残暑の京都:追悼樋口和彦先生

1. さわさきさん、コメント有難うございます。たしかに「人間宣言は最大の転向」とは面白い言葉ですね。
ジョン・ダワーは『敗北を抱きしめて』でこれを「魔法のような変身」と書きます。
有名な福沢諭吉の言葉「一身にして二生を経る」は維新の前後を生きた自らを語ったのですが、昭和天皇にいちばんあてはまるように思います。


2. 更新とお礼が遅れましたが、京都滞在のことを書きたいと思います。

26日(月)の朝、仕事で京都に向かう途中の新幹線の中で古巣の大学事務局から電話をもらい、樋口和彦前学長の訃報を知りました。享年86歳。


3.27日(火)の夕べに「前夜式」翌28日(水)午後1時から告別式。
場所は京都丸太町教会で、生前実に幅広い活動をされただけに(丸太町教会牧師、同志社大神学部教授、京都文教大学学長、日本いのちの電話連盟理事長、自宅で40年間臨床心理士として心の病を抱えるクライアントに接する活動・・・)、実に大勢の参列者で献花の長い列が続きました。
経歴から言って当然ですが、政治や経済や会社関係といった人は皆無で、故人と個人的につながっている方ばかりだろうなと思いました。

神学博士で臨床心理学の超一級の権威ですが、接する限りは真面目な学者・研究者というより実践家・活動家、いわゆる英語でいう人間大好きな「ピープル・パーソン」、
「いつもにこやかで、楽しいことが好きで」、好奇心旺盛で、手品と冗談が得意で、まったく気の置けない先輩という感じでした。

著名な故河合隻雄氏と2人で日本の臨床心理の草分けといわれ、同氏とは「生涯を通じて、尊敬とユーモアに満ちた深い親交で結ばれた」。
もっとも私は教会での説教や授業を聞いたことがないので知らないだけで、専門の分野ではもちろん権威のある先生だったはずです。


4.キリスト教の葬儀というのは、すべて現代日本語で行われ、分かりやすいです。
聖書の1節も一同で歌う讃美歌も、故人が生前好んだものを、牧師が、場合によっては事前に自ら、選ぶわけで、牧師の説教もそういった点に触れつつ、聖書の言葉を解説されて、故人を偲ぶ気持ちを強めてくれました。今回の葬儀では、
「やがて会いなん、愛(い)てしものと」の繰り返しのある讃美歌489番
(私だって、「やがて会いたい愛てしもの」が何人も居るなあと思いつつ、唱和し)
「いつか主にむすばれつ、世にはなきまじわりよ」で終わる532番
(私は信者ではないから、主にむすばれることはないけれど・・と考えつつ)
の2つが選ばれて、歌いました。

最後に、教会の前で出棺を見送るときには、よく知られた讃美歌405番「また会う日まで」を歌いつつ、別れを告げました。
花のあと、希望者はお棺にお別れを告げてもいいと言われて私も参加しました。
お棺の中で背広姿で寝ておられ、ネクタイがいつも見慣れているもので
「このネクタイいつも締めておられましたね」
「いちばん好きでした。日ごろ、どのネクタイにしようかと迷って、これを選んでしまうことが多くて・・・」
という会話を喪主である奥様と交わし、
「1本しか持っていらっしゃらなかったんじゃないですか」と、樋口さんならこの程度の冗談をむしろ喜んでくれるだろうと思いつつ、まことに不謹慎な言葉まで口にしました。


5.たぶんアメリカに一緒に出張したときも、このネクタイではなかったか。


私事ながら縁あって、京都の大学に勤務し、樋口氏が学長のとき、学長補佐という立場で2期4年を過ごしました。
学長室の隣に部屋を貰って座っている時間が多かったのですが、お互いが学内に居る日は、必ず一定の時間をどちらかの部屋で2人で過ごし、楽しくお喋りをしました。
「私は不真面目ないいかげん人間だから、悩みは持たない方だし、仮にあっても人に話すタイプではないから、あなたの信者やクライアントにはなりませんよ。
お客を増やそうと思っても無駄ですよ」
と憎まれ口を叩き、彼は笑って聞いていました。


大学をどう改革していくか?を考えるという仕事もあって、2人で話し合っているうちに、「アメリカの大学を訪問しよう」という話になって、2000年の5月に2人で10日間アメリ東海岸に出張したのが、いちばん記憶に残っています。


その体験をもとに丸善から『なぜアメリカの大学は一流なのか』という本を出したのですが、同時に、新しい学科を作るアイディアやヒントを得ることができました。


樋口さんと過ごした旅自体なかなか楽しいものでした。
一般に、男性2人だけで(しかも相手は上司で)長時間飛行機で隣り合わせて、宿舎もいつも同じで、10日も付き合うというのは、相手によっては決して楽しいばかりではないのではないかという気がします。
しかし、この旅行はお互いに気まずいこともなく、楽しく、かつ僭越ながらお互いに学びあう時間だったと思います。
この間、彼が不機嫌になったり感情的になったり、外部の人間(例えばホテルのサービスに)に不満や不平を漏らしたのは見たことがありませんでした。
ニューヨークでレンタカーをしてニュージャージー州にあるラトガースという古くからある大学を訪問したときも、私の乱暴な運転に少しも心配そうな様子を見せませんでした。


彼が若き日に留学した(そして、その昔、新島襄も学んだ)ボストン郊外のアンドヴァー・ニュートン神学校に連れていってもらい、静かなキャンパスを歩いたのも、いい思い出でした。

6.最後になりますが、今回もともと京都には、仕事があって出かけたわけです。
もちろん東京か田舎の家に居ても葬儀のためだけに出かけたと思いますが
(9年前私の母が亡くなったときは、京都からはるばる東京の葬儀に出席されて、家族一同驚きました)、
事務局から訃報を知らせる電話を聞きながら、「ああ、樋口さんが呼んでるな」と一瞬思い、予約していたビジネスホテルの滞在を2日伸ばし、もちろん喪服も用意していないので貸衣装屋に駆けつけました。
喪服の貸衣装があるだろうか?とホテルのフロントに訊いてもよく分からず、京都のことなら何でも知っていると信頼する友人の某氏に携帯から照会したところ、すぐに探してくれました。
彼は、直ちに、京都が本社の大きな葬儀会社・公益社に知っている人がいて訊いてみてくれ、ここが契約している貸衣装屋ならOKということで、公益社からあらかじめ電話を入れてもらい、すべて順調に借りられました。
さすが、持つべきものは友人、と感謝した次第です。
このお店は四条河原町の近くにありますが、「株式会社ハヤセ婚礼衣装店」という名前で、当然に「婚礼と喪服衣装店」とは名乗っていません。ホテル側が見つけられなかったのは無理もないかもしれませんね。