まだスティーブン・キング『11/22/63』とマリーナ・オズワルド


1. 4月が始まり、東京の桜満開。ブログやフェイスブックでもあちこちの桜の写真で満開のことでしょう。
当方も負けずに拙い写真を載せますが、いつも散歩する北沢川緑道と東大駒場キャンパスです。今年は冬が長く寒かったせいか、殊のほか結構な風情です。

2. 現役の働き盛りは期末・期初と忙しい時期、当方は「相変わらず」の日常。
前回に続いて、まだスティーブン・キングのベスト・セラー『11/22/63』にこだわっています。

最近はインターネットのお陰で「細部」を検索しながら読む愉しみが出てきたということを前回も書きました。
この小説は「歴史フィクション(historical fiction)」と呼ばれて、ケネディ大統領(JFK)暗殺を1963年の過去に戻って阻止するというお話です。
もちろん「フィクション(作り物)」ですが、出来事や人物は歴史上の事実が多く取り上げられます。
その筆頭が、JFK暗殺の犯人リー・オズワルドです。


彼は1930年ニュー・オルリーンズ生まれ。今生きていたら私と同じく75歳。JFKを暗殺し、ジャック・ルビーに射殺された時はまだ24歳。
もと海兵隊員で日本に勤務したこともある。ロシア語を学び、自らを共産主義者と称し、除隊後ソ連に亡命する。テレビ工場で働きながら、ロシア人女性マリーナと結婚。2人の女児ができた。
しかし、1962年6月犯行の1年半前にアメリカに帰国(入国許可を得るのに半年かかる)以後ダラス郊外に住み、当地に住むロシア人のグループとも付き合う。
因みに父親を早く亡くし、強い母親と母方の叔父に育てられ、叔父はマフィアとのつながりのある人物だった。


3. 物語とはいえ「歴史フィクション」である以上、キングは広範な調査をしたようで
その点を「あとがき」で書いていますが、特徴的なのは「オズワルド単独説」を取っていることです。
50年経っても未だに、CIAだの軍だのマフィアだの、様々な陰謀説が消えない中で「単独説」を押し出すのは興味深いです。
もちろん真相は分りませんが、彼は厖大な資料を読みこんだ上の結論としています。
この小説を書く上で、その方が書きやすいということは言えるでしょう。単独説を取れば、主人公はオズワルド1人を「正義のために」場合によって殺害してもいいと思って行動する、陰謀説を取れば主人公の行動はもっと複雑かつ困難にならざるを得ません。


こういう前提に立って、キングは
(1) オズワルド本人は自惚れの強い、功名心にかられた自己中心の、ケチくさい人物
(2) そこには、息子に強い影響を与えた支配慾の強い・強欲な母親の存在があった
(3) 他方で、ロシア人妻のマリーナは彼の家庭内暴力に悩まされた気の毒な被害者だった
という見方に立って物語を進めます。

たしかに、オズワルドの母親は、かなり問題ある人物だったようです。(上の写真の人物)
1976年、暗殺の14年後に彼女を取材した雑誌の記事をいまもネットで読むことができますが、取材者(当時ABC放送の記者)にはまことに不快な時間だったようで「彼女に会って、リー・オズワルドにほんの少し同情したぐらいだった」と書いています。
母親はもちろんオズワルドは「はめられた」という主張ですが、事件のあと妻マリナを初め遺族がマスコミの取材を一切避けて沈黙を続けたのに対して、彼女だけがテレビなどの取材に積極的に応じ、その全てにお金を要求したそうです。

他方でマリーナは(もちろん、法廷で要求された証言のような公式の場を除いて)沈黙を守り、巨額の印税を払うから夫との暮らしを本に書かないかという申し出も断り、その後再婚して、いまも存命とのことです。

また彼女は、「とても魅力ある美しい女性で、彼女に好意を持つ友人も(男女を問わず)少なくなかった」そうで、キングはマリーナの美しさを度々、同情をこめて書いています。

となると、私であれば、どんな女性だったろうか?と知りたくなります。
そこでグーグル検索をすると、母親もマリナも「画像やサイト」が出てきて、これを眺め、なるほど美人なあとキングに同感し、資料も序でに少し読み(先ほどの母親のインタビュー記事など)道草を食いながら、小説を読み続けることになります。


4. 前回も触れましたが、こういう「細部」を見たり調べたりするのに、インターネットの存在はまことに便利で嬉しいです。


そして小説家ウラジミール・ナボコフ
「本を読むとき、なによりも細部に注意して、それを大事にしなくてはならない。
という通り、小説の魅力は「細部」にあるなと痛感します。ナボコフが書いたのはまだネットのない時代ですから、いま私たちは、読書の楽しみをいっそう増やしてくれる時代に生きている幸せ者です。
因みに少し長くなりますが、ナボコフの言葉を少し続けて引用しましょう(『ヨーロッパ文学講義』野島秀勝訳1982年)


・・・・たとえば(フローベルの)『ボヴァリー夫人』を読むに当って、この小説はブルジョワ階級の告発であるというような先入観をもって読みはじめるぐらい、退屈で、作者に対しても不公平なことはない。
芸術作品というものは必ずや一つの新しい世界の創造であるということ、したがって先ずしなければならぬのは、その新しい世界をできるだけ綿密に研究し、なにかまったく新しいもの、わたしたちがすでに知っているどの世界とも単純明瞭なつながりなど全然もっていないものとして、その作品に対することだ・・・・・


スティーブン・キングの『11/22/63』が「芸術作品」だろうか、娯楽・大衆小説ではないか、と反論されそうです。
しかしこの小説も1950年代末から60年代初めのアメリカの田舎町を舞台にした「新しい世界」を造り出している。
前回紹介した、この時代を象徴するような底抜けに明るいダンス、これもネットのYouTubeを見ることで雰囲気を感じ取ることができて、キングの創造する「新しい世界を綿密に研究し」彼と一緒に楽しむことができます。


ここに挙げたオズワルドの妻の画像は「マリーナ・オズワルド」で画像検索すれば出てきますし、英語版で「Marina Oswald Porter」で検索すれば以下のウィぺディアを初めとしてたくさんのサイトを見ることができます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marina_Oswald_Porter

読者にとっても、さらには作家自身にとっても、あるいはそれを翻訳する人にとっても研究者にとってもまことに便利な時代になりました。
もちろん素晴らしいことだけれど、努力する行為・実地に調べて考えて自分で検証する行為が怠りがちになるかもしれない。
例えば、私は、STAP細胞事件というのは知識が無いのでまったく分からず、分からないことについては発言を控えようという態度でおります。
ただ、一般論としては、こういうネット時代の最近の風潮が多少は影響しているかもしれないな、という感じは持っています。