『日の名残り』と「夕方こそ一日でいちばんいい時間」」


1. 海太郎さん、いつも遅れますが、コメント有難うございます。
好きな小説を共有するのも楽しいですが、それぞれ好みが違うというのもこれまたいいですね。
それと、本を読み、イメージを膨らませ、「風景を訪ねる旅」というのも確かにいいものだ、と読みながら感じました。


2.因みに、これは孫引きですが、ナボコフという作家(ロシア生まれアメリカ移住)
が「小説の良き読者になるには、以下の4つが必要かつ十分で他は要らない」と言っているそうです。

その4つとは、
(1) 想像力(イマジネーション)
(2) 記憶力(メモリー
(3) 辞書
(4) ある程度の芸術的センス(この、「ある程度の」というのがミソですが)


2. 上の4つのうち、{2}記憶力と{3}辞書の意味について私の理解で補足すると、
まず、「{2}記憶力」は「想い起こす力」とでも言いますか。

例えば、前々回紹介したカズオ・イシグロの『日の名残り』であれば、
この小説の主題の1つは、語り手スティーブンス(以下S,ダーリントン・ホールという英国貴族の執事=バトラーをしている)と同じ屋敷の女中頭をしているミス・ケントン(以下K)との実らなかった恋物語です。
そして、別れて20年経って再会し、今は60代半ばになったSが「あのときこうしていたら恋が実ったかもしれない」と悔いを覚える・・・・
ナボコフの言う「記憶」は、これを読みながら、読者自身の「実らなかった」恋でも夢でも、何でもいいのですが、それを、自らの悔いや懐かしさとともに「想起する」ということだと思います。


3. また、「{3}辞書」という意味を私なりに補足すると、
同じく『日の名残り』の第2主題は、ダーリントン卿という貴族(Sのご主人)の思考と行動、その輝ける実績とその後の挫折と失意の最晩年、という物語の流れです。


彼は、1920年代から30年代、第1次世界大戦の敗戦国ドイツへの過酷な講和条件(再軍備禁止、巨大な賠償金、領土の割譲)に「過酷過ぎる」と批判的でした
(因みに、経済学者ケインズも同じような意見で、結局、欧州全体の自分の首を絞める結果になる、と警告を発しています)。

そこからドイツへの同情、ナチスヒットラー・ドイツへの共感につながり、イギリスの対ナチス「宥和・妥協・譲歩政策」に手を貸すようになる
それが、戦後、「国賊」と批判されるようになる・・・・・


物語の、この部分は、当時のイーデンやハリファックスの両外相、チェンバレン首相、リッベントロップ駐英ドイツ大使等々、歴史上の人物が出てきて、なかなか面白いのですが、

ナバコフが「辞書」という時、広くレファレンス(参考書、歴史辞典、人名事典等)を参照しつつ読むことの「愉しさ」を言っているのだろうと思います。

私もこのあたりの歴史は
イギリスの歴史家兼外交官だったE・H・カーの『危機の20年』(岩波文庫)や『イギリス現代史1900^2000』やその他、以前に読んだエドワード8世やシンプソン夫人の伝記などを参照しつつ、面白く読みました。


4. 因みに、イシグロは、もともとはプロの音楽家になりたかったそうですが、この小説も音楽的な構成で、シンフォニーかオペラを聴いているような気分になります。
上記した第1主題と第2主題(前者を短調とすると後者は骨太の長調)に他の小さな主題が加わり、変奏を重ねつつ、最終楽章を迎えます。


最終楽章でSがダーリントン卿やミス・ケントンとの再会を振り返り、悔いと懐かしさとともに、残り少ない人生を感じる。

日の名残り』の原題は“Remains of the Day”ですが、これはもちろんそういう自らの・残り少なくなった人生と同時に、大英帝国の落日やそこでの「貴族」や「骨の髄からの、本物の高貴な紳士」という存在が無くなりつつあることへ哀惜を意味しているのでしょう。


そこでSがミス・ケントンとの再会を終えて、最後に港町兼保養地に2泊した夕べ、海の見える桟橋に座って、土地の年よりと短い会話を交わします。


「自分の人生って、一体何だったのだろう?」とぽろっと気持を吐露するSに対して、もうリタイアした陽気な老人は
「夕方こそ一日でいちばんいい時間だ(The evening is the best part of the day)
とSに語ります。

そこでSは少し元気を貰ってダーリントン・ホールに戻ろうとするところで、小説は終わります。
ダーリントン卿は失意のうちに亡くなり、お屋敷は人手に渡り、アメリカ人の大富豪が住むことになりました。
「骨の髄まで英国紳士」だった前のご主人との違いに戸惑いつつ「新しい人間関係」も考えつつ仕えよう、という気持ちになります。



5. たしかに海太郎さんの言われるように「第2、第3の人生を切り開く」姿勢は大事だし、「夕方こそいちばんいいんだ」というのも素敵なせりふですね。


因みに、この小説を書いて英国最高の文学賞だそうですが、ブッカー賞を受賞したとき、イシグロはまだ35歳でした。