京都で映画「終戦のエンペラー」を観る

1. 我善坊さん、南十字星さん、柳居子さん、まことに有り難うございます。
「しち」と「なな」、回答(さすが京都人!)と補足説明(海軍とはさすが蘊蓄!)というやり取りが有難いです。序でに言うと、このバスの案内はローマ字で外国人用と思われ、彼らは「shichi」は日本人以上に発音しにくいのでしょうね。
鉄道唱歌も懐かしいし、南半球シドニーの様子も懐かしく、嬉しく拝読しました。また訪れたいものです。
因みに「西洞院(にしのとういん)」の「洞院」とは上皇法皇の居所のことだそうで、まさに京都にしかない地名でしょう。


2. さて、前々回、京都で葬儀が入って滞在を延長したと書きました。
この日午前中の時間が空いたので、涼を求めて新京極の映画館で「終戦のエンペラー」を観ましたので今回はその話です。
ほぼ同じ時間帯で宮崎駿監督の「風立ちぬ」もやっており、これは友人から「必見」と言われていたので迷ったのですが、結局「エンペラー」を選び、なかなか面白かったです。

敗戦直後の日本が舞台で、マッカーサー元帥以下GHQ(連合国総司令部)が日本の占領統治を始める、
その際、大きな問題の1つが、天皇の処遇とその戦争責任でした。
天皇に開戦の責任はあるか?来るべき極東軍事裁判において東条英機などとともに軍国日本の指導者として戦犯に該当するか否か?


アメリカの世論やソ連、中国などはかなり厳しい姿勢でした。
例えば、アメリカの著名な日本研究者でMIT教授のジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』(邦訳)によると、
・・・「戦争終結の6週間前に行われたギャラップ調査によると、アメリカ人の70%が天皇を死刑もしくは厳罰に処することを支持していた。上院がこれに加わり、1945年10月16日、マッカーサーは統合参謀本部から、「日本の国際法侵犯に対する天皇の荷担と責任を示す証拠を、直ちにすべて収集せよ」と指示を受けた」
あるいは、
「元駐日大使ジョセフ・グルーのような、日本の外の強力な天皇制擁護論者たちでさえ、少なくとも天皇が宣戦の詔書に署名した責任だけは避けられないと考えていた」・・
とあります。
このように、「敗戦の時点においては、天皇制とくに天皇個人は、非常に危機的な状況におかれていた」


ところが、これまたジョン・ダワーによると、実は、
マッカーサー最高司令官の天皇処遇方針の基本は、降伏以前にすでに確立していた」のであり、それは占領政策を円滑に実施するために天皇天皇制を守るというものであり、この方針を立てるに当たって「最重要の人物」はボナー・フェラーズというGHQの将軍の1人(准将)だった。
昭和天皇を救った恩人は彼だった、と言えないこともありません

そのフェラーズがこの映画の語り手であり、主人公です。
映画は、彼とかってアメリカの大学に留学していた日本人女性との恋物語などフィクションもありますが、以上のような敗戦直後の天皇や戦犯をめぐるGHQの対応については史実にかなり沿った内容になっていると思います。


かつ、アメリカ映画にしては、フェラーズ氏の好意的な日本観や天皇観が強く出ています。
因みにジョン・ダワーは天皇の戦争責任についてもう少し厳しい見方をとっています。


3. 「アメリカ映画にしては」と言うのも当然で、この映画の製作プロデューサーは、奈良橋陽子というアメリカの映画界で活躍する日本人女性です。

(1) しかも彼女は、天皇の側近の1人であった当時の宮内庁の関屋次官の孫娘であ
り、同氏は映画にも登場し、フェラーズに答えて天皇について語る。
彼女によれば、製作の意図は

「ハリウッド映画として、アメリカ人も日本人も知らない事実を描くことに意味があると思った」
「(映画の製作にあたって)アメリカ人は事実を徹底的に調べるし、お金をかけて描く。そこはハリウッド映画の良さだと思う」


(2)彼女は、また「3.11大震災の再建へのメッセージを込めたかった」とも語る。
終戦の焼け野原からの復興と同じように、日本に励ましのエールを送りたかった」とも。


(3)製作者である以上、キャスティングにも関わったはずですが、日本の俳優も英語を喋る必要があり、選定には苦労したと思います。結果的には彼らの英語がなかなか上手で、これも映画の成功の意外に大事な側面と思いました。
かなり特訓を受けたようですが、それにしても、
フェラーズの通訳兼運転手役を演じる羽田昌義、フェラーズが恋する日本人女性を演じる初音映利子、その叔父の陸軍大将(西田敏行近衛文麿役(中村雅俊)関屋次官(夏八木勲)等、なかなかきれいな英語で、感心しました。

4. 紙数がなくなったので最後に、フェラーズ准将について簡単に触れますと、
日本人女性との恋物語はフィクションにしても、かなり知日派親日派アメリカ人だったようです。
敗戦直後のGHQにこういうアメリカ人が居たことはたしかに日本にとって幸運だったでしょう。


(1) 日本降伏後に書いた私信のなかで「1922年以来、ずっと日本が好きだった」と書いている(ジョん・ダワーによる)。
(2) その背景の1つに(これは映画では言及されないが)グエン・寺崎が親しい従妹だったということがあるようだ。グエン・寺崎は戦争開始直前のワシントン大使館に居て日米の危機に苦悩した外交官・寺崎英成の妻であり、戦後『太陽にかける橋』を出版してベストセラーになり、夫は戦後、皇室付きとなり、GHQとの連絡役ともなった。『昭和天皇独白録』の著者でもある。
(3) しかも映画のプログラムによると、戦前から小泉八雲ラフカディオ・ハーン)の長男一家と親しく、八雲の著作を読むことで日本理解を深めた。

これらの事実を知って、私があらためて思うのは、日本を知り・関心を持ち、友人を持つ世界の若者を育てることの大切さです。
アメリカに限りませんが、日本に友人を持ち・関心を持つ若者が増えるように日本人一人ひとりが考え・行動すること。
もちろん逆もまた然りで、日本の若者が、他国の若者と交流し、友人を作り、文化に興味を持つ、そういう機会が増えること。

その中から、1人でも2人でも、いつの日か、ボナー・フェラーズのような、或いはグエン・寺崎のような「2つの国」のかけ橋になるような人物が出てくることを期待したいと思います。
今は、羨ましいことに、私たちの時代と違って、こういう機会がはるかに容易になっているでしょう。
しかもそれが遥かに・遥かに困難だった明治の日本には、新島襄のような内村鑑三のような日本人が居ました。
いまはどうでしょうか?ナチスを語る政治家しかいないとしたら悲しいですね。