公開セッション「東アジア国際紛争の打開に向けて」

1. 我善坊さん、「書くように話せ」のフォロー有り難うございます。
ご指摘の点に多少関係があるように思うので、2月1日東大の政策ビジョン研究センターが主宰した表題のパネルディスカッションを聞きましたので、その報告をしたいと思います。小さいが内容の濃い「セッション」でした。

その前に長い前置きです。
私事ながら1月末で後期高齢者となり、子供や孫も元気に暮らしており、思い残すこともあまりなく「日々是好日」の心境です。
そんな境遇にある老いた庶民が世を憂いても詮無いのですが、昨今の風潮―靖国慰安婦等々――が唯一のストレスの種です。
ここでそれを発散したいと勝手に思っています。前回のフォローにもなり、かつ都知事選に関連して東京新聞に出た、前々都知事の以下の発言(まさに「話し言葉」の典型)に触発されたこともあります。
―――「(第2次世界大戦で)日本は、白人の有色人種に対する植民地支配に対し、自衛のために戦争をした。歴史の必然です」――
こういう「話し言葉」は日本人(だけ)の耳にはまことに心地よく響く。だから怖い。
とくに、典型的な「話し言葉世代」である若者やネット世論の受け止めが怖い。


少なくともこの言葉には、日本が、「白人」国であるドイツ・イタリアと同盟国として戦ったという理解が無い(というか、敢えて触れない)。
あの戦争と今の日本を国際社会がどう見ているか?の常識は(私を含めて日本人にとって必ずしも心地良いものではありませんが)以下の通りと思います。

(1) あの戦争は、日独伊の「既存の国際秩序」に対する挑戦である。この「秩序」に、
「白人の有色人種に対する植民地支配」という面が仮にあったとしても、日本の挑戦は「自らの植民地支配」という新たな「秩序」を打ち立てようとしたのではなかったか?だからこそドイツ・イタリアの「挑戦」と同盟を組んだのではなかったか?
(2) その結果、日独伊は敗れた。その結果の上に、戦勝国が作った戦後の新しい「国際秩序」がある。
国際連合」体制であり、「国連」は「United Nations」の意訳した日本語訳であり、United Nationsとはもともと日独伊と戦った「連合国」(=戦勝国)のことである。
(3) 日本は日ごろ「国連尊重」と言い、アメリカに次ぐ2位の拠出国でありながら、昨今言っていることは、上の(1)および(2)の否定ではないのか。日本は「戦後の世界秩序」にまたまた挑戦しようとするのか?
(4) 因みに、英米仏とともに、ロシアも中国も(もちろん国家体制はその後変わったが)、ともに日独伊と戦った「連合国=戦勝国」である。だからこそ国連憲章上「安全保障常任理事国」として「戦後の国際秩序」を維持する権力を握っているのだ。イデオロギーの違いはあり、かっての米ソ冷戦や今後の米中の「覇権争い」はあるだろうが、ともに日独伊と戦い・勝利したという「歴史」(某もと都知事のように「必然」とまで言う傲慢さは無いが)を共有していることを日本は忘れてはならないのではないか。

もちろん日本人は反論したくなるかもしれませんが、これが世界の常識だと私は考えますが、如何でしょうか?
例えば、世界で今もっとも評価されている政治家の1人であるリー・クアンユーもこういう認識であり、戦時中の日本のシンガポール統治について、英国に変わる新たな(英国のやり方よりも権力的な)「植民地支配」と理解しています。


さらに私見を補足すれば以上を「自虐史観」と呼ぶかどうかはどうでもよくて、これが世界の大勢であるという、「認識ギャップ」の大きさこそが問題でしょう。
そして、安部さんが予算委員会で「靖国があっても日米同盟に揺るぎはない」と言ったそうだが、本当にそうだろうか?
20年,30年のスパンで見れば、米中は、友好的とまでは行かないかもしれないが、戦略的なパートナーシップを見据えているのではないか。
その時、日米同盟は、米にとって、沖縄の基地ぐらいしか意義はなくなるのではないか。
(すでに、台湾の戦略的価値は米にとってほぼゼロ、というのが国務省の本音だと、某東大教授から聞いたことがある)


2. 今回は以上の前置きでほぼ終わりそうですが、以下は「東アジア国際紛争の打開に向けて」と題する「公開セッション」のごく一部の報告です。
・2月1日の午後2時〜4時半。メンバーは以下の4人。
・モデレーター:ジョン・アイケンベリー(プリンストン大学教授、国際政治学者)
・パネリスト:ギャレス・エバンス(オーストラリア国立大学学長、元外相)
       朱鋒(北京大学教授)
       藤原帰一(東大教授)
・セッションは同時通訳付きの英語で行われた。朱・藤原の両氏とも実に達者な英語で、頼もしかった。
・テ―マは(1)東アジアにおける権力のシフトと中国の台頭(2)同地域における核拡散の危機(3)戦争認識・歴史認識と領土紛争、の3点。

ここでは上の1で触れた「戦争認識・歴史認識」に絞って、主として豪州のエバンス元外相のコメントを紹介します。

(1) 私が初めて訪れた外国は、学生の時、日本であり、以来親しみと関心を持ってきた。しかし昨今の事態にはたいへん憂慮している。
(2) これらの「歴史認識」への批判が中国や韓国だけでなく、国際社会(日本の友人や同盟国を含めて)の大勢であることを日本はなぜ認識しないのか。
(3) もちろん中国や韓国の対応にも責任はある。しかし、第一義的な責任(Primary responsibility)は間違いなく(absolutely)日本にある。事態改善のためにイニシアティブを取るべきなのはまず日本の姿勢・行動である。
エバンスは、この“absolutely”という言葉を何度も何度も使いました)


(4)例えば、靖国について、A級戦犯合祀や政教分離だけではなく、あの存在が遊就館を含めて、「戦争肯定」のシンボルになっていることが問題なのだ。
(5)日本はドイツを見習うべきではないか。もちろん東アジアにおける事情はもっと難しいかもしれない。
しかし、ドイツは行動(例えばブラント首相の)で示し、いまごく一部のクレージーな連中を別にすれば、官民ともに歴史認識のぶれは全くない。


3.こういう話を聞いて私がふと思いだしたのは在NYの日本人の友人からの便りです。
彼女は、S&Pという格付け機関のチーフ・エコノミスト(日本に17年駐在)が
「欧米人は首尾一貫しない(inconsistent)ことがあると気持悪くなるが、日本人は矛盾したことを同時に受け入れることができる」
と聴いて、まったくそうだなと思ったそうです。

というようなことで、私自身のストレス発散で今回のブログは終わってしまいました。
「美しく老ゆるは難(かた)し白牡丹」
という句を思いました。冬の好日、上野東照宮の「冬ぼたん苑」を歩いた時に添えてあった一首です。