元陸軍少尉小野田寛郎氏死去と海外の報道と・・・


1. 我善坊さん6日経っての更新でお礼が遅くなりましたが、長文のコメント有難うございました。日本人は「書き言葉」を重視するという指摘は面白いですね。「名演説ゆえに胡散臭く感じる(こともある)が、よく練られた文章は高く評価する」ですか、なるほど。
ただ、最近のネット時代とPCで誰もが安易に書くようになって「練られた文章」に接する機会は残念ながら減ったような気がします。
他方でたしかに「話し言葉」の持つ魅力は、それと裏腹の、デマゴーグに陥る危険性もあるかもしれません。たまたま今読んでいる本の中で、リー・クアンユーシンガポール建国の父)がこんなことを言っています。
―――「私が取り上げたいのは、単純かつ明快な書き言葉、英語の重要性だ。小説家のアーサー・ケストラーは、ヒトラーの演説が話し言葉ではなく書き言葉であったら、ドイツ人は戦争に突き進まなかっただろう、と鋭い指摘をしている・・・・・」
彼が言っているのは、演説であってもキング牧師ジョブズのそれのように「書き言葉」として残っても見事な言葉で喋れ、ということですね。大事な思考だと思います。

2. 私も「よく練られた文章」にたいへん魅力を感じますが、以下、雑文の書き散らし
で恐縮です。今回は、元陸軍少尉の小野田寛郎氏が17日、91歳で東京の病院で亡くなったという記事を読んだ感想に触れたいと思います。
同氏については紹介する必要もないでしょうが、戦争中いまのフィリピン・ルバング島で米軍と戦い、敗戦後も隠れ続けて1974年30年ぶりに帰国した(当時52歳)、その後ブラジルで牧場経営をしたり日本で「自然塾」を経営したりして両国を往復する生活を続け、ブラジルでは名誉市民にもなった、という数奇な人生を送った人です。


3. 小野田氏のことを今まで特に大きな関心を持っていた訳ではないのですが、今回興味を持ったのは海外での報道に触れたからです。
インターネットの電子版をチェックすると彼の死去を実に多くの海外メディアが取り上げ、しかも長いページを割いていることに気付きました。
他方で日本はどうかと言うと、東京新聞は17日夕刊の1面トップ記事で関連記事もありますが
(蛇足ながら同紙の見出しは「孤独耐え30年、最後の帰還兵」の大見出しが「終戦信じず、比でジャングル潜伏」と続き、ああ日本では「敗戦」とは言わないのだなあと改めて感じました)
あとの新聞は図書館でざっと見たところ、さほど大きな取り扱ではなく、日経であれば夕刊の社会面に4段の記事といったところです。
他方で、例えば英国の週刊誌「エコノミスト」(以下E)毎週「追悼録」を載せていますが、前の号はイスラエルシャロン元首相という大物で、小野田氏は次の号に同じ扱いを受けて載っています。長さはおそらく日経の5倍はあるでしょう。

アメリカのNYタイムズ{NYT}もワシントンポスト(WP)も長い記事です。
さらに気がついたのは電子版の記事には読者からの電子メールの投稿も載りますが、順にそれぞれ、40、153、137と他の記事に比べても投稿数が多いということです。
これらは何を意味しているだろうか?


4. まず上記E,NYT,WPの3つの内容を読み比べてみると内容はさほど違いはなく冷静かつ客観的に小野田氏の行動を取り上げていて、嫌な読後感はありません。3紙が共通して触れているのは以下のような点です。
(1) ジャングルの中で当初は3人の部下がいたが、50年に1人が投降、2人は夫々54年72年に地元警察に射殺され、以後はたった1人。毎日銃の手入れをし、衣服を繕い、規律正しく暮らした。30年間、「毎日義務を果たすことだけを考えた」と言う。
(2) この間、農家で飼っている牛を殺したり、マンゴやココナッツを盗んだ。農夫を殺したこともあった。(「彼にとってまだ戦争中であり、戦時の命令に従っただけなのだ」とEは書く)
(3) 日本人に発見されたあとも、元上官(今は本屋さん)が現地に行って初めて命令に従って投降し、フィリピン・マルコス大統領に、敬礼とともに軍刀を差し出した。

マルコスは軍刀を返却し、潜伏中の盗みや殺人の行為に恩赦を与えて、彼は日本に帰国した。
(4) NYTは「日本の歴史や文学は、たとえ途中で失われたり希望が無くなっても、最後まで「大義」に殉じた英雄たちの物語にあふれている。小野田少尉は、その軍人らしい規律と品位のあるマナーから、昔のサムライを思わせところがあった。」と書く。
(5) 日本ではヒーローとして迎えられた
しかし、あまりにも変わってしまった日本、規律や義務が薄くなり、物質主義に溢れる母国に違和感を覚えて、翌年にはブラジルに渡ってしまい、牧畜を始める・・・・
等々。



5. ただ私が気になったのは、読者の投稿です。
{1} 投稿には「驚くべき話」とか「よく書けた記事だ」というのもあります。
{2} しかし同時に、批判的な内容も多い。
彼の行動は全く評価できないし、農民を殺したのも許せない、「愚か」としか言いようがない、といった意見から
(3) 新聞記事が、日本軍や軍人に対してやや好意的に取り上げているように読める、これは大いに問題だ、という指摘、
(4) さらには、戦争中の日本軍の残虐な行為を決して忘れていない
といった多数のコメントに拡がります。


数多い投稿の中味を詳しく紹介する紙数はありません。
しかし私としては、それにしても何故、海外のメディアがこの時点で小野田氏の死去をこんなにあちこちで大きく(日本の報道以上に)取り上げるのか?という疑問を抱えたままです。
そして以下のような推測をしています。


・昨今の日本の右傾化と言われる動きが海外でも報道されて関心と懸念を呼んでいることに多少の関係はあるのではないか。
・同時に、改めて感じるのは、日本の国民(とくに若い人)はあまり意識していないかもしれないし、「日米同盟」という言葉の方が頭に入っているかもしれないが、70年前には日本とアメリカは敵国として全面戦争をしたということ。
・しかも、その戦争は、ジョン・ダワーの言葉を借りれば「容赦なき戦争(War without mercy)」であり、「太平洋戦争における戦闘の方がヨーロッパの戦場での戦いよりも残酷であったということは、欧米の戦争特派員が一致して認めるところだった」
・そして、そういう戦いの記憶は決して忘れられていないし、こういう機会に折りに触れて、語り継げられる
・もっと言えば、彼らアメリカ人は、その時、英仏やソ連(いまロシア)とのみならず、中国とも「連合国」として共に日本と戦った
・しかも日本は「終戦」ではなく無条件降伏し「敗戦」した・・・・

という事実です。
紙数がないので今回はここまでにしますが、「靖国参拝」や「慰安婦問題」について、やはり私たちはこういう事実を頭に入れた上で語り、発信すべきではないか。
もちろん日本人にとっても、東京大空襲や原爆のようにまことに「残酷で悲惨な」戦いであった。
しかし彼らアメリカ人にも、日本と「残酷な戦いを戦った」という事実をまだ記憶し、あるいは学んでいる人は少なくないだろう。
そのことを私たちは忘れてはいけないのではないか。だからこそ平和を誓い、憲法を制定したのではなかったのか・・・・
これは「自虐史観」という立場では毛頭なく、私たちは、(仮に千歩譲って「あの戦争は侵略戦争ではなかった」という主張をある程度認めるとしても)、とにかく「日本は戦いに負けたのだ」という(戦争で父を亡くし6歳で母とともに軍歌「勝利の日まで」を歌っていた戦中派としては悲しいけど)冷厳な歴史的事実と国際関係(つまり相手は皆そう思っている)から出発して、どう発言し・行動すべきかを考えるべきだと思う者です。