前回は「ごきげんよう」今回は英国の貴族とラグビーの話

1. 先週は、雑用があって3回、六本木まで出掛けました。
うち1回は、六本木の高層マンションの先輩の自宅で年に3回ほど開かれる「Hサロン」と呼んでいる集まりです。夫婦3組プラス男女3人の計9人の高齢者が集まって、コンビニで買ったお弁当を頂いたあと、誰かがちょっとした発表をして意見交換に移ります。

前回は、1月末でしたが、Fさんが「シェークスピアは実は隠れカトリックだった!」という話をしてくれました。当時の英国のキリスト教ヘンリー8世のときにカトリックから分離、英国教会をつくり、その後のエリザベス1世の時代(1558~1603)、カトリックは厳しく弾圧されたそうです。

論拠の1つに『ベニスの商人』を題材に、登場人物のせりふには、弾圧時代のエリザベス1世のイギリスを念頭にいれて、この時代を嘆く気持ちが底流にあると、東京四谷にある大きなカトリック教会の神父さん兼シェークスピア研究者が主張しているそうです。
Fさん自身がカトリック信者ですが、そう言えばサロンの仲間9人のうち実に5人がクリスチャンだということに、個人的に興味を持ちました。
そう言えば、7日の昼には大学時代の級友8人が集まって会食をしました。
うち1人が福島原発の後処理をめぐる大事な役職について苦労しているので、某君が呼びかけ人になって激励会を開いたものです。これもたまたまですが、この人物を含めて、8人中2人がやはりクリスチャンで、ちょっと記憶に残りました。
日本では人口の1%にも満たず、100万人未満というクリスチャンが、私の身近には意外に多いなというのは、このところ個人的に興味を感じているところです。
皆様の周りはどうでしょうか?

2. Hサロン今年2回目の6月3日は私がカズオ・イシグロの小説『日の名残り』の話をして、(もちろん事前に皆さんに読んでもらって)その後、英国を肴にして意見交換をしました。もとの職場の仲間で、皆ロンドン勤務も経験しており、英国の思い出話で盛り上がりました。
いまの英国について、半年ほど前の「エコノミスト」(2013年11月9日号)が特集を組んでおり、この要訳も紹介しました。
記事は「英国は、いまの体制即ちグレイト・ブリテン連合王国(ユナイテッド・キンダム=UK)で行くのか?それとも“小さな英国(Little England)”で行くのか岐路に立っている」という問題意識で

以下の出来事がその決め手となると解説しています。
(1) 5月末の欧州議会選挙の帰趨――これはすでに終わり、EU(ヨーロッパ連合)からの離脱を主張する英国独立党が第1位となり、与党の保守党は労働党にも抜かれて3位に転落し、衝撃を受けている。
(2) 9月には注目のスコットランドの独立を問う住民投票が実施される
(3) 来年は総選挙の年で、現状では保守・自由民主の連立キャメロン政権の苦戦が予想されている。
(4)2017年までにはEUに英国が留まるか否かを問う国民投票が実施される。16年に前倒しで行われるという噂も強い
というような政治的に大事な節目を迎えようとしています。
他方で、2015年は、ラグビーのワールドカップが英国で開催される。
また、エリザベス女王(2世)は1952年2月の即位ですから2015年中には在位63年7カ月を超えることになる。これは、歴代イギリス国王の中でも最長の在位を誇る、大英帝国を君臨したヴィクトリア女王を抜くことになります。英国では大きな話題になることでしょう。

3. クラスについて
ということで、いま英国が面白いと思うのですが、
たまたま上記のサロンでは「英国のいちばんの印象は何だろうか?」ということを皆さんに伺いました。
「したたかさ」「誇り高い」「ジェントルマンシップ」「英語のアクセント(アメリカ英語が世界を席けんしていることを意識しての発言か?)」等々のコメントがありました。
私は、たまたま一時帰国をしたときにちょっと次女が言った「英国を特徴づけるのは“クラス(階級)”だと思う」という感想を紹介し、ついでにごろ合わせで「英国は
C&C(つまり、階級とカントリー=田舎の美しさ)が特徴かもしれない」と補足しました。
議会制民主主義がもっとも進んでいる・模範的、と言われる英国が、他方でいまも牢固たる階級制度を維持しているのは、たしかに不思議であり、驚きです。
階級があり、いまも貴族が居ます。言葉遣いも違います。
因みに公爵は英語でduke、侯爵はmarquees(サディズムの語源として知られるサド侯爵は革命前のフランス貴族ですが、「マルキ・ド・サド」)、伯爵は普通countですが、英国ではearl,子爵はviscount、そして男爵がbaron。
民主国家日本に暮らす庶民の私たちには何の関係もない話で恐縮ですが、例えば『日の名残り』のような小説を読む場合、多少の知識があった方がイメージがつかめるということはあるでしょう。
こういう貴族(よく知りませんが英国全体で数百人ぐらい居るでしょうか)が、民主主義国イギリスでなぜいまも存続しているのか?
もちろんフランスやドイツや日本と違って、革命も無く、戦争にも負けていないからでもありますが、加えて以下の背景もあるように思います。
(1) いまや彼らは、権力も特権も(おそらくお金も)さほどなく、存在自体が特に実害がない。
(2) 家柄をもとにした世襲貴族の他に、一代限りの貴族・准貴族を設けて、実力者をそれなりに処遇している(例えば故サッチャー元首相もデームになった)。
(3) 貴族以外の英国人は、庭でバラを作りパブで仲間と過ごすような暮らしをこよなく愛し・満足していて、貴族の暮らしなどに何の関心もない。
・・・・・以上は、私の推測も入ります。

4. 最後に長くなりますが、来年、英国で開催されるワグビー・ワールドカップに触れたいと思います。熱烈なファンの長女夫婦の「うんちく」の紹介です。因みに階級社会の英国では、ラグビーとサッカーとでは応援する人たちの階層が異なります。
(いまはだいぶ混じっているかもしれないが)

(1) ラグビーのワールドアップの国別代表は、オリンピックやサッカーと異なり、「国籍主義」ではなく「所属協会主義」を採用している。
(2) これは歴史的には、大英帝国時代に、植民地の豪州やニュージーランドに暮らす英国エリートたちがその植民地の代表として参加できるために採用された経緯があるようで、今では、その国に一定期間居住すれば、国籍に関係なくナショナル・チームに代表になれる。

(3) だから、ラグビーは、国籍主義を採用するオリンピックに参加できない(次回のブラジル大会では、7人制だけラグビー側が妥協して、国籍で参加を決めた由です)。

(4) こういう代表チームの決め方は、結果として「同じところでしばらく一緒にプレーしたら(つまり、暮らしたら)国籍や出身に関係なくラグビー仲間」という理念が生まれてくるのではないか。

それは、ひょっとして、オリンピックやサッカー・ワールドカップが時として過度にナショナリズム国威発揚の場(自分の国が幾つ金メダルを取ったか・・・など)となることに対する、強烈なアンチ・テーゼになるかもしれない・・・・・・


私はたいへん面白いと思って聞きました。
今だにクラス(階級)が残る一方で、国籍に拘らない・オープンな文化がある、そういう英国という国は実に面白い、と思っています。