いまなぜマッカーサーか?と「歴史とは何か」(E.H.カー)


写真は台風18号前の京都鴨川です。各地の被害、その後の後始末さぞたいへんだったでしょうとお察しします。

1. お礼が遅くなりましたが、我善坊さん、arz2beeさん、南十字星さん、まことに有り難うございます。
何れもたいへん興味深いご指摘や問題提起で勉強にもなりました。


長文のコメントにもすっかり考えさせられ、いろいろとフォローしたくなりますが、まずはarz2beeさんに私も同意見で、「終戦のエンペラー」は良くできた映画で、いま、こういう映画が作られるのは意味があるだろうと思います。


2. ということで、いまなぜ昭和天皇マッカーサーなどという70年前の歴史を取り上げるのか?を以下に整理したいと思います。

(1) もちろんたまたま上記の映画を観たという契機がある
(2) 同時に、「いよいよ憲法の季節がやってきた・・・」と日経の論説委員長がちょっと嬉しそうに(?)書く状況にあって、もう一度、あの戦争と敗戦、占領と戦後を振り返ることが必要ではないか。つまり今の憲法はそういった歴史から生まれたということ。
(3) それは、中国や韓国が反発する「歴史認識」について、夫々が自分なりに考えることにもつながる
憲法9条は、日本がアジアとどう関わるかという問題でもある)
(4) そして、まさに、arz2beeさん南十字星さんが言われるように、無論私も「学校で現代史を学ばなかった」。だからこそ、いま、「学ぶ」必要があるのではないか。

この点を最後に補足する意味から、「歴史」について英国の歴史家E.H.カーの言葉を以下に紹介します(『歴史とは何か』岩波新書から)

(1)「歴史とは解釈のことです」

(ちょっと長い引用ですが、上記の文章の前は)
「事実というのは、決して魚屋の店先にある魚のようなものではありません。事実は、広大な、時には近よることも出来ぬ海の中を泳ぎ廻っている魚のようなもので、歴史家が何を捕えるかは、多くは彼が海のどの辺で釣りをするか、どんな釣り道具を使うか―もちろんこの2つは彼が捕えようとする魚の種類によって決定されますが―によるのです。全体として、歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです」

(2)「現代の眼を通してでなければ、私たちは過去を眺めることも出来ず、過去の理解に成功することも出来ない、ということであります。」

(3)と書いて、カーは以下の・よく知られた言葉でこの章を結びます。
「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります」

3. 以上いささか硬い内容で始まりましたが、
皆様ご指摘の「昭和天皇マッカーサーの最初の会見」ですが、
おそらく皆様の理解は、事実(天皇が何を言ったかとか)はともかく、歴史家の「解釈」とはおおむね同じではないだろうかと思います。


(1)例えば、『マッカーサー』(増田弘、中公新書)は以下の通り。
―――こうしてマッカーサー(以下「M」とも)と昭和天皇の初対面は成功裡に終わり、以降、両者はたびたび面会し、世界の諸問題を話し合うなど占領の円滑な進展に大きく貢献する。
もしも占領軍の総帥が、天皇制存置を否定し、天皇の戦犯逮捕を肯定する人物であったとすれば、一体占領はどのように変化していたであろうか。(略)
日本の歴史に通じ、天皇制に好意を寄せ、天皇の権威を利用して円滑な占領行政を企図したMが連合国の最高司令官に任命されたことは、日本の戦後を左右した最大の要因であったといえる」


(2) アメリカの歴史家ウィリアム・マンチェスターはMの伝記『アメリカのシーザー』(American Caesar, Douglas MacArthur)で、Mが天皇に会ってその人物に好意と敬意を抱いたこと、その後2人が「父と子のような関係」になった、とまで記述しています。
そしてMの心理には(Mが貴族的、誇り高い人物であるとの前提に立って)
「貴族がもう1人の貴族に対して感じるような、同士としての共感と同情があったのではないか」と、面白いことを言っています。
M自身はこう言っています。
「私は生まれついての民主主義者であり、リベラルな人間として育てられた。
しかし(そういう私でも)かってあれほどの皇位と権力を保持した人物がいまおとしめられている状況を見るのは痛ましかった」


(3)ジョン・ダワーは例によって、距離感を置き、ク―ルかつ皮肉な言い方で記述しますが、それでも「両者の共同作業は功を奏した」と認めています。(『敗北を抱きしめて』)
天皇に新しい衣装を着せ、裕仁自身の身の安全を確保し、新設された民主主義国家の中央装飾として玉座を置くのに、大いに貢献したのである」

4. ここでマッカーサー占領政策全般の評価についても上記の増田弘氏(中公新書)から引用します。

(1)彼は太平洋戦争を通じて日本帝国の軍国主義体制を“破壊”するという局面で死力を尽くすとともに、戦後日本を非軍事化・民主化して平和国家を“建設”するという困難な局面でも多大な貢献をなした。
いわば日本が革命的ともいうべき一大転回を遂げる過程で、彼はそれら両面に深く関与して広く影響を及ぼした最大級の重要人物であったといえる。


(2)もちろんMには通常の人間と同様に人間的脆さや欠陥もあり、微視的には占領行政上の行き過ぎもみられたが、巨視的には、間接統治というきわめて特異な政治状況の中で難しいかじ取りを担う連合国軍最高司令官としては、権威、見識、調整、決断、統制など、いずれの面でも彼の右に出る人物を見いだせないであろう。
しかも、(略)、極論すれば、昭和天皇との緊密な関係を見えざる主軸にして占領行政を推進したことが、成功の秘訣となった。

以上のような高い評価は総じて通説的な意見だろうと思います。


5. ここで、マーカーサー自身についてもう少し書いておきたいですが、それは次回以降にして、最後に蛇足です。
「もしも占領軍の総帥が、天皇制存置を否定し、天皇の戦犯逮捕を肯定する人物であったとすれば〜〜」という、この「もしも」です。
よく「歴史に“もしも”はない」と言いますが、誰がどういう理由で言いだしたか知りません。
例えば、最近、2013年度本屋大賞になった大ベストセラー、出光佐三を主人公にした小説『海賊と呼ばれた男』を読んでいたら、こういう1節がありました。
「歴史に「もしも」はないが、戦前に満州大慶油田が発見されていれば、日本の運命はまったく違ったものになったかもしれないと思うと、それが運命だとしても、やりきれない気持がした」


もちろん「歴史をやりなおすことはできない」という意味では、「もしも」はない、はその通りでしょう。
しかし同時に、歴史を考えるときに、上記の著者のように「もしもマッカーサーが日本占領の最高責任者でなかったら〜〜」
と考えることは、とても大事な思考過程だろう、と思うものです。