「終戦のエンペラー」:昭和天皇とマッカーサー

1. 前回のブログで、映画「終戦のエンペラー」のことを書きました。
映画を観たのは8月末ですが、その後また京都に行き、昨夜帰ってきたところです。
猛暑も豪雨も終わったようで助かりました。
京都と言っても、いつも観光には縁も時間もなく、同じところに泊まり、仕事と従妹夫婦や友人との会食で終わりです。
今回は1つ家人に頼まれた買い物をしてきました。
もっとも京都の買い物と言っても、特産のお漬物といったたぐいではなく、「大丸」の台所用品売り場で「ブリッツ」というドイツ製の「フキン」を買っただけです。6袋入って2000円。

家人によると、これがたいへん便利で重宝しているが、東京でどこを探しても見当たらない。
ということで頼まれた方はよく分からず、そもそも百貨店に「台所売り場」があるのも初めて知ったような次第で、店員さんに教えてもらって無事に購入し、買って帰って家人には大いに感謝されました。
ところが本日、品物の表示を見て、ネットで検索したら、「大人気のドイツのフキン」と銘打ってちゃんとアマゾンや楽天で売っていました。


何だか笑い話みたいですが、いまの世の中、ネットのお店で品物を探す時代になったことを痛感しました。
逆に言えば、そういう時代にあえて百貨店で台所売り場を維持してネットショップに対抗して「ドイツ製フキン」を売っているという京都の百貨店の姿勢や販売方針にも、「これも京都的こだわりかな」などと肩入れしたくなりました。

2. 前置きが長くなりましたが、今回も「終戦のエンペラー」を補足します。
敗戦直後の日本で、占領政策を円滑に遂行するためには昭和天皇の地位安泰が不可欠とするGHQの方針を貫徹することに尽力する、マッカーサー(以下「M」とも略す)の側近で親日派の准将、ボナー・フェラーズが語り手かつ主人公の映画です。

フェラーズは戦争が終わる前からこういう考えを持ち、文書にも残していますが、最終的には1945年10月2日マッカーサーあてメモを提出します。
これを受けてマッカーサーは翌年1月25日、アイゼンハワー陸軍統合参謀総長あての極秘電報を打ちます。
以下、ジョン・ダワーの著書からの引用ですが、


――天皇の戦争責任を調査せよというワシントンの指令への返事であるこの電報のなかで、マッカーサー天皇擁護のためにあらゆる努力をはらった。
「調査はすでに実施されたが」、過去10年の間に裕仁が日本の政治的決定に関与したといういかなる調査も発見されなかった。マッカーサーは、天皇を「日本国民統合の象徴:」であるとし、もし天皇が告発されるようなことになれば、国民は「深刻な動揺」によって「ばらばらになり」・・・政府機関の機能は停止して・・・近代的な民主主義を導入する望みはすべて消え、占領軍が去ったあとには「ばらばらになった大衆のなかから、おそらく共産主義の路線に沿った強力な統制が生まれてくるだろう」と警告した。


以上のようなマッカーサー司令部の判断がどこまで的を得ていたかについては、議論が分かれるかもしれませんし、著者のジョン・ダワーは天皇の戦争責任を含めて少し距離を置いた見方をしています。

しかし、これによって、天皇民主主義が守られたとは言えるわけで、この時点ですでに「象徴」という言葉が使われていることは、その後の憲法制定の経緯を知る上で」貴重な事実でしょう。
さらに言えば、憲法9条もまたこのような文脈の中で生まれてきたわけで、1条(象徴天皇制)と9条とがセットになって、戦後の日本にさらなる懲罰を課そうとする一部の戦勝国に対して抑止効果を果たす強いメッセージとなったということは、私たちが知っておいてよい歴史の1コマだろうと思います。


3.なお、
この映画は、1945年9月27日の昭和天皇マッカーサーとの面談の場面で終わります。
つまり、上述したフェラーズのMあてメモの直前で、この面談がMに強い印象を与えたというのが通説になっています。

(1) この日の面談は、占領下計11回に及ぶ面談の最初。
(2) マッカーサーは65歳、天皇は44歳
(3) 場所はMの執務室ではなく旧アメリカ大使館内の元帥個人の住居。
(4) 「普通、これは吉田茂の発案であったとされている。しかし、フェラーズの同僚によれば、降伏調印式の翌日、外務省に招待の意を伝えたとのこと。
(5) そして2人の写真が29日の新聞に掲載され、「日本全体があの写真に出会ったのである。それは全占領期間を通じて最も有名な画像」であった。

この写真についてジョン・ダワーはこう書きます。
「見る者すべてにマッカーサーの確固たる権威を印象づけたし、同時に、マッカーサー天皇を受け入れたことを目に見える形で示した」
さらに
「この写真は、大半の日本人が日本の敗北とアメリカの支配を心から充実した瞬間となったと言われてきた。
しかし同時に、最高司令官は天皇を歓待しており、天皇のそばに立っている(stand by the emperorという英語は「いつでも天皇の力になる」という意味を含む)ことを明確にしたものでもあったということである」
最後の1節は、アメリカ人らしい捉え方だなという印象を持ちました。

3. 最後に触れておくと、映画は、天皇がMと2人だけ(プラス通訳)で部屋に入ろうとして「戦争の全責任は自分にある」と言いかけ、それを聞いてフェラーズが天皇の発言がMに好印象を与えることを確信して、笑顔で部屋のドアを閉めるところで終わります。

この発言が本当になされたどうかの真実はいまもって分かっていません。
再びジョン・ダワーの言葉を借りると、
「Mは、天皇は「日本第一の紳士」であったと述べて、この会見を天皇のイメージの美化に利用した。Mは、裕仁はみずから戦争に責任を負うと語ったと自分の側近に言い、のち自分の回想録にもこの英雄的な挿話を記している。」
しかし、著者はこの文章のあと、

「Mをめぐる有名な話の多くがそうであるように、天皇が自分の一身をもって戦争責任を負うと述べたというのは、ひいき目に見ても、天皇の実際の発言を飾り立てたもののようである」
とクールに補足し、

他方で映画はMの回想をもとに、この脚本を書いているでしょう。
歴史の真実というのは、なかなか難しいものです。