今年観た映画―「カルテット」「42世界を変えた男」や「ハンナ・アーレント」

1. 新聞でも、そろそろ「今年の回顧」が紙面を飾っています。
福島原発事故が一向に収束していないようでいちばん気になりますね。
(そう言えば、来年の新年は、54基ある原発がすべて停まって迎える初めてのお正月とのこと)


流行語大賞というのがあって、私は選ばれた言葉を殆ど知らずテレビ等で実際に聞いたこともありませんが、「秘密」という言葉も残念ながら選ばれる資格がありそうです。
東京新聞山田洋次さんが「秘密というのは暗い言葉です」というコメントとともに、旧ソ連発という以下のジョークを紹介していました。


――「最高指導者はバカだ」と話した人が逮捕され、「これは侮辱罪か?」と尋ねると「国家最高機密を漏らした罪だ」と告げられる」―――
ジョークのネタにするのは不謹慎だと怒られそうですが、しかし、狂歌でうさを晴らした江戸時代の庶民の心境が分かるような気もしてきます。

2. この雑文は時局と身辺雑記的なことはなるべく触れないという信条に従って、この辺で切り上げて、今回は「今年観た映画」を報告します。
いま、私のような老人がどれぐらい映画館に足を運ぶか知りませんが、私は今年5本観ました。観た順番で言うと
(1)『カルテット!人生のオペラハウス
(2)『25年目の弦楽四重奏
(3)『終戦のエンペラー
(4)『42世界を変えた男』
そして(5)『ハンナ・アーレント』です。
日本映画が1本もありませんが、映画の中ぐらい日本人の姿を見たくない、というほどの偏屈でもありません。たまたまだし、老人で耳がやや遠くなって、せりふより字幕の方が楽だという理由もあるかもしれません。
何れも、「楽しく」あるいは「満足して」映画館を出ました。


(1) はダスティン・ホフマンが初めて監督。「引退した音楽家たちの老人ホームに存続の危機!ホームに住む英国オペラ界の元4大スターは伝説のカルテットを復活させて」資金確保に成功するか?という具合に物語は進み、有名な「リゴレット」第3幕の四重唱(マントバ公爵、リゴレット、マッダレーナ、ジルダの4人による)がクライマックスに効果的に使われます。

(2) はやはり音楽家の物語で、4人のカルテットが25年目の節目の演奏会に、ベートーベンの弦楽四重奏作品131を取り上げるつもり。しかしリーダーのチェリストは高齢でパーキンソンを発症するなど4人それぞれの悩みを抱えつつ、演奏にこぎつけられるか?ここでも4人の(個性的な芸術家の)チームワークがテーマになっています。以下に、「予告編」のサイトがありますが、NYの街が背景です。
http://25years-gengaku.jp/

(3) は、黒人初のメジャーリーグ入りをして、ブルックリン(現ロスアンゼルス)・ドジャーズの選手として激しい人種差別の中でプレーし、活躍したジャッキー・ロビンソンと彼の入団を決めて・支えたGMの物語です。
ご存知の方も多いでしょうが、「42」は彼の背番号で、引退後、全リーグ共通の「永久欠番」となりました。もちろんアメリカでもこの番号だけで、日本には全リーク共通というのは無い筈です。かつ、逆に彼が初出場した4月15日には毎年、大リーグの全選手が背番号「42」を付けてプレーします。
このあたりは、私も昔、授業で大学生に「アメリカにおける過去を忘れさせない・かつマ―ケティング戦略の好事例」として何度も取り上げました。

映画はジャッキー・ロビンソンドジャーズに入団した1947年までに物語を絞っており、引退後の彼の人生が必ずしもハッピーなものではなかった等には触れていませんが、それだけに素直に分かりやすく後味の良い作品だと思いました。

(4) はこのブログで度々紹介しました。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130906

3. ということで、だんだん紙数が無くなって来ましたが最後に岩波ホールで12月13日まで上映している「ハンナ・アーレントです」。

この映画に、連日観客が押し掛けて、切符を買う長い行列が続いています。
東京新聞は「女性哲学者描いた映画盛況、異論貫く生涯共感」という見出しで報道しました。
もちろん300席ほどの小さい映画館ですが、それでも、こんな硬い・地味な映画がこれだけ観客を連日引きつけているのは何とも不思議で「ハンナ・アーレント現象」とでも言えましょうか。
私は上映前から観たいと思って、前売券を買っていたのですが、あまりに混んでいるというので恐れをなしてしばらく様子を見て、12月4日にやっと出掛けました。
50分ぐらい前には行った方がよいという友人の情報で11時半の第1回上映に合わせて10時35分に到着。すでに切符売り場の1階は大勢が並んでいました。
前売り券を持っている人はそのまま10階の会場へ行くようにということで、エレベーターに乗りましたが、9階で降ろされました。ここもすでに切符を持っている人が階段に沿って並んでいました。
ただし、立って待っていたのは、15分ほどで上映の40分以上前に会場に入れてくれたのでゆっくり座って本を読みながら待つことができて、このあたりの対応はさすが岩波ホールと満足でした。

平日の日中ですから、もちろん高齢者が多く、女性が7割ぐらいでしょうか。それにしても日本の女性にはインテリの何と多いことかと感心しました。

4.この 映画について語る余裕がだんだん無くなりましたが、簡単に触れておきます。

(1) ハンナ・アーレント(1906~1975)はユダヤ人の政治思想家。ヤスパースハイデガーに哲学を学びヴィシー政権下のフランスで強制収容所に入れられたが脱出。アメリカに亡命して大学で教え、『人間の条件』『全体主義の起源』等多くの著作を残した。

(2)映画はアイヒマン裁判と彼女の裁判傍聴が中心となる。1960年、逃亡中のアドルフ・アイヒマン(もとナチス親衛隊幹部)をアルゼンチンでイスラエル諜報機関が拉致し、イスラエルで裁判を受け「推定6百万人のユダヤ人を絶滅収容所に送った罪」で62年絞首刑になる。
(3)アーレントは裁判を傍聴し、その記録を雑誌「ニューヨーカー」に5回連載する。世界はアイヒマンを怪物と見ようとするのに対して、彼女は、「ただ命令に従っただけの、どこにでもいる人。怖いほどの凡人」と捉え、そこから「人間にとってもっとも重要な“考えること”を放棄した人間の持つ「凡庸な(陳腐な)悪」という観念を引きだす。


(4)しかしそれは、「ナチスの犯罪を軽視した」「アイヒマンの擁護者」と全米で激しい批判・非難にさらされる。
(というのは表向きの抗議で、「私だって、あなただって、状況によっては誰もがアイヒマンになりうる。凡庸な悪とは誰もが悪人になる可能性を秘めていることなのだ」と本音を衝かれて反発したのだ、という側面もあったと私は思いますが)
友人を失い、大学の職も追われる。
しかし彼女は、自分の考えを変えることはなかった・・・・
カメラは、そういうアーレントの姿をまっとうに見据えます。
ということで今回はこの辺で。