福島の桃源郷花見山と北沢川緑道散歩

1. 今回は週末の散歩と雑感です。
福島市にだいぶ年下の従妹が住んでいますが、前々回のブログで写真をご紹介した福島市内花見山の写真集を送ってくれました。
梅・桜・レンギョウ木蓮など一斉に咲き始めたそうです。私が写真を撮ったときは何も咲いていませんでした。写真を眺めると、さすがに見事な花模様です。

彼女は京都出身で同志社のOGですが、東京で仕事をし、福島を気に入って震災前から住みついています。観光ガイドもボランティアでやっているようです。
「関西人の福島見聞録」というブログも書いていますが、最近のには「雪の回廊」の写真も載っていて、北国はまだまだ山々も雪をかぶっています。
http://fukushimatsuu.blog68.fc2.com/


2. 今回の私ども夫婦の訪問時は都合が合わず会えなかったのですが、そのためか写真集を送ってくれたものです。
お礼のメールを送ろうとして、PC「ワード」の漢字転換がこのところなかなかうまく行かず、時間がかかりました。
「話」をローマ字で「はなし」と入れて漢字転換のキーを押すと「歯無し」になってしまい「話」が出てきません。仕方なく「かいわ」と入れて転換すると「か以和」と出てくる「にんちしょう」と入れたら「似ん知小」だって・・・何じゃこれは!
「わじゅつ」を転換してやっと「話術」が出て「術」を消して「話」ができました。


どうもこちらの知恵が無いのか、PCというのは、ときどき言うことを聞いてくれない代物です。


3. 気分転換に、よい日和だったので週末の散歩に出ました。
北沢川緑道を歩いて小田急線の梅ヶ丘駅近くの図書館に寄ってまた同じ道を戻るのが定番です。
桜並木が続き、ソメイヨシノは終わりましたが八重桜が見ごろです。

緑道には最近、斎藤茂吉の歌碑ができました。昔、このあたりに住んでいたことがあったそうです。
歌碑には「われの住む代田の家の二階から白糠(しらぬか)のごとき富士山が見ゆ」
という句が彫られています。

何といっても斎藤茂吉ですから名句なのでしょうか。私にはその良さがよく分かりませんが。

3週間ほど前にここを散歩したときに、偶然、除幕式をやっていました。
この緑道を近くに住む住民がボランティアでごみ掃除をしたり、花を植えたりしているという司会の方の説明がありました。

歌碑のすぐ先には萩原朔太郎の碑があります。
「ここから眺められる丘の上の白い、高圧線の鉄塔は昭和元年に建てられ、いまも残っているが、かって萩原がごく近くに、自分で設計した家を建てて住んだ。
彼の詩集『青猫』の序文に
「都会の空に映る青白いスパークを、大きな青猫のイメージに見ている」
と書いている・・・」そうです。


4. 無事に歩いて梅ヶ丘の駅前に辿りついたら、新しく「モスバーガー」の店が開店していました。
出来たばかりで、きれいで清潔なお店です。早速、普通のハンガーバー、フレンチ・フライ、コークを頼みました。
今年の2月に中公文庫で出たばかりの3巻本の『リンカーン』(グッドウィン著平岡緑訳)の下巻「奴隷解放」を読みながらしばらくゆっくり座りました。

すぐ先に昔からマクドナルドの店がありますから、両店舗がハンガーバーのお客を狙って一騎打ちとなる様相です。
そういえば、先日、昔の職場の仲間4人と蕎麦屋で憩ったときに、某氏と「この年になってもハンバーガーが好きで、いまも時々ひとりで食べに行く。やはりこれは昔若い時にアメリカでたらふく食べたからだろうか」という話をしたことを思い出しました。

ついでに言えば、モス、フレッシュネス・バーバーなどいろいろあるが、やはり、マックの、それも「ビッグマック」だの「テリヤキバーガー」だのではなく昔ながらの素朴な・プレーンなハンガーガーが一番だよな、という点で意見が一致したことも思いましました。
いい年をして詰まらぬ話で盛り上がってしまいました。恥ずかしい限りです。


ハンバーガーとコカコーラ、それに店内のジュークボックスから流れる音楽、窓から見える青い空。そして、ハンバーガーを頬張りながら、何となくお客の皆が、幸せそうに・楽しそうに、お互いに喋ったり、ウェイトレスに話しかけたりしている・・・・・・


そんな、昔のアメリカの田舎町の庶民的な光景を思い出しました。
日本でも、マックやモスでハンバーガーを食べている子供たちや親の表情って、何となく、気楽で幸せそうにしている・・・そんな感じがしてなりません。


5. ということで、PC漢字転換のいらいらがだいぶ治まり、いい気持ちになって帰宅して、さてブログでも書くかと「ワード」に向かったところ、またまた漢字転換で苦労し、またまた若干いらいらしながら、「わじゅつ」から「話術」そして「術」を消すという作業をやっています。

ITはまことに便利だがどうも、こちらの言うことを聞いてくれないことがある。
それに比べて、活字本を読むというのは、こちらの読みたい時に読みたいペースでページをめくり、こちらが中断しようと思わない限り、途中で邪魔されることもない。

やはり、アナログ人間としての時間の過ごし方はいつになっても、読書が最高ではないだろうか、とあらためて感じています。