「物語」の力と「海ゆかば」「We shall overcome」など


1. 前回は「第2の国歌ともいえる歌」について9人の方のコメントを紹介しましたが、もう1人10人目の南十字星さん、遅くなりましたが有り難うございました。
・・・シドニーで、「東日本大震災直後に、近所で大震災支援合唱コンサートがあり、ゲストのソプラノ歌手と合唱団が日本語で「さくら さくら」を歌ってくれた・・・・と。
とてもいい話ですね。シドニーでも、こういう支援のイベントをやってくれたのですね。


前回の最後に触れたように、何らかの「物語」が(個人であっても集団共有であっても)「歌」を「私(たち)の歌」にする力だと思いますが、まさに南十字星さんのエピソードがその好例ですね。


「物語」は度々紹介する“Va penchiero”をローマ歌劇場で聴衆が立ち上がって一緒に歌ったという実際の出来事でもいいし、或いは、字義通り「物語」の中で起こります。

後者の典型が、映画『カサブランカ』でフランス国家「ラ・マルセイエーズ」を歌う有名な場面でしょう。あそこは何度観てもジーンと来ます。

2. 私個人であれば、そういう歌が2つあって、日本の「海ゆかば」とアメリカの「ウィー・シャル・オーヴァーカム(We shall overcome)=私たちはいつか必ず勝利する」です。
前者は、もう10年以上前ですが、叔父(母の弟)が亡くなりその葬式に出た時です。彼は特攻隊の生き残りでしたが、葬儀には同じく生き残りの戦友が、6,7人居られたでしょうか。もちろん皆さん老人でしたが、叔父のお棺の前に直立不動の姿勢を正して敬礼をして「海ゆかば」を歌ってくれました。それから皆でお棺を車まで運んでくれました。
http://www.youtube.com/watch?v=cPkAPiJqwlg

喪主を務めた年下の従弟と、いまでもその思い出話をすることがあります。
戦友が眠る南の海に灰の一部をまいてほしいという遺言があって、なかなか難しい状況もあったと思いますが、従弟は実際に実行したそうです。

後者は、具体的な「物語」は無いのですが、若かった自分をいちばん思い出す「歌」です。
学生時代の60年安保や、
好きだったジョーン・バエズの歌声や
http://www.youtube.com/watch?v=RkNsEH1GD7Q&feature=fvwrel

20代後半で初めて日本を離れてアメリカに暮らし、ベトナム戦争の最中で、それぞれに賛成・反対のアメリカ人の若者と語り合ったころ・・・・などを思い出します。
1968年のアメリカは、ベトナム戦争が泥沼化し、反戦運動公民権運動等に若者は立ち上がり、それらへの反動と抵抗もあり、ロバート・ケネディマーティン・ルーサー・キングも暗殺され、R・ケネディ暗殺の翌日のニューヨーク・タイムズが「アメリカは病んでいる」と嘆いたように、激動の時代でした。

それでも今振り返ってみると、当時のアメリカ社会は、激動と暴力のさなかにあっても、
「未来はきっと良くなる。社会は少しずつでも理想に向かって進んでいる。そのために自分たちも何か出来る筈だ」
という想いも、まだ生きていたように思います。

そういう昔を知る老人からすると、青臭い言い方で恐縮ですが、
「今のアメリカは果たして、建国時の理想に向かって、自由と平等な社会の実現に向かって、進歩しているのだろうか?」
と心配になってきます。
アメリカとは、多くの矛盾と問題と邪悪を抱えつつも、民主主義という理想に向かって歩むプロセスのことであり、永遠の運動体である」という理解があります。これを「アメリカニズム」という言葉で言う人もいます。
しかし、この国は良い方向に向かっているのだろうか・・・


3. ということで、皆さまのコメントに感謝しつつ、自らもいろいろと昔を振り返ったり、Youtubeを飽かず聴いたり、庶民が心配しても詮無いのですが、世の中を心配したりしています。
これでは読書の時間がますます削られていくわけです。


それにしてもPCは便利で、Youtubeを聴いているのは蓼科高原の古い田舎の家。
冬は零下10度にもなり、朝夕は家の前の道路もすっかり凍って車も歩きも危険な山腹ですから、とても住めず、水抜きをして、先週末には引き上げてきました。
紅葉した八ヶ岳の姿が魅力的ですが、ここに載せた写真を撮ったのが11月6日で、その数日後には初冠雪がありました。

家のまわりは、今はからまつが黄金色に染まった風情が、見事です。
白秋の
「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。たびゆくはさびしかりけり」
は、信州追分で浅間山を見ながら詠ったものですが、こういう時期だったのでしょうか。


4 以上、今回はやや老人の繰りごとみたいな文章になってしまいましたが、最後に「君が代」について記録しておきます。
前回のブログで「“君が代”のメロディには外国人の手が入っているらしい」と書きました。
ご存知の方も多いかもしれませが、ちょうど、11月6日の東京新聞が「君が代のメロディは・・・英軍楽長が作曲、欧風だった」という記事が載っていたので、補足・訂正しておきます。

この記事によると、
・国歌は「主体的にではなく、いわば外圧で作られた」
・国内に作曲のノウハウを持つ人材は居ない。そこで、横浜に駐留していた英国陸軍軍楽長のフェントンに作曲を依頼し、歌詞は、大山巌が選んだ。
・この「初代君が代は、1870年、明治天皇の前で披露された。
・しかし「日本らしくない」といった不評が続出。作り直しが決まり・・・
・当時の宮内省の林広守作曲で伝統的な雅楽の音階を取り入れた現在のメロディは、初代の初演奏から10年後の1980年に完成した
ということだそうです。

どんなメロディかいちど聴いてみたいものだと思って検索したら、これもちゃんとインターネットのサイトがあり、感心しました。ご興味のある方は以下のサイトです。
http://www.ne.jp/asahi/jurassic/page/sound/kimigayo_fenton.htm