街だった、今は何も無い更地に立って、根こそぎ流失してしまった「場所」と、通り1つ隔てただけで、或いはほんの少し高くにあっただけで無傷に残っている「場所」とを同時に見られる光景に接して、やはり、この「アンフェアだ」という思いが湧いてくるのをどうしても抑えられません。
この「気持や思い」が私を疲れさせます。

今回の災害に際して「天罰だ」と言ったという某政治家が居ました。「天罰」なら、罪を犯した私たちが等しくフェアに「罰」を受けるべきでしょう。これほど、無神経な言葉を、文学者でもある人物が発したとは考えたくもありません。

7. こういう言葉が的確かどうか分かりませんが、被災地に立つと、「神」も「自然」も「運命」も、決して人間に対して「フェア」ではない、という「悲しみ」を強く感じざるを得ません。


そして、だからこそ、せめて私たち人間ぐらいは、「アンフェア」な「神」に対して、出来る限り自分にも他者にも「フェア」に立ち向かうべく努力すること。
これしかないのではないか・・・そんなことを考えました。

ユダヤ系のドイツの社会学者・哲学者のエリアスもこう言っています。
「人類とは死すべき者たちの共同体なのだということ、および人類が困窮したとき助けを求めるべきは(「神ではなく」と彼は言いたいのか?)人間をおいてほかにないのだということへの、これまで以上に明晰な認識を必要とするのである・・・」と。

今回はいささか、重苦しい文章になりました。