ヴェルディ「行け我が想いよ金色の翼に乗って」とムーティの指揮


1. 今年はヴェルディ生誕200年、これを記念して日本でもいろいろと彼のオペラが上演されます。
10月30・31の両日は、イタリアの誇る世界的指揮者リカルド・ムーティが来日して「ムーティヴェルディを指揮する」と題して墨田トリフォニー・ホールでコンサートがあります。
彼のさまざまな曲が演奏されますが、オペラ「ナブッコ」の中の合唱曲「ヴァ、ペンシエロ(Va penciero)行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」も歌われるそうで、

今回は、ヴェルディムーティとこの曲について、三題話的に取り上げます。


1.「ナブッコ」は1842年にミラノ・スカラ座で初演、
旧約聖書に出てくる、紀元前、バビロニアの王ネブカドネザルと「バビロンの幽囚」の話です。
「Va penciero」は、囚われて奴隷になったヘブライ人が祖国を思って歌うコーラスで、初演当時、イタリアはオーストリアの圧政に苦しんで独立運動も盛んな時期であり、たいへんに愛唱されたそうです。ヴェルディのお葬式のときは沿道に1万人もの市民が集まってこの歌を歌って葬列を見送った、といいます。
いまも、イタリア第2の国歌とも言われているそうです。

2.2年前の2011年は、イタリアの独立150周年でした。
記念行事の一環として、東日本大震災の直後の3月17日、ローマ歌劇場でリカルド・ムーティ指揮による「ナブッコ」が上演されました
その模様を以下の「Youtube」で観ることができます。
http://www.youtube.com/watch?v=gaXE0v0bJoE
当時のイタリアは、財政危機、南北分裂を主張する動き、失業の増大、ベルルスコーニ大統領のスキャンダル等々、国家危機の様相を呈していました。

第3幕で「Va penciero」が歌われると、観客の大拍手と「アンコール」の声がやまず・・・
以下は、この日の演奏をテレビ実況で観た、パリ在住の日本人音楽家の文章を借りますが、


―――ムーティはとうとう手をあげて聴衆を制しました。
さて、音楽の続き、と思いきや、ムーティくるりと客席の方を向いて、
「文化を大切にしないと、舞台上の人々のようなことになるんですよ」と、国の文化政策をやんわりと批判、今度は出演者も含めた大拍手が巻き起こりました。
そこでいよいよ、舞台再開というタイミングで、ムーティは再び観客側を振り返り、「それじゃ皆さん、ご一緒に歌いましょう」と客席に向かって指揮、会場全体の大合唱となり、舞台上の合唱団も涙を流しながらもう一度歌いました。
祖国が危機にあるとき、こうして皆が声を合わせることこそが大切なのだと、僕は感動していました ―――


3. 私は、この曲が大好きでYoutubeを検索すると様々な演奏が聴けるので楽しみです。
上記の、ムーティYoutubeももちろんあり、よく聴きますが、彼が突然観客に向かって喋り出すところは、言うまでもなくイタリア語なのでちんぷんかんぷん。
何を言っているのかさっぱり分からず、この場面の背景についても、上記の文章を読んで初めて理解した次第です。因みに、このメールは在パリ30年の私の友人に送られたメール・マガジンからの転送です。

有難いことにムーティが語る場面と彼のイタリア語も(フランス語から)日本語に訳してくれていますので、以下に一部、引用します。
―――「(観客)イタリア万歳!」
「(以下ムーティ)ええ、その通り、『イタリア万歳』。
しかし、私は今、祖国に起こりつつあることを、深く憂うるのです。
ですから、もし皆さんのご希望に答えて私が、<行け、我が想いよ、金色の翼に乗って>をアンコールするとしたら、それは単に愛国的な理由からではなく、合唱が

<おお、かくも美しく、そして失われたわが祖国よ、Oh,mia patria si bella e perduta!>

と歌うとき、
もし、私たちが、イタリアの歴史を背負っている文化を殺してしまうなら、まさに、かくも美しく、そして失われた祖国になってしまう、と私は思うからなのです。(拍手)

今ここでは、とても愛国的な雰囲気が盛り上がっていますし、私ムーティはかくも永き間、聞く耳を持たぬ者を、幾度となく説得しようとして務めてきたのですから、私たちの家、この首都の歌劇場で、合唱は素晴らしいし、オーケストラも見事に演奏したところで、皆さんもどうぞ加わってください。
皆で一緒に歌いましょう(拍手)―――


4. たしかに、指揮者と演奏と舞台と、そして観客が一体となった、いい場面だと思います。
背景を理解して、このYoutubeを聴くと、また一段と気持が引きこまれます。

私は最近はほとんど、生の音楽会には行きませんが、昔は熱心に通ったこともあります。しかし、普通は、こういうハプニング、予想外のことが起こり、指揮者が聴衆に語りかけるというような場面はまず無いよな、と考えて、1度だけ、全く別の状況ながら、ハプニングを思い出しました。

大昔、ニューヨークに住んでいたころ、1980年12月、リンカーン・センターにヘンデルの「メサイア」を聴きに行ったときのこと。
メサイア」演奏会は、8日に、ジョン・レノンが、NYの自宅のあるアパート「ダコタハウス」前で、ファンと名乗る男に射殺された数日後だったと思います。
いよいよ始めるということで、オケも合唱団も舞台にそろい、指揮者が袖から出てきて、指揮台に上がる前に我々聴衆に向かって
ジョン・レノンのために黙とうをしたいので、参加してもらえるだろうか」と発言。
皆立ち上がって、いっしょに黙とうをしたことがありました。
今でも印象に残る出来事でした。

5.最後に、ムーティが、30日・31日に登場する、すみだトリフォニー・ホールについて触れておくと、2011年3.11当日夜の演奏で有名です。
NHKが後でドキュメンタリーにして、私も見ました。
http://www.oricon.co.jp/news/movie/2007408/full/

演目は、イギリスの36歳の指揮者ダニエル・ハーディングによるマーラーの5番。
1800枚のチケットは完売。
地震で東京の殆どの催しは中止したが、この演奏は
ハーディング他の決断で強行、駆けつけた100人ほどの聴衆の中で演奏したという。
「私の中ではマーラー交響曲第5番イコール3月11日として永遠に刻まれています」と後に彼は語ったそうです。