蓼科高原の秋と「空に吸われし十五(?)の心」

1. また1週間ぶりの更新です。年を取ると余計に時の経つのが早いこと。

ということで遅くなりましたが、柳居子さん有り難うございます。
ご指摘の通り、図らずも冷泉の家だけが京都に残ってしまった。それが「続く・守る」とつながっているのだろうと思います。


2. 私は冷泉さんと違って「守る・続く」ものを何も持っておりませんので、その日その日を、せめて「ほどらい」に「相変わらず」を大事に暮らそうと思います。

今週は、友人の来訪もあって蓼科高原、1350メートルの山奥に過ごす時間が多いですが、例年より暖かいとはいえ、秋も深まって、紅葉もぼちぼち色づいてきました。

昨日は、台風が去って午前中はよく晴れて、友人夫妻と近くの「八ヶ岳農業大学校」という場所で、憩いました。
ここは全寮制の農業・牧畜の実習校で、野菜やチーズや卵を作っています。動物はみんな昼間は話し飼いで、幸せそうです。八ヶ岳や、晴れると、北・南のアルプスやと御岳さんも遠くに見えます。

この年になると「のんびり・ゆっくり」が一番のようで、
紅葉を見に少しドライブしようかというアイディアも当初あったのですが、結局やめて草地に座ってお喋りをしたり、澄んだ・深い青空を眺めたり、山羊や羊を眺めたり、保育園の子供たちが先生に連れられて元気に緑の中を走りまわっている姿を眺めました。

寝ころんで、空を見上げて、自然に、啄木の歌を口ずさんでいました。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて、空に吸われし十五のこころ」
十五歳が空に吸われる「心」と74歳の「心」とでは、ずいぶん違うでしょうが


・・・今の若者も、時に、アイ・フォンから目を離して、ひとりで草に寝ころんでしばらくぼおっとして、青い空を眺めてほしいものだと、心から思います。
アイフォンやフェイスブックでつながるのも大事かもしれませんが、「孤独を恐れるな」と少年少女に言いたい気がします。

3. 山のふもとは秋も深まり、散歩していると人には殆ど会いませんが、鹿が人家まで来て草を食べています。
今度は口ずさむのは百人一首の中の、
「奥山に もみぢふみわけ なく鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき」(猿丸太夫
ですね。

私のような庶民は自分自身の「守る」ものは持っていませんが、
啄木にしても、百人一首にしても、時々、思い出す。
これも1つの「守る」ことだと思い、大事な日本文化の「力」だろうと思います。


このあたり、まだ紅葉はまだまだこれからですが、「さくらもみじ」はすでに盛りで、落葉松の木にまつわる「つたうるし」が染まってきました。
10月下旬になると真っ赤になって、なかなかいい眺めです。
このころは落葉松自身が黄色になり、あたり一面が黄色で陽を受けて輝きます。

4.山奥に比べると都会は騒がしいですね。
物騒な事件もいろいろと起きていますが、
身近なところでは、孫が通っている中・高の運動会、10月5日実施予定が「生徒の不祥事により」中止となりました。


(1)私事ながら孫が高2に居ます。「不祥事」の内容は聞いていませんし、本人も詳しくは知らない
と思います。
ただ、深刻ないじめとか、人を殺傷したりとか、警察沙汰になったりということではなく、かなり悪質ないたずらだったようです。

しかし、かなり有名な出来事になり、当然にメディアは大喜びでネットにもいろいろ
と出ています。

(2)ただ、本人は中止になって本当にがっかりしています。
・高2が今年の運動会の中心メンバーになるので、それぞれの運動部のメンバーにとって「自分たちが中心になる高校生活最後の運動会」という思い出を作る機会が永久に失われました。
・高3になると大学受験準備も忙しくなるので、運動会には参加しませんが、今年やっていれば部活の先輩としてちょっと先輩風を吹かして顔を出して「去年はこうやったんだ」と後輩に言える、
そういう機会も失われました。

(3)今回の、この学校のホーム・ページには
トップページにいきなり「生徒の不祥事により10月5日(土)の運動会は中止になりました」
というメッセージが大きく載りました(5日以降はもちろん消えています)。


これについて私が思うのは、
・「不祥事」といわざわざ書く必要があったのだろうかということです。私立中学・高校のHPは
受験生の保護者を始め、たくさんの人が見ていると思います。「不祥事だって、何だ、何だ」
と思うのが普通ではないでしょうか。
特にマスコミにわざわざ、ネタを提供するようなものではないか。


ここは「事情により中止になった。学内説明を〜に実施する」でよかったのではないでしょうか?


・「生徒の不祥事により」という言い方も気になりました。
「学校は責任ないよ。生徒が悪いんだよ」と言っているように聞こえるのは私だけでしょうか?
以上、もちろん学校側には学校側の言い分があるでしょうが、

孫が通っているのは私の母校でもあり、
ちょっと残念に思った次第です。