ごろごろと、『日の名残り』(カズオ・イシグロ)を読む

1. このところ、交信の間隔が空いていますが、我善坊さん、柳居子さん、コメント
まことに有難うございます。
「歌枕」と「本歌どり」についてのご教示に感謝です。勉強になりました。日本の詩歌にある、こういう「決まりごと」というのは、ある種の気品があっていいですね。

「全員が古歌を知っているという素晴らしさ」とほめていただき、恐縮です。
実は、私たちの「いとこ」たち、それぞれに激動の昭和を生き抜いてきました。戦中戦後の大いなる生活の激変があり、それぞれに悲劇があり、必死で生きてきた時期もありました。
それだけに年老いてそれぞれ平穏な「日の名残り」を迎えて、また子供時代のように集り、かるたに興じることができるのは、感慨深いものがあります。
それと、そういう「苦労・激動」の時代にあって、「かるた」という遊びが大げさかもしれませんが、私たちにとって、ある種「アイデンティティ」の支えだったように思います。だからこそ懐かしく70代後半の年寄りが真剣に「遊ぶ」のでしょう。

2. 実はこの連休、もっぱらごろごろして、カズオ・イシグロの『日の名残り』(The Remains of the Day)を読み返しているところです。

本書は、1989年、著者35歳のときの作品。1956年の「現在」のイギリスと1920〜30年代の「過去」のイギリスが舞台で、語り手のスティーブンス(貴族の屋敷ダーリントン・ホールの執事を勤めた)が、イギリスの「西部地方」を旅をしながら昔を回想する、という仕掛けです。


3. ところで小説をどう読むか?というのはいろんな専門家がいろんなことを書いていますが、
「テキストの快楽」(同名のロラン・バルトのエッセイがあります。邦訳は沢崎浩平)
「贅沢・遊び」(吉田健一)・・・・・などなど。


以下は金井美恵子さんという作家の『小説論、読まれなくなった小説のために』(岩波書店)からの引用です

ナボコフは、文学というものが、まるで現実的な価値を持っていないものだと言います」
「小説のもつ快楽的な側面、楽しみとか贅沢、そういう現実的な効用をもたない世界を、読書を通じて豊かに回復したい、と言うと、立派に聞こえるのでしょうが、小説は読みたい人だけが読めばいいのです」

だからこそ、小説の魅力は、物語だけでなく、そこに登場する小道具や作者の仕掛けや細部・会話・背景・・・・等にあります。


4. 紙数の点もあり一般論はこの程度にして、『日の名残り』に話を戻すと、
本書を最初、ロンドン滞在中に原書で読みました。
今回必要があって、土屋政雄訳(ハヤカワ文庫)を読み、原書も再読しました。
本書の魅力として私は(もちろん他にもありますが)、(1)著書自身、(2)旅、(3)1920〜30年代のイギリス、の3つがとりわけ大事と考えています。

今回はこのうち、(2)の旅について記録します。
本書の語り手スティーブンスは新しいご主人・アメリカ人の富豪(時代は変わり、かっての貴族の豪邸も昔の持ち主の手を離れました)の許しを得て、彼の車を借りて、6泊7日のドライブ旅行に出かけます。
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目的は、ダーリントン・ホール(DH)で女中頭として一緒に14年働いたミス・ケントンに、20年ぶりに再会することです。彼女は、いまは結婚して英国の最も西南にあるコーンウォール州に住んでいます。

DHはオックスフォードのすぐ近くにあるとスティーブンスは語っていますから、1日目の朝出発して初日は、ソールスベリーに泊まります。ここには有名な大聖堂があり、ジョン・コンスタブルというイギリスの誇る19世紀の風景画家が描いた絵で有名です.近くには巨石文化の遺跡・ストーンヘンジがあります。

2日目からはさらに西に、サマセット州、デボン州(ダートムーアという広大な丘陵の国立公園がある)を経て、4日目にコーンウォールに入ります。
5. このように、語り手自らが言うように、「イギリスで最もすばらしい田園風景(原文は、カントリーサイド)の中を車で西に旅する」のですが、印象的なのは、旅に出てすぐの初日、おそらく有名なコッツウォルドの風景でしょうか、これを眺めながらの彼の感慨です。(訳書41ページ〜)
即ち[
(1)「イギリスの風景がその最良の装いで立ち現れてくるとき、そこには、外国の風景が−たとえ表面的にはどれほどドラマチックであろうとも−決してもちえない品格がある」

(2)それは「偉大さ」にもつながるが、「表面的なドラマやアクションのなさが、わが国の美しさを一味も二味も違うものしているのだと思います。問題は、美しさのもつ落ち着きであり、慎ましさではありますまいか。イギリスの国土は、自分の美しさと偉大さをよく知っていて、大声で叫ぶ必要を認めません」

(3)そして、「今朝、私が見た偉大なイギリスの風景」それこそが、他国に対して絶対的に優位に立っている、イギリスとイギリス人の「品格」なのだ・・・・・

6. 以上の述懐には、もちろん異論もあるでしょうが、これを語り手に言わせたイシグロが、長崎生まれ、5歳で両親(父親は海洋学者)に連れられてイギリスに行き、初めは短期赴任のつもりが、そのまま住み着き、彼自身、28歳のときに英国の国籍を取った人物である、ということにたいへん興味があります。

7.今回のGW連休、本書をゆっくり読んだのは、風邪を引いてしまい、けっこういつまでも治らず、微熱もあり、ということでほとんど外にも出ず、家でごろごろしていたことが大きいです。従ってPCも触らず、ブログも長く書かず、TVも新聞も一切見ず、世の中何が起きているかも知らず、もっぱら、「現実的効用をもたない世界」に身を浸し、イギリスの旅を想い、まことに愉しく過ごしました。