少しずつ春というのに新聞が伝えるのは「破られたアンネの日記」

1. 昨日はコートも要らない穏やかな好天。今朝は細かい雨が降り、明日はまた雪が舞う予想も。
こういう風にして東京は徐々に春に近付いていくのでしょうか。
昨日は世田谷梅ヶ丘の羽根木公園まで散歩。
梅の花が盛りで人出も多く「梅まつり」をやっていました。「やがて散る、気配も見せず、梅けなげ」の風情でした。

6日振りのブログ更新ですが、正直いってPCに向かってキーを叩くことに今一つ気が乗らず、さぼっていました。
皆様はどうだろうか?と思います。
私が時々覗くSNSは、同じ思いを共有している人や、穏やかな日常や日々の暮らしを発信している人ばかりなので
「そうだよな」とか「幸せそうだな」とか感じて終わるのですが、
どうも世の中はそうではなく、ネットも勇ましい中傷や非難で騒がしいようです。
幸いにそういうのは私は直接は全く知りませんが、新聞は開けざるを得ず、見るのが嫌な気分になることが多いです。


かなり以前から、テレビの報道は殆ど見ず、新聞も暗い話題が多いので、なるべく敬遠し、主に電子版からニューヨーク・タイムズなどで異国の・自分には全く関係ない出来事を読んで気分転換することが多かった。
ところが最近は、度々触れるように、海外のメディアも日本関連の記事が増えて、これがご推測の通りどれも暗い話で、海外の新聞を読んでも気が晴れなくなった。
どうしたらいいか?と悩んでいるうちに6日経ちました。
他の人たちのように「今日はどこでおいしいラーメン食べた」的な、楽しい日記で行こうか。
「自分は世の動きに惑わされずに超然と生きる。政治向きのことは関心ない」。これも、1つの・生きる姿勢、「立派な覚悟」かもしれません。


2. それでも、幾つになっても悩み多い年寄りは、こういう「悟り」の境地になかなか達せず、朝食のときもテレビは付けないけど購読している朝刊は拡げる、そうすると、「図書館で『アンネの日記』が破られた」なんていう記事が大きく目に飛び込んでくる。初めてこの本を読んだのはいつだったかな、と考える。
どうしても、この記事が忘れられずに、自分の部屋に上がっても、つい考えてしまう。
たぶん、有識者がいろいろ書いていると思うが、それは知らない。庶民の1人として私はどう考えるか。
書棚にある、哲学者アドルノ間連の書籍を拡げる。読み返しているうちに、また考えてしまう・・・・


アドルノハイデガー批判で知られるユダヤ人。1903年、ドイツ・フランクフルトの裕福なワイン商人の家に生まれる。
フランクフルト大学で哲学を教えるが、1933年ナチスの政策で教授資格をはく奪され、英国を経てアメリカへ亡命。
1949年には帰国し、再びフランクフルト大学の教授に復帰。
その彼が、戦時中のナチのホロコーストに衝撃を受けて、「私たちは、非同一的なもの、異質的なものを受容することができるだろうか」が一生のテーマとなる。
アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」という彼のことばが大きな論議を呼び、ユダヤ人詩人の反駁に以下のように応じる。

・・・・アウシュヴィッツのあとではもはや詩を書くことはできない、というのは誤りかもしれない。だがもっと非文化的な問い、アウシュヴィッツのあとで生きてゆくことができるのか、まして偶然生き延びはしたが殺されてもおかしくはなかったに違いない人間がアウシュヴィッツのあとで生きてゆくことが許されるのか、という問いは誤りではない。そういった人間が何とか生き延びてゆくためには、冷酷さが、すなわちそれなくしてはそもそもアウシュヴィッツがありえなかったかもしれない市民的主観性の根本原理が、必要とされるのだ・・・
ここで彼が言う、「市民的主観性の根本原理」とは何か?
私は、「知性と想像力の欠如」が問題なのだと言いたいのではないか、と考えています。

図書館の『アンネの日記』を破った人たちの心理や動機は私には分かりません。
ただ、実現不可能とは知りつつ、こういう風に思います。
「もし、犯人(複数かもしれない)を捕まえることが出来たら、
罰するではなく、
自分たちで計画して、自分たちで、アウシュヴィッツに旅することを義務付ける。
記念館を訪れて、そこで何を見たか、感じたかを記録し、ネットで公表する。
それが終わるまでは帰国できないし、入国許可は出さない」
もっとも、私自身は、アウシュヴィッツを訪れたことはありません。
広島の原爆資料館でさえ中に入ることの出来ない臆病な私にはとても勇気がありません。ひとりで、アドルノの「アウシュヴィッツのあとで生きてゆくことができるのか」という問いを、広島や南京に置き代えて考え込んでいる者です。
公立図書館の『アンネの日記』を平気で破るくらいの「勇気」のある人間なら、アウシュヴィッツの記念館なんか「冷酷」に見て回ることが出来るでしょう。彼(或いは彼女)がそこで何を想像し、何を感じるか、是非とも知りたいと思います。


3. 最後にまた新聞記事ですが、オリンピックが終わってパラリンピックが始まります。
間連して東京新聞の朝刊が、障害を抱えながらスポーツに打ち込んでいる人たちを3回にわたって取り上げています。
1回目、2月25日の記事は以下の文章で始まります。
―――「優先席、あっちですよ」
動きだす電車の中、目の前に座る男性の何げない言葉に、つえと手すりにしがみついていた会社員の〜は返す言葉がなかった。
2009年4月、貧血で倒れてホームから転落。電車にひかれ、右足を失った・・・
ズボンをはいていれば、一見するだけでは義足と分からない。男性の言葉は、事情は分からないまでもつらそうに立つ人への気遣いだったのかもしれない。
でも、動く車内で歩きづらいことまでは想像してもらえなかった・・・・」


この文章を読んで、またまた朝から、気分が悪くなりました。
「これが気遣いなのか?優先席って何なんだ?優先席以外なら、先に座った人は動かなくていいのか?」
何かがおかしい、という気持ちをどうしても拭えず、
数年前のシドニーやロンドンで、電車に入ってきた老人を、何のてらいもためらいもなく直ちにすっと立った青年、
礼を言って座った老婦人が、赤ちゃんを連れた母親が乗ってきたら、今度はまったく当然といった仕草で立ち上がり、席を譲った・・・・
そんな、ごく普通の出来事・日常を思い出しました。(優先席なんていう存在は日本だけではないか)
3月に入ったというのに、明るい文章にならず我ながら残念です。

せめて、アドルノにはこういう言葉をあることを思いだしましょう。
「夜のなかを歩みとおすときに助けになるものは、橋でもなく翼でもなくて、友の足音だ」