銭湯だの友人の活躍だの中国だの


1 暖かくなったと思ったらまた冷たい雨降りの日もあります。
冬が過ぎても寒い日は、週に1回は近くの銭湯で温まります。
近所の人に教えられて昨年になって知ったのですが、世田谷区の65歳以上の年寄りに、請求すると年に12回無料で入浴券が貰えます。これを老妻と2人で有難く利用しています。
この制度いつまで続くか分かりませんが、銭湯を援助するという狙いもあるのでしょうか。このあたりの銭湯も殆ど無くなり、小田急東北沢駅の近くに辛うじて1軒残っています。
入り口の横には「大正のおもかげ・昭和のぬくもり・平成のふれあい」と書いた案内。
浴場に入ると、昔のような大きなペンキ絵ではないが、小ぶりの富士山の絵。なぜ銭湯に富士山がつきものかよく知りませんが。
脱衣場には、全国浴場組合というのがあるらしく、そこが作成したポスターが貼ってあり、やはり富士山を背景にして、詩人田村隆一の言葉が印刷されています。

―――銭湯すたれば人情もすたれる
   銭湯を知らない子どもたちに、誰が集団生活のルールとマナーを教えるのか
   ・・・・・・
   われはわがルーツを求めて今日も銭湯へ ――
これが詩か、と言われるとよく分かりませんが、たしかに昔の子どもたちには、銭湯で見知らぬ裸の大人たちとの触れ合いがあったのだな、と妙に納得。

もっとも今、浴場で知らない大人同士が言葉を交わすことは殆ど無くなりました。妻の話では女性(もちろん年寄り)同士は時たま会話があるそうです。男子の方がどうもこういう触れあいに慣れていないのか、シャイなのでしょうか。

2.暖かい日も増えてきて、日を浴びて出歩くことも増えました。
あちこちで元気なお年寄りが活動しています。
皆さんまことに立派で見事な生き方です。
世田谷区には本格的なオーケストラも合唱団もあり、この時期、昨年はヴェルディ「レクイエム」、今年は第九をやり、定年退職した知人が歌うのを聞きに行きました。
もとの職場のOBたちが絵などを描く会を作って、毎年展覧会をやっています。同期の友人はチャーチル会のメンバーでもありますが、職場の会には「家族」と「兄妹」と題した2枚の絵を出品。

1年下の某さんは、何と3年がかりでバイオリンを製作した、プロの音楽家に弾いてもらい合格点を貰ったそうです(冒頭の写真)


訪れた時はたまたま旧知の、当時まことに有能と評判の女性OBと一緒になり、
「あの会社は(大学卒の女性を採用する会社などほとんど無かった時代)、仕事の良く出来る女性で支えられていたから、その分、男性は、仕事以外に大いに才能を発揮する余裕があったのでしょうね」と話しかけました。
もちろん男女の差別はありましたが、それでも「女子派遣」と称して毎年10名前後が海外勤務する制度があって、勤務した皆さん、「忘れられない貴重な経験」と今でも言っています。現地でアメリカ人と結婚したり、その後退職してアメリカの大学院で修士を取り、60歳を過ぎて今も元気にニューヨークで暮らしている友人も居ます。


もう1人、少し年下の職場OBですが(本職はまだ現役の大学の先生)、日洋会という団体の会員で、その選抜展に選ばれた絵を上野の都美術館で見てきました。
紅葉を主題にした鮮やかな絵で「千樹丘」という題です。

こういう地名は聞いたことが無いなと思って本人に訊いたところ、
「中国に「青紫黄紅千樹林」という言葉があるので、そこから借りて「林」を「丘」にしたそうです。
いろいろと考えるものだと感心しました。
絵を描くのはもちろん楽しいでしょうが、題名を考えるのも一興だろうなと思います。
前に載せた写真、同期生の某さんの絵の「家族」「兄妹」という題名も、果物がいろいろ並んでいる図柄で、いい題ですね。


3.中国と言えば、中学・高校の友人の1人で、長年、詩吟や民謡に取り組んでいる人がいて、彼は父親の後を継いで、中小企業の経営を早くにやめて、長く詩吟の先生をしています。


仲間と「21世紀詩歌朗詠懇談会」という活動をやっていて、年に1度の総会では詩吟を披露するのを聞いてきました。
当日は、前回のブログで触れた、冷泉貴実子さんが「現代に生きる冷泉家の和歌」で講演され、もう1人、全日本漢文教育学会会長・漢詩連盟会長の石川忠久氏が「白楽天〜風雅の詩」と題して話をされて、友人はこの中で、白楽天の詩を吟じたものです。


石川先生によると、白楽天(実名を白居易)、847年75歳で没。中唐の大詩人でかつ役人としても地方長官や大臣などの要職を歴任。
その作風は、平易闊達な詩文で、四季折々の情感を表現する漢詩が多い。
日本の平安文学にも多大な影響を与え、特に「白氏文集」は当時の教養人の必読書として広く読まれ、紫式部清少納言にも多大な影響を与えた・・・・とのこと。


「春風」という七言絶句は以下の通りです

「春風先発苑中梅(春風の中、まっさきに御苑の梅が花開き)
桜杏桃梨次第開(そして桜(ゆすらうめ)あんず、桃、梨と、つぎつぎに咲きほころぶ)
斎花愉莢深村裏(草深い田舎では、なずなの花、にれのさやくらいしかないが)
亦道春風風為我来(それでも春風がわれわれのために吹いてきた、と喜ぶのだ)」

これを独特の節回しで吟じるのが詩吟で、江戸時代の後期、藩校などで漢詩素読する時に独特の節をつけることが行われ、これがルーツになったそうです。
上の漢詩素読する際は
「しゅんぷう先ず開く苑中の梅、おうきょうとうり次第に開く、せいかゆきょうしんそんのうら、またいうしゅんぷう我がために来ると」と読んだようで、詩吟はこう吟sじます。
ということは平安時代はまだこういう読み方はなかったのか?
紫式部も中国語で読んだのだろうか?
何せ無学なのでいろいろ疑問も浮かびます。


因みに、当日、石川先生は白楽天漢詩を中国語で朗々と読んでくれましたが、イントネーションが豊かでなかなかいい響きです。講演のあと少数で先生を囲んで夕食会がありましたが同席した中国人も「格調高い見事な中国語だ」と言っていました。現代中国語とは発音もだいぶ違うようですが、もちろん当方はさっぱり分かりません。

夕食会の席上では、当然ながら両国の長い歴史と関わりについての話が多く出ました。石川先生は、日本人が漢字を摂取して書き言葉にしたことがどれだけ重要だったか、と強調しておられました。
ただし、だからと言って、漢字を取り入れて出来た日本語と中国語とは全く異なる言語だということも理解しておく必要がありそうです。
例えば、中国語の文法はインド・ヨーロッパ語に近い。欧米系の言語と同じく明確な表現が特徴で「イエス・ノー」を伝えるのにふさわしい。男女の使用言語に区別がない・・・等々。
言語が思考をつくるとすれば、思考様式はまったく違うので「同文同種」と思いこむのは、害あって益ない、と言う人もいます。


緊密な日中関係はまことに重要(いまはかなり心配で、そういう意味からもこういう活動は大事だなと思います)。
長い歴史の中で日本が中国文明から得たものはまことに大きい。
しかし両国の文化や国民性は大きく異なり、それを忘れてはいけない。(中国人はむしろ欧米と似た思考をもつ)
・・・・というようなことでしょうか。