小林秀雄「伝統について」と漢詩や和歌のこと


京都はすでに35度以上の猛暑日を経験したそうで、日本はまさに熱帯ですね。仕事でロンドンから一時帰国した次女が「英国ではこの暑さは考えられない」と悲鳴をあげていました。
前回のブログにフェイスブック経由コメントを頂いたシドニー在住の方に「シドニーには
熱中症”という英語はあるだろうか?」と伺ったところ、“hydration”という言葉があると教えていただき勉強になりました。英和辞典を引くと「脱水症」という訳が載っていました。
百人一首のコメントも頂きましたが、子供のときにそれぞれのご家庭で楽しまれたというお話で、いいなと思って読みました。
例えば家族で百人一首で遊ぶといった、まことにささやかな・所詮は「遊び」であっても、或いは母親の作ってくれた味噌汁の味であっても、それぞれの家庭のしきたりや風習で、「残る物」「残したい物」「消えて行く・消えて行かざるを得ないもの」など、いろいろあるのではないでしょうか。


2.これらも「伝統」と言うと大げさですが、しかし少なくとも庶民が自前で残していく「風習」として大切にしたいと思う者です。
前のブログhttp://d.hatena.ne.jp/ksen/20140414:=title市民大学の講師の意見を紹介しましたが、確かに1937年文部省の「国体の本義」で国家が宣言した「和の精神は日本の伝統である」なんていう「創られた・意図的なもの」と、自前で育てた「伝統」とは区別する必要がありそうです。
だいたい「日本人は和の精神〜」というけれど、この国だって古代の「大化の改新」以来、残酷な争いが絶えなかったのではないでしょうか。
平安朝や鎌倉時代に、宮中で雅な和歌をつくっている最中に、源平が争い、天皇と幕府が争い(承久の乱)負けた方は処刑され、上皇といえども隠岐佐渡に流され、「和」とかけ離れた世の中ではなかったかという気がします。

「創られた伝統」にはその意図を含めて、警戒することも必要である。
しかし他方で、「守りたい伝統」もあるでしょう。
因みに、評論家の小林秀雄は「伝統について」という短い文章でこんなことを書いています。

・・・「伝統に関する一番悪い考え方は、伝統というものを習慣と同じ性質のものに考えることである。
(略)
僕らが無自覚で怠惰でいるとき、習慣の力は最大であるが、伝統の力が最大となるのは、伝統を回復しようとする僕らの努力と自覚においてである。
・・・伝統は、見つけ出して信じてはじめて現れるものだ。
(略)伝統は、これを日に新たに救い出さなければ、ないものなのである。それは努力を要する仕事なのであり、従って、危険や失敗を常に伴った。これからも常にそうだろう・・
・・

3. 実は、6月2日、中高時代の友人に頼まれて、九段下の岳風会館というところでそんな話をしました。
私事ながら、かつ「アナクロニズム」と言われそうですが、戦前の公家華族の血を引いていることを偶然に最近知った、長い付き合いの彼が(言うまでもなく、そんなことをべらべら喋ることでもないので)漢詩や和歌を朗詠する仲間からの依頼ということで持ち込んでくれたものです。私事にもからむので、まことに話にくいテーマではありましたが、何とか90分を持たせました。
九段下の岳風会館というのは初めて行きましたが、3階建のビルで、ここに公益社団法人日本詩吟学院というのがあります。こういう組織も始めて知りましたが、いまも全国に、漢詩や和歌を吟詠する人たちが居るのです。

私が話したのは
(1)明治初めから戦前まで存在した華族制度の中に約140家の公家華族という人たちが居た。和歌の家として知られて、藤原俊成・定家を祖とする冷泉の家もその1つ。
(2)しかし、戦後民主主義教育の申し子としては、こういう制度や伝統はアナクロニズムと思う。まさに福沢諭吉
「天は人の上に人をつくらず人の下に人をつくらずと言えり。〜
人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり・・・・」(『学問のすすめ』)
の信奉者である。
(3)他方で、「家」という形である必要はないと思うが、文化は継承していくべきと思う。詩吟も漢詩も和歌もそういう「文化」であり「伝統」ではなかろうか。
ということで、こういう「伝統」は「守っていく努力と自覚」が必要だという、上述した小林秀雄の言葉を引用しました。


4. 硬い話ばかりでは面白くもないので、上述したように、習慣やしきたりや文化には、
「残すべきもの」と「(残す意味がなく、当事者の感傷はあるにせよ)消えて行かざるをえないもの」の2つがあるとして、後者の例に、我が家であれば「ごきげんよう」という言葉遣いがあるという話をしました。

NHKの朝ドラ「花子とアン」で村岡花子が通った東洋英和女学校でこの言葉が女学生同士で使われて、結構話題になっているという話を別の友人たちとの会話で知ったばかりです。私はこのドラマ見ていないので知らないですが、多分、自宅で使う人は少なくて、学校内の用語として出てくるのではないかと思います。


ところが、これは元来が公家言葉ではないでしょうか。
というのも、子供時代の貧乏な母子家庭であった我が家では、母親が実家から持ちこんだ言葉遣いで、姉弟5人を含めてもっぱら使っていました。
しかも、この言葉で家内では全ての挨拶がまかなわれました。朝起きて、お互いに「お早う」の代わりに「ごきげんよう」、寝る時に「お休みなさい」の代わりも、外で家族同士・親戚同士が会っても「こんにちは」も「さよなら」も全てこの言葉を使って済んでしまう。
その点でまことに重宝なのですが、問題は符牒みたいなもので、仲間うちにしか使えない。
子ども心に、外と内とで言葉遣いを変える気配りを学ぶ勉強にはなりました。


今でも、いとこ同士が京都に集まった時などは仲間うちの高齢者同士「ごきげんよう」が飛びかいますが、我が家も含めて誰も次世代には継承していません(継承しようとしても次世代が受け入れることは無かったでしょう)。
従って、この言葉は、我々の世代を最後に、親戚内でも消えていきます。

多少の寂しさというか感傷が無いと言えばうそになりますし、特に母親を思い出したりするときには、言葉やしぐさというのはどうしても姿と一体化します。
これからも「花子とアン」を見るつもりはありませんが、出てくる「ごきげんよう」は聞いてみたいなとも思います。
別にこんなことはどうでもいいのですが、仲間うちの言い回しとは少しひびきが違うかもしれません・・・。
何れにせよ、どこのお宅にも、ちょっと寂しいけど、両親の思い出とともに徐々に消えていく、使われなくなる、そんな風習というのはあるのではないでしょうか。



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