フロリダでの黒人射殺事件の判決とオバマ大統領


1.「ソーシャルビジネス町家塾」の講師として、京都に2泊して田舎に帰ってきたばかりです。
京都到着が17日のお昼過ぎで、地下鉄四条駅から仕事場のある堀川近くの町家までいつもの通り四条通りを歩きだしたところ、人出で動けなくなりました。
祇園祭山鉾巡行の日だということを忘れていました。
ちょうど巡行が終わって、鉾がそれぞれの町内に帰ってきて手打ち式をしてから後片付けをしようとするところで、「祭りのあと」も見ようとする人たちが集っていたのです。
いい機会にめぐり合ったと、こちらも暫く眺めました。

2.田舎でゆっくりPCに触り、前回の拙ブログへの海太郎さんのコメント拝読。有難うございました。


「・・・ブログに書いて自己満足するだけでなく、なにか一歩踏み出せないか。
フェイスブックで意見を開陳するのも一法か。それと新聞への投稿。・・・どうしたら、いいでしょうね?」
という問いかけについてですが、お気持ちよく分かります。


2.この問題を私なりに考えてみると、以下、珍しくもない意見と言われそうですが、
(1)まずは「自己満足」でもよいのではないか、という気がしています。
何事も、自分のための「学び」と「考えの整理」と「記録」になればよいというスタンスで、仮に他の人が1人でも読んでくれればむしろ儲け物という気持ちを失いたくないと思います。


(2)それでも私たち一人ひとりが「意見の開陳」することは、他人の誹謗・中傷をしないといった一定の制約とマナーのもとで、選挙への投票を含めて大事なことでしょう。

(3)「開陳」の手段として、ツイッター、FB、新聞投稿(何れも私はやりませんが)等も有効でしょうね。
ただ、何れにせよ、まず「よく学び・よく調べ・よく人の意見を聞き・よく考え」、その上で「自分の意見を言う」というプロセスが大事ではないでしょうか。

(4)最後に、「開陳」の手段に、直接的な行動、抗議デモに参加するという行動もありますが、なかなか一般庶民には時間や周り・職場の制約等もあるでしょう。


3.抗議デモについてはご承知の通り、アメリカでは、国家によるプライバシー侵害の問題と黒人の少年射殺事件の無罪判決(13日フロリダ)に対する抗議デモが盛んです。

後者についてはここで詳しく書く余裕はありませんが、
(1) 昨年2月フロリダ州の小さな町で起きた事件。ヒスパニック系白人の自警団員ジョージ・ジンマーマン(Z)被告が不審にみえた17歳のトレイボン・マーティン(M)を尾行し、それに気付いたマーティンと格闘の末、持っていた拳銃で射殺した事件。
(2) 検察側は罪もない、丸腰で、近くのコンビニに買い物に行く途中の彼を人種偏見から最初から怪しい人間と判断した殺人と起訴。
弁護側は裁量の余地の大きい「スタンド・ヨア・グランド法(Stand-your-ground law)」といわれるフロリダ州法に照らして「正当防衛」を主張
(3)13日6人の陪審員(全員女性、ヒスパニック1人白人5人)が「正当防衛」で無罪の結論を出して、判決が確定したものです。
(4)この事件、決め手になる証人や証拠がなく、目撃者も居ないため、「起訴」する側にも困難が伴いました。
当事者の片方が死亡し、被告しか生き残っていないので、なぜMを怪しいと思ったのか?なぜ尾行したのか(Zはこの時点で警察に通報しているが、電話に出た警察官は「尾行はやめろ」と言ったという)?格闘はどちらが先に始めたのか?Zは外傷を負っているが、どの程度、生命に危険を感じる状態にあったか?「助けて」という叫び声を住民が聞いているが、どちらの声だったのか?
等々、被告の言い分しか聞くことが出来ず、真実は分からない。
(5)しかし、判決が出た以上、法治国家としてこれを尊重せざるを得ないが、黒人社会を中心に抗議の声が上がっている。

という状況です。


4.この事件について、直後にオバマ大統領は「遺族の悲しみへの同情」とともに「判決は尊重しよう」という短いコメントを発表しただけでした。
その大統領が、1週間経った19日異例の記者会見をして、心情を吐露した、というので話題になっています。
20日付けのワシントン・ポスト紙の記事から以下要約します。


(1) 大統領はまだイリノイ州の議員だったころから、自分がアメリカ社会で黒人としてどう生きてきたかについて公に語ることは殆どなかった。
2008年初の黒人大統領として選ばれた選挙運動とその後も、側近はこの問題に触れることを戦術的に避け、むしろ彼は「ポスト人種問題の世代」の代表というイメージを一般に与えてきた。


(2) しかし、彼は19日異例の・予告のない記者会見を行い、きわめて個人的なトーンでこの事件への自らの思いを、淡々と、時につっかえ、時に考えながら、自らの言葉で語った。
・ もちろん、判決を尊重する立場で、これへの批判は一切なく、
・ ただ、正当防衛を広範囲に認めるフロリダ州法への懸念や銃規制の必要性については簡単に触れ、
・ 黒人差別問題への社会の対応は現状はるかに前進していることも認めた上で(「私の2人の娘は、私の子供時代よりはるかに良い時代に生きている」)
・ また、様々な理由から、非行と犯罪の割合が平均より飛びぬけて高い等、黒人の若者自体にも問題が大きいことを認めた上で、

(3) その上で、人種差別について国民ひとりひとりが、自分の心にもう一度問うて欲しい、考えて欲しい、自己分析(soul searching)をして欲しい、と呼びかけました。


(4)黒人の現状についてこうも語りました
「35年前の私は、おそらく射殺された少年トレボンと見分けが付かなかっただろう」
「黒人の若い男性であればいままでに以下のような経験を何度もしているだろう。
・ デパートで(店の警備員から)付けられたこと
・ 路上を歩いていたら、路肩に車を停めた車内に居た人が車のロックをする「カチッ」という音を聞いたこと
・ エレベーターに2人だけ乗り合わせたとき、同乗の女性がその間ずっと、ハンドバッグを握り締めていたこと
そして、私も(議員になる前のことではあるが)何度も同じような経験をしている」


5.WP紙の記者はこの記事を以下のように結んでいます。
――「私たちみんなが、(この人種差別問題について)何らかの自己分析(soul searching)をすることが大事ではないかと思う」とオバマ大統領はこの日、記者たちに語った。
はっきりと言えることは、少なくとも彼は、彼自身の自己分析をすでに済ませてこのスピーチをしたのだ」


6.最後になりますが、こういう報道を読んで私が感じるのは以下のようなことです。

(1)こういう問題で自分自身の意見を開陳する意味はあまりなかろう
(2)しかし、こういう事実をブログで知らせることは、他の方がどう思うか分からないが、私としては意味があると感じている
(3)なぜならそれは、アメリカだけの問題ではなく、社会的弱者に対する私たち日本人の思考と行動とも無関係ではないのではないか、と思うから。