「ネット時代のはじまり」は「本の時代」の終焉か?


1. 友人3組の夫婦6人で1泊の温泉旅行人からで帰宅したばかり。伊豆高原から翌日、伊豆スカイラインを走って芦ノ湖経由で帰りましたが、良く晴れて風が強い日で富士山がまことにきれいに見えました。
明日からは3泊で京都に行きます。

2. 海太郎さん、インターネットの効用についてのコメント有難うございます。
頂いたコメントからポイントを私なりに整理すると、
(1) 「集合知」は「案外正しい」か?
(2) 新聞の読み方について。「新聞そのものが遅れていて、ネット上やSNSの中に、もっと広い視野で見ている人が沢山いる」し、「情報ソースとして価値がある」のではないか
ということでしょうか。
確かに、ご指摘の通りでしょうね。
同時に、知り合いの某氏が
「ネット利用が進めば自動的に民主主義が実現すると思っている人などいないだろう。だが、民主主義の実現を求めて運動している人たちは、ネットの活用は大きいと感じている」
と書いていましたが、これも納得できるように思います。

3. 問題は、そういう状況において
「本はどうなるか?」
「本を読む人は(前回紹介した藤原氏が“本の時代の終焉とグローバルネット時代のはじまり“を懸念するように)確実に減るか?」
「減るとして、それは私たち一人一人や社会にどういう影響を及ぼすか?」
というようなことです。

もちろんここで言う「本」とは、「ハウツー物」に典型的な、知識や情報を得るための書物ではなく、藤原氏が今や「ひどく時代遅れで無意味なことのようにみられている」と嘆く「閉じられた書物という世界で文字と対面する行為」の対象を指しています。
因みに同氏は続けて以下のように語ります。
「本はだれともつながれない。頁を開いても本は無言だ。そこに何かを読みとっていくのは、読者の想像力でしかない。しかし、ここに本の強みがあるといっていい。だれともつながれないという読書の時間は、貴重で必要不可欠なはずだ・・・」


4. 上のような嘆きから私が感じるのは、例えば海太郎さんや私の世代であれば若いときから本を読む習慣が身についている人が結構多いだろう。
だから、ネットのつながりや情報の検索と、読書とを、うまく共存させる知恵がそれなりに残っているのではないか。
しかし若い時から、読書を必要とも不可欠とも感じない若者がどっぷりとネットの世界に浸りきる・・・そういう若者が増えてきているのではないか。
「その何が悪いのか?」と開き直られた場合に、私たちは返す言葉を持っているだろうか?

その上困ったことに、私のような、「読書」をやめられない高齢者であっても、まずは徐々に眼が疲れて活字を拾う作業が徐々に辛くなってくる。やっぱり「読書」は精神力と体力を必要とする営為だなと感じざるを得ない。

さらにその上、年甲斐もなくPCに向かう時間――検索したり、「つながったり」、Youtubeを聴いたりする ――が増えて、読書に振り向ける時間は昔よりかなり減っている。

しかも、もっと悪いことに、相変わらず本屋を覗く楽しみは一向に無くならず、買い物にはまったく興味が無いほうですが(CDとお酒を買うぐらい)、本だけは自分で頻繁に買い求めます。中毒と言ってよいでしょう。
その結果どういうことになるかというと、本を買う、しかし読む時間は減る、だから未読の本がどんどん増えていく、読みたい本が一向に減らずに「ツンドク」が書棚を毎日埋めていくという状況に悩む・・・・
「読みつつある・或いは読みたい本」が常時20冊ぐらいあって、読んでも読んでも減らない

ということになります。



5. 本屋と言えが、今回コメントを頂いた海太郎さんが、少し前ですが、別の名前のブログで、澁谷の近く代官山の「蔦屋書店」について実に丁寧の書いておられて興味深く読みました。
http://blog.goo.ne.jp/rokuai57/e/e060c945fe2c085d95833253638ba2e6

「世界で最も美しい書店」というDVDが紹介する4つの個性的な本屋の1軒だそうで「森の図書館」というコンセプトで作られたそうです。
私も自宅から比較的近いので散歩がてら2週間に1度ぐらい行きますが、たしかに(庶民派としては、ちょっとお洒落過ぎて敷居が高いという感じも無きにもあらずですが)
楽しい本屋で海太郎さんが、「つい買ってしまう」という気持ちがよく分かります。

私がもっと頻繁に行くのは澁谷東急百貨店内にある「丸善ジュンク堂」で、ここは普通の本屋ですが、そこそこ品揃えが良い。
それと、例えば今であれが、今年で創刊60年を迎えたという「ポケミス」こと「ハヤカワ・ミステリー」の特集コーナーがあって、海外の翻訳推理小説のあれこれを眺めて飽きません。

そして、つい買ってしまいます。中味というより、題名に惹かれてというのもかなりあって、先日会求めた
『ヤルタからヒロシマへ』と
『ザ・ナイン、アメリカ連邦最高裁の素顔』
の2冊はまさに題名に惹かれて、ほとんどそれだけの理由で買い求めました。
それぞれ3000円以上する大作で、いつになったら読み始めることが出来るやら・・・

また先日は、自宅のある井の頭線「池の上」駅の商店街が「ふれあいマルシェ」という市場を週末にやっていて、時々覗く古本屋「由縁(ゆかり)堂」が街頭に古本を並べていて、バーネット夫人の『小公子』という童話の原書を、普段は200円のところたったの50円で売っていて即座に手に入れました。差し絵も豊富にあるきれいな本です。
これも、いつ読み始めるか?
しかし、子どもの時の童話全集の1巻として楽しく読んだ記憶があるので、ぜひ本物を読みたい・・・・

他方で、朝起きてからの(家に居るときの)一番最初の仕事はPCを開けて、メールをチェックし、友人のブログを覗き、メディアの情報を拾い、Youtubeに耳を傾ける、ということをやっている間に読書の時間は減っていく・・・・
という具合に、悩みは尽きないのです。