京都―市バスに乗って上七軒へと「学問のすすめ」

1. osamuさん久しぶりに有り難うございます。
福沢諭吉の『学問のすすめ』を読まれた由、ブログを拝読しました。
http://osamu.blog.eonet.jp/weblog/2013/08/post-c778.html
彼の日本語は明治の人にしては読みやすいので、出来れば原文にも目を通して頂くといいなと思います。
「天は人の上に人を作らず・・・」の出だしが有名ですが、「人をして人を毛嫌いするなかれ」で終わる末尾も記憶に残ります。
しかも彼は生前、人の好き嫌いが激しかったそうですから、これは自戒の言葉なのか、それとも「毛嫌い」とあるから第一印象で判断するな、まずよく知りあうことが大事だと言いたいのか、或いは個々の誰それと言うより「人間という存在とその多様性」を好きになれというメッセージなのか、考えると面白いです。

2. 前回に続いて今回も、残暑の京都滞在の話です。
「ソーシャルビジネス町家塾」の担当の最終回で2日間、塾生と付き合い、面白かったです。
いままでの私の担当は大学のゼミにならって、1冊の本をテキストに、自分で考え、発表し、話合い、他者との付き合いと「多様性」の大事さを再認識する機会でした。
(僭越ながら、私の「学問のすすめ」になるかな、と思って)


「塾」は9月末で終わり、自分の信じる道をまた歩いていくわけですが、皆さんの健闘を心から祈ります。
どうやって歩いていくか、各自が自分の「事業プラン」(「新たな起業」だけでなく既存の仕事の発展でも再就職でもいいわけですが)を練り、悩んでもいるわけです。
そこで、最終回はそれぞれの「これからの働き」について語り合う機会になりました。
私は、ホワイトボードを使うのが好きなので、汚い字で、「発言と言葉」をその都度、整理しつつ話合いを進めました。

3. 私から多少のアドバイスをする他に、当方にとっても知らない世界を知ることは興味があります。
例えば、某さんは、母親が50年近く美容院をやっている。自分も美容師の資格をもち、店を手伝いつつ長年NPOのリーダーとして、主に子育て中の母親の支援や地域を元気にする活動を続けてきた。
その接点で、美容院の事業を少し改革して、乳幼児を連れても来られるような場所にしたい、同じ状況の母親が、高齢のお客も含めて交流する場も作りたいという「プラン」を具体化しようとしています。いいことだと思います。
そういう話の中で
「ビューティ・サロンとカット・ハウスとの違いは何か?」
「美容師と理容師はどこが違うか?」
など面白く聞きました。日本の「美容院」や「床屋」は日本独特の庶民文化なのだなとあらためて思いました。


某々さんは、大学院生で将来の研究者を目指しながら、NPOと学校教育の接点・連携をテーマに研究と実践を続けています。
その経験から、「荒れた」公立の中学・高校の実態、学校側の対応の難しさや問題点なども具体的に聞き、生々しかったです。
例えば、地方のVIP(地方議員など)の子弟が虎の威を借りて教員をいじめて、ノイローゼになった教員が退職してしまった・・・というような話。
それと、いつも思うのですが、日本には「ほめる文化」がまだ欠けているのではないか、を痛感しました。それはまさに「多様性を評価する文化」と不可分だと思います・


4.「塾」を終えてから、夜の約束はまず、上七軒歌舞練場のビア・ガーデンです。
上七軒は京都でもいちばん古い花街だそうで、西陣に近く、華やかなお茶屋が並んでいたようですが、いまは西陣も往時の賑わいはありません。
それでも歌舞練場が夏の2カ月だけ庭をビア・ガーデンにしたところ評判になり、予約も難しい状況だそうです。京都の友人が早くから予約を取ってくれて行ってきました。
上七軒の舞妓さん・芸妓さんがお客の間を回って歓迎の言葉を掛けてくれるのが売りの1つです。彼女たちは10月には「踊りの会」があり、その練習で忙しくなるので、ビア・ガーデンも9月初めには閉めてしまいます。ごく短期間というのも人気の理由にあるでしょう。

私は世間話が苦手で、こういう女性との会話は得意ではなく、テーブルに来てくれた舞妓さんの1人とごく短時間話しました。友人が写真を撮って「ブログに載せなさい」と強要(?)してくれました。

写真の舞妓さんは、孫とほぼ同年の・まだ16歳。横浜出身だそうです。
テレビで見て「なりたい」と思ったそうです。この道に入って1年、踊りや京都弁の猛勉強中の由。彼女も若いなりに、自らの「生き方・働き方」を自分で選んだ訳です。
因みに上七軒も昔の栄華はいまは無く、芸妓さんは20人、舞妓さんは彼女を入れて6人しかいないそうです。
歌舞練場のビア・ガーデンの繁盛が商売挽回のきっかけになるといいですね。


4. 最後に、市バスに乗っての感想です。
京都駅から市バスで「北野天満宮前」まで約40分、目指すビア・ガーデンはここで降りて歩いて数分です。
バスの窓から夕暮れの街をぼんやり眺めるのはいいものです。夕食の買い物に出掛ける主婦や、仕事帰りのサラリーマンの姿などに、「日の名残り」を感じます。


北野天満宮前」までは停留所が20近くありますが、京都駅を出ると
次に停まるのは「七条西洞院」、バスの表示はローマ字で「ななじょうにしのとういん」とあります。京都らしい名前だなと思いつつ何気なく、バスが走る「七条通り」にある表示を眺めたら「しちじょうどおり」とかなが振ってある。
そしてバスは北に向かって次の停留所は「西洞院六条」、さらに走ると「五条西洞院」。
「四条西洞院」から西に折れて堀川通りに入るとまず「四条堀川」以下「堀川蛸薬師」そして「堀川三条」・・・とバスは行く。
面白くなって、停留所の名前をすべてメモしたのですが、何を面白いか?と言うと、
「なぜ、七条、五条、四条は先に来て、六条、三条はあとにくるのか?」
「なぜ「蛸薬師堀川」とは言わないのか?」
合理的な理由があるのか?暇にまかせて車内でいろいろ考えたが(例えば、通りの広さとか通りの「格」とか、停留所の場所・位置とか)思いつきません。
そう言えば前に雑文に書いたこともありましたが、河原町通りの交差点の名前が
河原町三条」で「四条河原町」。なぜだろう?
どうでもいいではないか、下らない、と言われてしまえばそれまですが、何となく気になるのは、何でも、ルール化した方がよいと感じる東京人の感覚でしょうか。

「理由なんて特にない。昔から、そう呼んでいただけ」と言われそうですが、
大げさかもしれないけど、
こういうのも「多様性」を認め・評価する文化につながるのではないか、京都にはそれがあるのではないか・・・
と感じた次第です。