福島市と飯坂温泉、宮城県亘理の「WATALIS」など

1.
前回のブログで東北被災地を訪れて「ちょっと疲れた」と余計なことを書きました。
こちらが勝手に疲れただけで、もちろん現地の人たちは、そんなことは言ってはおられず、復旧・復興に向けて助け合い・力強く生き抜いていることでしょう。

2. 福島では市内を車で案内してもらいました。
花見山というのどかな丘陵があって、例年、4月中旬にはソメイヨシノと違って少し丈の低い桜が「山」一面に咲いて、それはきれいだそうです。
昨年は、中止されたが今年は観光客にもぜひ来て欲しい、と駐車場を整備している最中でした。
大勢が花見に来たらいいだろうな、と思います。


他方で、普通の住宅街で除染作業が行われていて、庭の隅にビニールに覆われて残されている状況もあります。
案内してくれた某氏も常に線量計を持っていて、これであちこちの線量を測って、見せてくれました。
地元の方の気持もあるので、あまり詳しいことは書けませんし、いろいろと
時間はまだまだかかりそうですが、外部の人たちが普通に観光客として来て欲しいというのが地元の願いのようです。


昼食を福島駅前の「佐吉」という蕎麦屋に入りましたが、なかなか繁盛していました。
おいしい上に安いのが有難いし、おまけに、てんぷらがいろいろ種類があって、お好みのてんぷらを別に頼んでお蕎麦と一緒に食べるというアイディアが、ただの「てんぷらそば」と違って面白いアイディアで気に入りました。私は、「かけそば」に「なす」(50円)と「きす」(100円)を頼みました。
もちろん、地元の銘酒である「大七(二本松)」や「飛露喜(会津若松)」なども置いてあります。
私たち夫婦は福島は昨年10月以来ですが、今度はこの蕎麦屋でゆっくり晩酌をしたいものだと思いました。

3. 前の日の泊まりは福島駅から電車で30分ほどの飯坂温泉でした。
ここは、東日本大震災だけのせいではないでしょうが、昔の面影はなく、旅館も最盛時の半分以下に減っているそうです。

夕食後4人で少し散歩をしましたが、月曜の夜ということもあったでしょうが、温泉街の雰囲気は全くなく、ひっそりしていました。

「赤川荘」という明治時代からあるという宿は、源泉掛け流しだそうで、よい湯でしたが、泊まり客はほとんどおらず、ちょっと寂しいという感じです。由緒ある宿でしょうが1泊2食で8千円以下と申し訳ないような値段でした。
長寿で有名だった「きんさん・ぎんさん」の姉妹が泊まったことがあるそうで、「きんの湯」は気持ち良かったです。


地元の人にちょっとだけ会いましたが、
「大震災時の壊れた家の解体作業をまだやっている。東京の大手が請け負って、
下請け・孫請けと仕事が下りてくるので、その間に大きくピナハネされてしまい、実際に解体作業をする作業員の手取りが本当に少ない」
と嘆いていました。
これもまた利権がからんだりコストの問題もあるでしょうが、昔に比べてすっかりさびれてしまった飯坂温泉(だけではないでしょうが)の地熱を何とかエネルギーに活用する方策はないものでしょうか。


4. 他方で、元気な人たちの活動も報告しておきます。
宮城県の南、福島との県境に亘理町に寄りました。
ここは隣接する山元町とともに大きな被害を受けました。
15メートル以上の大津波に襲われ、町の47%が浸水し、人口3万4千の町で300人以上の死者・行方不明者が出ました。
ここでいま、30人ほどの女性が集まって、「居場所」を確保し、「復興の願いと地元コミュニティ復活を賭けた手仕事プロジェクト」として手芸品を作っています。
「WATALIS」という名前の団体ですが、着物の残り布を使って袋物などを作り、販売します。

当地では、昔から、人に贈り物をするときに、着物の残り生地を使って「袋」を縫ってそれに入れて贈ったという風習があるそうです。これを当地では独特のアクセントで「ふぐろ」{冒頭の「ふ」にアクセントがある}と呼びます。
これを現代に生かそうという試みで、全国から寄付で送られた、着物の生地を再生して作業しています。
英国の日本領事館も興味を持ってくれて英国で有名な「リバティ・プリント」を利用するアイディアも出てきた由。
京都では、今回案内してくれたKさんが販売の手伝いをしています。
東京では期間限定の販売ではありますが、東急ハンズや代官山の蔦屋でも出品したそうで、昨年の売り上げは年間1千万円ほど。
私たちが訪問したときには、ちょうど遠くからネットショップの経営者が訪問していて商談に来たようでした。
うまく行くといいですね。
http://watalis.jimdo.com/

5. 今回の旅では、あちこちで、女性が頑張っているなという印象を受けました。
飯坂の前日に泊まった気仙沼市大島では、地元の旅館「明海荘」が居場所を提供し京都府宇治市や亀岡の女性たちがはるばる大島を訪れて、地元の女性と一緒に、やはり手芸品の「工房」を立ち上げました。


ささやかではあっても、
居場所を持つこと、つながっていくこと、人が集まって手作業をしたり喋ったりしたりすること、そういうことを通して少し元気になること、そんな動きがあちこちで拡がっている様子でした。

因みに、大島は「緑の真珠」とも呼ばれる、普段は漁業、夏は海水浴客で賑あう美しい島です。
ここは戻りも含めて2回の津波に襲われ、人口3千人の島で30人強の死者・行方不明者が出ました。大きな山火事にも見舞われました。
フェリーでしか行けない孤立した島でもあり、震災直後は行政の支援もなかなか届かず、アメリカ軍の「トモダチ作戦」が最初に入った場所でもあります。

写真は流失したわかめ工場と家屋の跡、1年半前にFさんやKさんが京都からボランティアでがれき撤去で汗を流した場所です。