英国「エコノミスト」特集「中国の未来は?」


1. 海太郎さん有り難うございます。世田谷区の読書会というのは引退したお医者さんのご夫婦がボランティアで始めたものですが、なかなかのインテリさんが多く勉強になります。それだけに運営の苦労があるかもしれません。私は例によってあまり他人の思惑など気にせず、言いたいことを言っています。テキストはメンバーそれぞれの推薦から多数決で決めます。
最近では、『来るべき民主主義』(国分功一郎、幻冬舎新書)『私たちはなぜ税金を納めるのか、租税の経済思想史』(諸富徹、新潮選書)『転換期の日本へ』(ジョン・ダワー&ガバン・マコーミック、NHK出版新書)など硬い本も多いです。



2. いまホット・イシュウの日中関係日韓関係のテキストについては、読書会に適当な本を選ぶのが難しいようです。
最近は某友人によると「中国と韓国の悪口を書いた本を出せば売れる」のだそうですが、個人的には、悪口というのはどうにも好きになれません。人の悪口もそうですが、わざわざ悪口雑言を浴びせて(仮に内容のかなりが事実であったとしても)何が面白いのか、不思議でなりません。
その友人から、最近のベストセラーだから知っておいた方がよい、上げるよ、と言って、室谷某が書いた『呆韓論』(産経セレクト)という新書を貰いました。気持ちはまことに有難いのですが、どうも題名からして私の好みではなく、なかなか読む気になれません。この人の前著は『悪韓論』だそうです。こんな題名付けて売れれば、嬉しいのでしょうか。
残り少ない人生、悪口を言うのは出来るだけ避けて、どんな人でも国でも、そのいいところを見つけて、同時に、抱えている問題や欠点・弱点(「悪」や「呆」も含めて)については、自分にもあるよなという自覚をもとにそれなりの理解を持って接したいと願っています。


3. ということで、中国ですが、英国の週刊誌「エコノミスト」の4月19~24日号が
「中国の未来」と題する特集記事を組んでいます。数日前にやっと読み終わりました。
1頁の「総論」のほか14頁の特集記事、関連記事が2つ合計18頁の英文を読むのは結構時間がかかりますが、読みごたえがありました。
ここでは、まずは「総論」の冒頭を一部引用し、同時に読み始めたときの感想を付記することで終えたいと思います。


――エコノミスト「中国の未来」の特集記事は、「中国の未来はどこにあるか?それは都市にある」として、もっぱら中国の都市化の光と影を取り上げます。
「総論」は以下のように始まります。


・・・・「偉大なる都市とは」と、かってベンジャミン・ディズレーリ(19世紀後半の英国首相)は言った「必ず、何らかの偉大な理念の原型である。ローマは征服を、イエルサムは信仰を、そしてアテネは見事な文化・芸術を具現化している」と。
その論法からすれば、中国の党幹部が都市について抱いている唯一の理念は・・・「成長」である。そしてそのことが、巨大な成果と同時に問題を生じさせている。
ここ30年間で中国の都市人口は5億人以上に増大した。アメリカに3つの英国を合わせた人数に相当する。すでに総人口のほぼ半分を占める中国の都市人口は、毎年ほぼ東京の人口ほどの数で増えており、2030年は10億人、総人口の70%、おそらく世界の人々の8分の1の中国人が都市に住むと予測されている。
かくして、中国と中国共産党の未来は、都市の安定にかかっているといっても過言ではない。
中国の都市について、いま何が起きつつあるかは、息を吞むほどに刺激的である。

上海、1990年代までは、一部に19世紀の雰囲気を残しつつ、共産党特有の単調で無秩序に広がった上海は今や、コスモポリタン都市の象徴としてジェームス・ボンドの007映画の舞台に使われている。

成都、2000年以来50%も人口が増えたこの都市は、今や世界で最大の複合建築「新世紀グローバル・センター」の威容を誇り、この中には巨大なショッピングモールの他、300メートルも広がる屋内の人口ビーチまである。

蘇州には、24億ドルを投じた世界で最大の新幹線(弾丸列車、bullet-train)の駅があり、建物と周辺地域はサッカー場を8つ合わせたほどの広さである。いまや中国の都市に住む住民は、6年前には存在しなかった時速300キロの新幹線ネットワークを利用して移動している。ネットワークはすでに欧州全体より長い距離を有するが、2030年までにはさらに約3分の2の7000キロが建設されて、人口50万人以上の全ての都市が、新幹線でつながる予定である・・・・・・

4. この文章を読みながら感じたのは、必ずしも「エコノミスト」の記事だけではなく、こういう記事の多くに見られる特徴的な文章スタイルです。
(1) は、気障と言えばキザですが、必ず、ちょっと恰好いい「引用」から始まります。昨年2月の「エコノミスト」は北欧4カ国のやはり14頁特集を組みました。このブログでも紹介しましたが、http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130217
以下の文章で始まります。

・・・・・・かって、セシル・ローズ(19世紀後半の大英帝国を象徴する政治家)
は、「イギリス人に生まれることは、宝くじの1等に当たるぐらい幸運なことだ」と言ったそうだ。
しかし、現在であれば、平均的な才能と資産をもって生まれるとしたら幸運は、英国に代わって「ヴァイキングになって北欧に生まれること」だろう。
前回はセシル・ローズ、今回はディズレーリ元首相の「偉大な都市はそれぞれが、ある理念を示している」という言葉から「中国の都市の理念は“成長”(だけではないのか)」という問題提起から文章を始める。
記者は、こういう「引用」が出来るぐらいインテリなんだよという「恰好付け」から文章をスタートさせる、というのがいわば「いい文章」の約束事になっているようです。


(2) .もう1つは、これは欧米人の思考に特徴的だろうとかねて考えているのですが、それが多くの文章の特徴にもなっていて、それは「イエス・バット(Yes,but)」ということです。
この点は、私たちももっと真似てよいのではないかと、若者に喋るときに必ず言及するのですが、
彼らはまず、褒めることから論理を組み立てる。「それはいい、それは面白い」そして「だけどね・・・・」と続けます。
「中国の未来」の特集記事も、いま中国の都市化がどれだけ素晴らしい成果を挙げているか・・・から始めます。
そして勿論、問題も山積していることも鋭く指摘します。それは問題提起であり、呼びかけでもあります。
悪口雑言を浴びせて、相手を「悪」だの「呆」だのと切って捨てるのではなく、「こういうことも考えないといけないんじゃないの〜」というアプローチです。批判ではあるが、建設的な批判です。
私たちも、こういうアプローチをもう少し学んだ方がよいのではないでしょうか。