雪の降る音とクラウディオ・アバドと歴史認識

1. 柳居子さんarz2beeさん海太郎さん、まことに有り難うございます。
歴史認識の問題やら政治向けの話は書いているのも気持の上で疲れます。
読んで頂く方にもまことに恐縮・感謝です。
柳居子さんの「日本のメディアが・・・センセーショナルに・・」のご意見はその通りかもしれません。ただ、日本の新聞の海外記事はただの翻訳という事例が多いですが、海外のメディアは独自に発信する姿勢が強く(記者クラブに入れてもらえない事情もあるか。また署名記事が原則で記者個人の責任意識も強い)これを無視できないと思います。それだけ日本の最近の動きに神経を高めているということではないでしょうか。
小野田さんの死去を日本以上に報道したことはブログで触れた通りですし、NHK会長発言も大きく取り上げ、それに読者のメール投稿も続きます。海外のメディアを覗いていると日本が「やや厄介な同盟国・友好国」になりつつあるのではないかという懸念を覚えます。

2.arz2beeさん海太郎さんのコメントもまことに共感しました。
「真実は間にあるんだ」、本当にいい言葉ですね。心に残りました。
前回触れた公開セッションで藤原帰一東大教授が
「視野を拡げること(expand the horizon)」と「国境を超えること(cross border)」を政治のリーダーにお願いしたいと何度も強調していましたが、同じニュアンスなのかなと思い出しました。
所詮、学者の理想論だろうと皮肉る人も多いでしょうが、彼はまた、謝る(apologize)ことは難しいだろうから、その前にまず認識する(recognize)こと、原爆や東京大空襲や特攻隊の犠牲がどんなに日本人にとって辛い思い出であったとしても、あの戦争の悲惨な犠牲者は日本人以外の相手側にも同じように山のようにあったのだと「認識する」ことの大切さを訴えていました。
「そのために提案したい」として「まず安部さんが南京に行くこと」そして「お返しに習近平国家主席が広島に来ること」「オバマ大統領が長崎に来ること」を提案しました。
セッションの他の参加者(アイケンベリー・プリンストン大、エバンス・オーストラリア国立大学学長、朱北京大学教授)も賛同しましたが、もちろん同時に「難しいだろうな。現実的かな」と皆が思っているなとも感じました。
本当に容易ではないなと庶民の私でさえ、気が重くなります。

3.靖国参拝慰安婦南京虐殺東京裁判否定・・・・と様々な言説が飛びかう中で、
東京新聞は社説で
「安部政権にとっての上策とは、歴史問題には深入りせず、中国の台頭をにらんだ外交や安全保障協力を、各国と着実に積み重ねていくことである」と書いています。
しかし、「深入りしない」という選択はもう無理だろうと思います。
いま大事なのはむしろ、日本人自身が「歴史問題に深入りすること」ではないのか。
よく学び、人の意見をよく聞き、話合い、ドイツのように歴史問題についての国民全体の・ある程度納得した理解を共有することは本当に不可能なのか?を皆で真剣に考えてそのための行動を取ることではないか?

例えば、右と左の産経新聞東京新聞がともに手を結んでスポンサーになって右左双方の学者・研究者と若手政治家とを集めて研究会を開いて「報告書」をまとめるとか。
本当に「国益」を言うなら右と左が「クロスボーダーする」ことが真の国益ではないのか。「真実は間にあり」を心に刻んで。
来年は、日本の敗戦から70年です。日本のメディアが取り上げなくても独自に海外が取り上げるでしょう。
それまで、今のような国論が二分した状況が続くとすれば、それが国際関係に与える負の影響はまことに大きいだろうと懸念します。


4.後期高齢者の庶民がこんな余計なことを考えても、疲れるだけです。
今朝の東京は夜明けから雪が降り、明日の日曜日(都知事選の投票日)まで降り続くようです。13年ぶりの大雪警報。
散歩にも出られず、家にこもって「歴史認識」などに頭を使っていると、うつになりそうです。
気分を変えて、CDでひとり音楽を聴く方がよさそうです。早めの雪かきを少しした後は部屋にこもって、ピアノ曲をかけ、

降り積む雪景色を眺めながら、最新号の英国週刊誌「エコノミスト」のアバド追悼の記事を読んでいます。
私にも「雪の降る音」が聴こえるかな、と思いながら。


同誌の最終頁の「追悼録」は先々週がシャロンイスラエル元首相、今週はイタリアの偉大な指揮者クラウディオ・アバド
そして2人を挟む先週が小野田元陸軍大尉であることは前のブログで触れました。小野田氏の扱いがシャロンアバド並みというのは本当に驚きで、考えされられます。
アバドはこの1月20日に80歳で死去。ミラノ生まれ。度々来日もしています。ミラノ・スカラ座、ロンドン響、ウィーン歌劇場、ベルリンフィルなどの指揮者・音楽監督を務め、マーラー・ユース管弦楽団など若手の育成にも力を入れ、マーラーブルックナーをとくに好んだ。私は1999年アメリカ・マサチューセッツ州タングルウッドの音楽祭で彼のマーラー7番を聴きました。大喝さいでした。2000年に胃がんで倒れる直前でした。

エコノミスト」によると、
(1) 降る雪には、たしかな「音」が聞こえる。降る雪がやがて息切れのような「無」に消えていく、そのピアニッシモを聴くこと。
彼はそれを少年のとき、古代語の研究者だった母方の祖父から学んだ。「歩いていては聞こえない。雪の中に立って、耳をすますことだ」


(2)7歳の時に指揮者を志した彼は、オケのリハーサルで、ゼスチュアの他は、「聴きなさい」、殆どそれしか団員に言わなかった。音楽を支配しようとはせず、その召使であろうとした。トスカニーニのように叫び・怒鳴ることも、カラヤンのように指揮棒を激しく振りマエストロらしい素振りをすることもなかった。「マエストロ」と呼ばれることを嫌った。そのためオケは、マーラーブルックナーでも、室内楽のような響きを湛えた。
(3)しかしテクニックは穏やかだが、絶対的な信念に支えられていた。
シャイではあったが、情熱家でもあった。生涯を通じてファシストを嫌い、そのため共産党に投票し続けた。
ハイブリッドの車を運転し、樹木を植える活動に参加し、音楽は庶民の生活にとって水のように大事なのだと訴えた。
そのため、時に工場で演奏会を開き、時にスカラ座で会場を空にしてドアを開けて路上の人たちに聴いてもらうというような演奏もした。
(4)2000年の胃がんの手術後、彼の音はますます輝き、音楽への愛に満ちてきたように思われた。そして音がまさに終わろうとする「沈黙」――モーツアルトの「レクイエム」であれブルックナーの9番であれ、招き、願い、震えるような ――

降る雪のような「沈黙の音」の中に彼は逝ったのだ・・・・・