NPO「ミンナソラノシタ」応援しています


1. 憂うつになる政治向きの話は今回はやめて、短い滞在ですが1月・2月と京都で過ごした報告です。ウン十年も若い・元気な人たちと会うのは嬉しいものです。
ソチ・オリンピックも(私は全く見ていませんがTVがあまりにこればかりと不満を言う人もいますね)都知事選も(京都だから当然ですが)ネット若者の「右傾化」にも関係なく、普通に日々の暮らしを生きている若者が(もちろん京都だけではないけど)たくさん居る。当たり前ですが、ほっとします。


2. その前に年下の友人某さんと京都の蕎麦屋で酒を飲みました。
府立植物園の向かい北山通りに半年前に開店しばかりの蕎麦屋さん。
ここは若い女性がひとりで始めた、京都出身だが蓼科高原に近いビーナスライン沿いの「蓼山亭」というお蕎麦やで修業したそうで、私が夏を蓼科で過ごすことを知っている某さんが案内してくれたものです。オープンキチンの若者を対象にした店造りといった感じ。とてもおいしいお蕎麦でした。「蕎麦屋は酒を飲むところ」という感覚でお客が集まるかどうか、うどん文化の京都でそば(と酒)を好むお客を集められるかどうか。
頑張ってほしいものです。
開店には師匠夫妻を招いて味わってもらい合格点も貰ったそうで、こういう触れあいがいいですね。


3. 案内してくれた某さんが「京都検定1級」を取ったというおめでたい話も聞きました(彼のFBには検定証の写真も載ってる)。京都商工会議所による権威ある「検定」で今年の1級合格者は僅か39名、合格率4%強と聞きました。猛勉強をしたそうです。
京都検定」について、私は無智で、全国的にもう少し大きく広報したらいいのにと思いました。
例えば、受験者は全国から。毎年増えているそうですが、39名の名前は公表しないそうです。例えば東京からも合格者が居るだろうか?私の住む世田谷区にも居るだろうか?その人はどんな経緯で受験したか?どんな勉強をしてどんな問題が出たか?京都のどんなところが好きか?どんなところをもっと良くしてほしいか?など訊いてみたいし、京都としてもこういう人たちの活用をもっと考えてもいいのではないでしょうか。

4. 以上は私にとっては京都での気晴らしですが、メインは「町家塾」での12名の塾生との意見交換。いつものように楽しく、勉強になりました。
その前に、11日の祝日は烏丸御池にある新風館というスペースを使って、塾生の1人が代表をしているミンナソラノシタというNPOの「京都から福島へ、ミナソラ製品発表会」を覗きましたので、今回はこの活動紹介が中心です。京都検定1級の某さんがアドバイザーで応援しています。

(1) 活動の経緯はパンフレットから引用ですが
「京都のある幼稚園で、福島の幼稚園の先生を招くプロジェクトがスタート」
→「放射能汚染と向き合いながら、子どもたちを守り育てている先生方をリフレッシュしてもらいたいという想いで、募金集めや講演会、バザーなどを企画実施」
→「福島の現状を知り、継続的な支援の重要性を痛感し」
NPOを立ち上げて、郡山市の幼稚園に「室内の砂遊び場を作りたい」(彼らはまだ戸外で遊べない)「ハンドソープを送りたい」。資金を得るため手提げかばんを買ってもらい売り上げの一部を当てたい
・・・という事業を始めて、すでにネット販売を始め、今回はイベントを開いて売店で直販しようとするものです。

(2) 当日は300名ほど来場者があったようですが、寒い中を幼稚園のお母さんたち、子供たち、「町家塾」の仲間たちが一緒になってイベントを実施していました。家族も大勢来ていたようで、こういう周りのサポートと理解が本当に大事だし、いいことだなと思います。「塾」で知り合った仲間たちの力も大きかったようです。

お母さんたちは時に自分の子どもに留守番をさせて、時に夫に家事をいろいろ頼んで活動を続けていることしょう。
「家族への感謝を忘れないこと。そして感謝を必ず口に出すことの大切さ」を私も僭越ながら何度も伝えています。



(3) 「もちろん苦労もチョンボも失敗も誤解されることも山ほどあって、足を引っ張る向きもあるでしょう。
普通のお母さんたち(それも、まあいろんな意味で比較的余裕のある)がやっている点が注目されて地元の新聞やテレビが取り上げるようになると、日本人特有の「出る杭は打たれる」心理も働くだろう、「余裕があるから出来るんでしょ」というねたみだってあるかもしれない。同じような支援活動の人からは「なぜここだけ取り上げるの」という心理も出てくるかもしれないなと想像します。福島の人たちの中にも「私たちはもっと苦労しているのに」という辛い気持で見ている人も居るかもしれません。

中には、もちろん善意からですが、「ビジネスを知らない主婦の猪突猛進」「あやうい」「リスクが大き過ぎる」といった批判もあるようです。
そういう意見も分かるけど、意見を言うなら、その前に手提げかばんの1つぐらい買って、素直に応援するという気持ちももっとあってもいいのではないか。
イベントは京都の大企業2社小額ながら支援金を出してくれたから実現できたそうで、こういう企業の姿勢もいいですね。
とにかく、日本人特有の「足を引っ張る」のと「出る杭は打つ」のだけは何とか避けて、せめて、人がやっていることを「うまく行くといいな」という気持ちで見ていきたいものです。
もちろん応援するのは「ミナソラ」だけではありませんが、たまたまイベントがあったことと、私自身が被爆者ということもあって、こういう活動にはやはり弱いのです。

(4) 幸いにこのプロジェクトは周りの支えが見てとれて嬉しいです。

幼稚園の園長で牧師でもある先生の存在が大きいなと感じました。
幼稚園の母親OBが、彼の価値観や発言や活動を信頼し、何とか自分たちも力になりたいと思っている。
福島の子ども達を支援するという気持ちもあるが、園長先生を支えて、活動を通して自分たちも成長したい、仲間や知らない他人ともつながりたいという気持ちがあるのではないか。ボランティアは自分の成長のためにやるから楽しいし意味があるんだ、ということを改めて感じます。

(5) 紙数がなくなりましたが、最大の応援者は黒田征太郎さんという画家・イラストレターです。
例によって浮世のことに詳しくない私はいままで知らなかったのですが、有名な人だそうです。私の5日前に生まれた75歳。1966年から3年ほど、ほぼ同時期にNYに居たようで、私事まがら嬉しく思いました。
この人がNPOの代表からの、紹介も何もない「飛び込み」のアプローチに話を聴いて賛同して、全くのボランティアでイラストを描いてくれて、そのデザインで手さげカバンが出来ました。
11日の新風館のイベントもスタッフ3人を連れて住まいのある北九州から来てくれて子どもたちが思い思いに絵を描くのを手伝い、イベントを盛り上げ、皆忙しそうだからと知らぬ間に消えたそうです。これも全てボランティア。素晴らしい。
日本人って捨てたもんじゃありませんね。

(6) 私と同年ということは幼いときの戦争体験もあるでしょう。「ミナソラ」の趣旨に賛同した背景には、いまも東北大震災のその後をずっと支援してきた経緯があるようです。
この日もお母さんたちを前に、被災地の復興が一向に終わっていないこと、被災地では「つなみごっこ」という遊びが流行っていて痛ましいなどという話の最後に、「私だったら東京オリンピックは、有難いけど辞退させて頂きたい」と言うだろう。日本にはまだまだやらなければならないことが山のようにある、と発言されて、私は思わず拍手をしてしまいました。
「東京から来たんですが、このこと公表していいですか?」と訊いたら「どうぞ、どうぞ」という返事だったので私も含めて「2人とも国賊だ」と言う人も居るでしょうが、最後に書いておきます。