『インフェルノ』と『神曲』とフィレンツエ仮想旅行

1. ベストセラーのダン・ブラウンインフェルノ』が扱うのは(1)人口過剰問題(2)ダンテ『神曲』(3)仮想旅行、の3つだと前回書きました。

(1) については、高齢化も同じように大問題という指摘をFBで頂きました。確かに長寿は人の願いでしょうが、70億皆が長生きできるほど地球は強靭なのか・・・
所詮、娯楽小説が取り上げている話と言ってしまえばそれまでですが、フィクションとは言え、登場する医学者が「このままでは地球は破局を迎える、WHO(世界保健機構)だって本当はその事実を深刻に認めている」と主張するのは大いに気になるところです。


もう一つ、なるほどと思ったのは、「人間の心には、本当に深刻な真実が自らに過度なストレスを与えることを拒否するメカニズムがある、これを専門用語で単純に“拒否(denial)”という」という説明です。
確かに、おいしいものを食べて・楽しく過ごして、その結果何かを考えないようにしている、という無意識の心理が私たちには働いているように思います。


2. そんな風に自分のことばかり考えていると・・・と人間はどうなるか?
そこでダンテの『神曲』が登場します。
人間は7つの大罪の結果、地獄に落とされる、そこからどのようにして煉獄を経て天国に至るか?
現代人からは荒唐無稽と言われそうですが、実は私も読んだことはありません。
ところが現代の高校生でも真面目に読んだ人が居ます。

中高一貫校の母校は、いまも中1のときから知識の詰め込みではなく、自分で調べて・考えて文章にまとめるという訓練をしつこくやっているようです。
中1は「仮想旅行」中3は「課題図書から選んでの共同論文」と「各自が選んだ仕事人研究」高校1年の社会科の授業では、自由に課題を選んで「基礎課程修了論文(修論)」を仕上げる、等々。そして優秀作は年1回発行の「論集」に掲載される。

2011年「論集」に、「神曲論、神曲の魅力」という高1の某君の「修論優秀作」が載って感心しました。彼は以下のように書き始めます。

「ダンテの『神曲』という名前を最初に聞いたのは、テレビ番組であったと思う。
非常に難解な作品だという第一印象を受けた。しかし、作者ダンテ自身が「地獄」「煉獄」「天国」を旅するという設定に驚き、人類史上最高の文学作品とも言われていることを知った。
・・・・
まずその難解な詩的表現と長大さにただ衝撃を受けるばかりで、テーマとしては失敗したかとも思った。・・・それでも読み終わった時には大きな達成感とともに感動も感じていた。
・・・その魅力について考えてみて・・・この論文では神曲にちりばめられた「愛」について述べていき、「神曲の魅力は愛」だという自分なりの結論を出したいと思う・・・」

10代の半ばに、古典と言われる長大な文学作品の挑戦すること、そういう機会を与えさせようとする中高教育のあり方を、とても応援したくなります。
私であれば、ダンテに挑戦する能力も意欲もありませんでした。
しかし、せめて、『チボー家の人々』(ロジェ・マルタン・デュ・ガール)や『ジャン・クリストフ』(ロマン・ロラン)などの長い物語を、受験勉強そっちのけで夢中になって読みふけった高校時代を思い出しました。


3. 『インフェルノ』では、この『神曲』の記述が「謎」を解く大きな鍵になります。
このまま人口が過剰になって皆が自分の生しか考えないと「インフェルノ(地獄)」になると憂うる天才化学者が、人口を現在の70億から40億に人為的に減らす方策を考える。その動機はダンテと同じく「人類への愛」なのだと公言する。
主人公で中世美術史の権威・ハーバード大教授のロバート・ラングドンは、その「方策」を妨害するために化学者の仕掛けを解いていかなければならない。そのためにフローレンスやヴェネチアや最後はイスタンブールまで飛んでいく。
読者は読みながら「仮想旅行」を楽しみます。
その間、著書の「うんちく」が披露されて、ダンテと『神曲』についての情報や様々な名所旧跡について教えてもらうことになります。まさに「フィレンツエその他の、丁寧な観光ガイドブック」になっています。

そして、それに沿って物語の展開も実にスピーディで、語られるのはたった1日の出来事ですが、この「うんちく」や名所旧跡をフォローするには、やはりインターネットの助けを借りるのが便利だということになります。

私であれば、IT機器を横に置き、時々検索しながら紙の本を読むというやり方です。紙媒体への愛着は捨てきれず、電子書籍とまではいかないが、インターネットの検索機能は大いに活用しようという読み方です。
電子書籍であれば、例えば「アヤソフィア大聖堂(イスタンブール)」と出てきたらその箇所をクリックすればすぐに解説も画像(下)も出てくる。

紙の本を読みながらではいちいちPCやタブロイドに向かってキーワードを入れて検索しないといけませんからその分、時間はかかります。しかし当然ながら紙の本の良さもありますから、多少の不便さは私であれば許容できます。
しかも、以下のように本作に出てくる名所旧跡を荒筋に沿ってまとめてくれる以下の「サイト」もあります。
http://www.templarinfernobookreview.com/dan_brown_inferno_illustrations.htm

このほかに検索した個別のサイトも「インフェルノ」と名前を付けた「お気に入り」にいれておけば一度検索するだけで済みます。

もちろん筋を追って読むだけであれば、別にそんな雑情報を頭や目に入れずに読み進めばいいですが、やはり、そういう道草をしながら読んでいくと面白さは深まるように思います。

例えば、あのウフィッツイ美術館の目玉展示物である「春」や「ビーナスの誕生」や典雅優美な聖母マリアの絵でよく知られるルネッサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェリに「地獄の絵」(下の写真)があるというのは本書を読むまで全く知りませんでした。

本書の中でも主人公ラングドン教授と行動をともにするお医者さんとしてきわめて優秀な若い女シエナがこの「地獄の絵」については知らずに、驚いて彼からいろいろ講釈を受けるという箇所が出てきます。

神曲』でダンテが詩で描写する「地獄」の姿を絵画で克明に再現した暗い絵ででバチカン図書館所蔵だそうです。
小説を読み、ラングドンの講釈をシエナと一緒に聴きながら、何度も映像に戻って、また文章に戻るという作業を繰り返します。
そして、インターネット時代の読書のあり方というものをあらためて興味深く考えています。