まだ『日の名残り』と1936年前後の英国

1. 我善坊さんコメント有難うございます。「あまり小説を読まない」のがこれは何度も読んだ、というところが面白いですね。
1つの理由に、いろいろな「読み」が可能だというこの小説の魅力があるように思います。ご指摘のように、老人の悔いという読みもあるし、もちろん恋愛小説でもあります。

2. ここでは、小説の背景としてのイギリスの1920〜30年代の状況について、面白くもない歴史の説明です。
即ち、第1次大戦が終わって国際連盟までできたのに、わずか20年でまた悲惨な第2次世界大戦が起きてしまった。
なぜ平和は守れなかったのか?
これが「危機の二十年」と言われる状況で、イギリスの歴史家E・H・カーは著書の中で、この研究から国際政治学や国際関係論という学問が生まれたと指摘します。
なぜか?その遠因に、ベルサイユ条約で決まった敗戦国ドイツに対する過酷な講和条件がある、という事実を前回のブログでも触れました。

3.1933年に政権を掌握したヒットラーナチス国家社会主義ドイツ労働者党)はベルサイユ条約の翌年1920年にはすでに発足しており、党是として、ベルサイユ条約の破棄、ゲルマン民族の自立(要は割譲された領土を取り戻す)、ユダヤ人排斥の3つを当初から掲げていた。


当時のイギリスにはこういうナチス・ドイツへの(1)シンパ(2)シンパまでは行かないが、妥協・宥和を図ろうとする考えの人たちがいて、特に(2)は首相チェンバレン(1937〜40)に代表される「宥和政策」の推進で、39年のドイツのポーランド侵攻まではイギリスの世論の大勢でもあった。
例えば、1938年に英仏独伊がミュンヘン協定を結び、チェンバレンがドイツのチェコの一部領有を認めるなどて大幅譲歩したときは、これで戦争は回避されたと英国内の大喝さいを浴びて、「彼をノーベル平和賞に!」という声が出たほどでした。
写真はミュンヘンにおけるヒットラーチェンバレン

3. こういうイギリス社会について背景や戦争までの流れを要約すると以下の通り。
(1) そもそも王室を始めとするドイツとの濃いつながり
―――大英帝国の象徴である在位64年(最長)のヴィクトリア女王の先祖、ハノーバー王朝の初代ジョージ1世(1713年即位)はもともとハノーバー王国の王でドイツ人。
以後、ヴィクトリア女王の夫アルバート公も、孫のジョージ5世の王妃などもドイツの貴族出身。


(2) 『日の名残り』に登場する・語り手スティーブンスの主人ダーリントン卿がまさにそうだが、前述した過酷な賠償金等を強いられたドイツへの心理的な同情


(3) 第1次大戦はまことに悲惨な戦いであり、「もう戦争はこりごり、何とか妥協・譲歩してでも戦争は避けたい」という国民心理

(4) 当時の国際状況。とくにイギリスは、全体主義ドイツと共産主義ソ連の新興勢力が組むことを恐れ、両者の間を割くために、当初はドイツとの妥協やむなしという戦略をとった


(5) 最後に、やはり大悪人のヒトラーに騙されたということ。

この時期、当時の外務次官のイーデンやハリファックス外相やもと首相のロイド・ジョージなどが何れもットラーを訪問し、「大変な人物だ」と感心している。

チェンバレンも前述したようにミュンヘン協定を結んで「成果をあげた」と帰国したが、ヒトラーには協定を守る意志など毛頭なく、ポーランドに攻め込み、さすがの英仏もポーランド援助の同盟義務を果たすべく宣戦布告、第2次世界大戦が始まった。
(責任をとってチェンバレンは辞任し、満を持して反ヒットラーチャーチルが首相になり、勝利に導くことになる。この時期まで彼は約10年閣外にいて、いわばひや飯を食わされていた)


というようなことになります。


4. そして、こういう状況の中で、前述した「ナチドイツへのシンパ」の代表としてジョージ5世の皇太子(後のエドワード8世、退位してウィンザー公)とシンプソン夫人が居ます。さらに彼らと親しいレディイ・アスターアスター子爵夫人)等がいて、さらにヒトラーが送りこんだ、駐英ドイツ大使フォン・リッベントロップが居ます(この2人は『日の名残り』に実名で登場する)。
この点を少し補足すると、

(1) リッベントロッップ(写真)はドイツ貴族出身、英仏語に堪能、ハンサムでイギリス社交界に人気があり、英国上流社会にナチスのシンパを増やすことに暗躍。
(彼はその後外相に転じ、戦後のニュルンベルグ裁判で絞首刑になる)


(2) 他方、エドワード8世は皇太子時代からナチス・ドイツに好意的で、シンプソン夫人はリッベントロップとの不倫関係やナチスのスパイだというゴシップが流れていた(何れもデマだったというのが定説)。

(3) ご承知の通り、8世は、2度も離婚歴のあるアメリカ人の平民の、とかくスキャンダルの多いシンプソン夫人と結婚を決意。国論を二分する騒動になったが、結局、時の首相ボールウィンの決断でしぶしぶ退位を迫られ、ウィンザー公爵となる。

ウィンザー公となってからも、ヒトラーに会いにドイツに行ったり、戦争が始まっても「自分が国王だったらドイツとの戦争は避けられた」と発言したりしたりする。
また戦中、ヒトラーはひそかに、彼を仲介者として、イギリスとの和平を探ろうとする(もちろん、アイディアで終わってしまうが)。


というような流れの中で『日の名残り』の物語は進行します。
1938年のミュンヘン協定の下準備に、ダーリントン卿が活躍してダーリントン・ホールに、秘密裏に、首相と外相、リッベントロップの3人に来てもらって、会談するという重要な出来事が出てきます。
もちろんフィクションで、さすがに、首相と外相の実名は出ませんが、時代から推測すると、もちろんチェンバレン首相、イーデン外相ということになります。
(イーデンはその後、宥和政策に抗議して辞任、ハリファックス卿に変わる)


長くなるのでこの程度にしますが(本当はレディ・アスターの存在なども面白いのですが)、以上は、
日の名残り』を読む際の背景説明として書いてみたものです。