鳩サブレーのこと・百人一首のこと

1. 上着の要らない季節になりました。歩くと汗が出て、散歩もごく手軽に済ませています。庭で日を浴びるのも暑くなりましたが、週末は長女夫婦が来て庭でお喋りをしました。お花と「鳩サブレー」を貰いました。http://www.hato.co.jp/hato/

久しく手にしたことがなかった、このビスケット、東京駅の売店などで昔から見かけたことがあって、何となく東京土産と思っていました。ところが検索すると、「(明治時代の末期から)神奈川県鎌倉市の豊島屋(としまや)が製造・販売するサブレー。名前が示す通り鳩を模した形が特徴。主に鎌倉の鶴岡八幡宮に参詣した人の土産として有名で、現在では神奈川県を代表する銘菓となっている」そうで鎌倉のお菓子とは初めて知りました。
酒飲みの彼らが酒飲みの我が家にお菓子を持ってくるのは珍しいですが、なぜ買ったかというと、このお菓子、最近話題になっているそうです。

・・・・鎌倉市由比ヶ浜海水浴場の「命名権」を売却することになった。これに応じたのが豊島屋で、しかも同社は自分の名前を入れず購入後も「由比ヶ浜海水浴場」のままとすることに決めた。これがいま「恰好いい」とネットで評判となり、売れ行き好調、期せずしてかどうか、宣伝効果抜群になっている・・・という説明でした。なるほど。


因みに命名権(ネイミング・ライツ)というのは「施設などに命名することができる権利。1990年代後半以降、スポーツ、文化施設等の名称に企業名を付けることがビジネスとして確立した」とあります。東京近辺ではサッカー場の「味の素スタジアム」などよく知られています。明治神宮が所有する「神宮球場」などの例はありますが、「命名権」というビジネスとして売買され、土地や施設の所有者(多くは国や地方自治体)が権利を売って収入源として利用するようになったのは90年代後半だそうです。



2. そこで思い出したのが、昔の職場で企画の仕事をしていた1980年代のこと。
まだ「命名権」という「権利の売買」がそもそもビジネスになるとは日本では知られておらず、他方で、アメリカではとっくに当たり前の話で、海外のビジネス事情を得意とする「職場」でしたから、同僚のアイディアマンの某君が、新しいビジネスになるのではないか、即ちこれが売買の対象になるということを日本でも広めて、企業と所有主との間を仲介して契約を成立させて、手数料を貰うというアイディアを「新規企画」として提案しました。
面白いということになって彼がいろいろ動いたのですが、結局実らず、挫折しました。
まだ、こういうのがビジネスになるという発想が日本に無かった時代で、ちょっと時代の先を行きすぎたのでしょう。
それと今でも「公共の施設に特定の企業名を付けるとは〜」と抵抗を覚える人もいるでしょう。
その点で、歴史ある「鎌倉由比ヶ浜海水浴場」を守るために企業が命名権を購入して市の維持費用を一部負担する。しかし公共の施設であり、名前も市民に浸透し・愛されているだろうから、これは変えない・企業名も出さない・・・という判断は、たしかになかなか「恰好いい」やり方だなと思います。

3. そんな雑談を交わしたあと、百人一首の話題もでました。
ちょうど1か月前に、京都の従妹の家で恒例の「大かるた会」があり、その様子をまとめた写真集が届いたばかりでした。
「かるた会」は今年から、いとこだけでなく、第2世代の有志も参加して、長女の連れ合いが初のチャンピオンになりました。
彼も子どものころ、家庭で両親や親せきが集まって百人一首で遊んだということです。
前にも書きましたが、これからもどこかで、仲間うちの「楽しみ・交流」として消えずに、残っていって欲しいものだと思います。
プロの「かるた選手権」というのもあるそうですが、庶民の肩の張らない「遊び」も大事でしょう。
コンピュータによるゲーム全盛の時代に、こういう素朴な遊びを残そうと考える人たちも居るようで結構なことです。

3月でしたが、散歩の途次、世田谷・梅ヶ丘の中学の前を通ったら、「美しい日本語週間の取り組みとして、中学1年生と2年生が、某日、学内で百人一首大会をやった」という掲示が貼ってありました。
また4月初め、桜の美しい東大駒場キャンパスを散歩していたら新入生の入部を勧める「タテカン」の中に「東京大学百人一首同好会」もあって、若者が中世・近世の日本語にこういう形で触れる機会があるのはいいなと思いました。


4. 私であれば、大いに遊んだのは小学校の頃でもちろん意味も分からずに、覚えていました。しかしこの年になって改めて歌を読み返したり作者の名前を確認したりして古い日本に思いを馳せるのは悪くない経験です。

百人一首には、言うまでもなく、後鳥羽院崇徳院も、西行も実朝も、紫式部小野小町も、俊成も定家も登場します。後鳥羽院から「承久の乱」を考えたり「実朝」から同名の小林秀雄のエッセイ(これはいいです)を読み返したりします。

ここで少し硬くなりますが、いま世田谷市民大学柳田國男折口信夫の講義を聞いています。講師の先生の著書『<弱さ>と<抵抗>の近代国学』(石川公弥子、講談社選書メチエ)の冒頭にこんな文章があります。少し長くなりますが、

・・・・柳田、折口・・が思想の核に据えたのは、本居宣長平田篤胤国学であった。
(略)歌とは、日常生活における人びととの出会いの場であり、他者の心情に思いを寄せ相互理解とつながりを求める場である。宣長は歌を通じて、個々人が各人の私的立場を尊重しつつ共同するという共同体イメージを形成しているのである。
(略)このようにして宣長が見出した人間の本性は「めめし(女々し)」である。しかも、「めめしい」本性を取りつくろい隠す態度を「ををし(雄々し)として、手厳しい評価を下す。心に思うありのままを詠む「めめしさ」こそが、詩歌の本質なのである。そして人間本性を「めめしさ」、すなわち<弱さ>に見出し、「弱さを内包した弱い自己」をそのまま肯定することを説く。・・・しかも、歌を通じて<弱さ>を表現することは、他者の<弱さ>の現出を受け止め肯定することにほかならない・・・・


私も生来自分で大いに「女々しい」人間だと思っていますので(だから集団的自衛権に懐疑的なので)、なるほど、と安心します。そして、いままで、あまり身近に感じていなかった本居宣長を(古文を読むのはしんどいが)真面目に読んでみようかという気になるのも「かるた会」のお陰かもしれません。


5. そう言えば一昨日の5月27日は「百人一首の日」だというのも娘からの情報です。そもそもそんな「日」があるとは知りませんでしたが、これもネットを検索すると以下が出ていました。
―――5月27日は「百人一首の日」です。
これは藤原定家の『明月記』の文暦2年(1235)5月27日の項に、定家が親友の宇都宮入道蓮生(頼綱)の求めにより和歌百首を書写し、これが嵯峨の小倉山荘(嵯峨中院山荘)の障子に貼られたとあって、これが百人一首の初出ではないかと考えられたことによります―――だそうな。