何でも「答え」があるデジタル・ツナミ時代とウィキペデイア


1. 前回のブログでは「デジタル・ツナミ」の時代になり、インターネットからあらゆる問いに答が得られる時代になった、だからこそ、私たちは「何を問うか?何に疑問を持ち、何を知りたいと思うか?」が大事だという話をしました。
もちろん「問い」は自分が興味を持つものなら何でもいい訳ですが、何にでも「答え」があるということは、ひょっとして無意味な「問い」を7「検索」することで時間を浪費しているかもしれない、と時に自戒する必要があるのではないか、と思う者です。今回はさらにこの点をフォローするつもりです。


2. 前回紹介したタイム誌は様々な「問い」を例としてあげていますが、私には無意味と思われるものがほとんどです。

「ほら、こんな下らない質問だって、検索すれば、必ず答が見つかるよ(だから有意義な「問い」を問おうね)」という戒めとして例をあげているのかなと疑ってしまいます。
例えば「世界でいちばん住んで安全な国は?」なんていう「問い」はちょっと検索してみたくなります。
グーグル英語版には、関連する・いろいろなサイトが出てきます。
「安全な国2014のベスト10」というサイトがあって、
5位―アラブ首長国連邦、4位―韓国、3位―香港、2位―シンガポールと出てきます。


1位は・・・・・もちろん日本です。

ところが他方で、「2014の最も住むのに素晴らしい国ベスト10」というサイトもあって、この10カ国に上述した「安全な5カ国」は何れも入っていません。
北欧、オランダ、スイス、オーストラリアといった国々で占められてしまいます。

解説を読みながら、いろんな感想が浮かんできます。
(1) 「住むのに安全な国」のトップが「日本」というのは嬉しい話だが、本当にそうか?火山の噴火や台風など自然災害の大きさも考慮に入っているだろうか?
(2) 香港が「住むのに安全な国の第2位」というのは、最近の民主化をめぐる若者のデモを見ていると、これからも保証されるだろうか?
(3) 「安全」は大事なファクターではあるが、それだから「全ての面で住みやすい・幸せに暮らしている」とは言えないようだ。やはり、北欧やオランダ、オーストラリア等は、別の面での「住みやすさがあるようだ」・・・それは何だろう?

―――というような「問い」と「答え」をネットで検索し、調べているうちに、すぐに1時間や2時間が経ってしまいます。私個人としては、面白いと言えば面白いのですが、下らないと言えば下らないと思う人も多いでしょう。
冒頭、自戒として書いたように「有意義な問い」を検索することに意を用いないと、無駄な情報の洪水には溺れてしまう・・・・という例だろうと思います。


3. 言うまでもなくいちばん有難いのは「調べ物」の「答え」がすぐに見つかるという状況で、そこにこそ価値があることはタイム誌の文章が強調していることです。
誰にでも経験があると思いますが、ネットですぐに「答が」出てくる。こんな有難いことはありません。
例えば前述しましたが、スコットランド住民投票を解説したタイム誌の記事は「Leap of Faith」という題です。
直訳すれば「信じることへの跳躍」で意味がつかめないことはありませんが、念のためヤフーのネット検索をすると、まず最初に「英辞郎」の日本語の訳が出てきて、「やみくもな信仰・・・等」とあり、2番目に出てくるのが、「ウィぺディア」英語版で、言葉の由来など詳しい説明があります。
因みに、私の持っている研究者の英和辞典には、この言葉は載っていません。
記事を読みながら「スコットランド人とは?」という疑問が浮かんだら、そこでネット検索するという効用については前回も書きました。
「調べる」と同時に「ちょっと確かめる」という時にもまことに便利です。
私自身の例をもう少しあげると、「住民投票の投票資格は16歳以上のスコットランド在住者・・」とある、たしかは普通は18歳からだったと思うが念のために確かめようと、「英国の選挙権」でネット検索すると直ちに答が得られます。


4. そして、もっとも頻繁にお世話になるのが「ウキペディア」です。


「ウィキペデイア」についての「ウィキペディア」があることは前回紹介しました。
ご存知の方も多いと思いますが、
(1) ウィキぺディア財団が運営しているインターネット百科事典。誰もが無料で自由に編集に参加できる。
(2) サイトには広告は一切掲載せず、資金的には個人や団体からの寄付で運営されている。
(3) 基本的に専門家による査読がなく、不特定多数の利用者が投稿するシステムゆえに、情報の信頼性・信ぴょう性や公正さなどは保証されていない。
(4) 2001年に英語版が発足。今では約200言語で継続的な活動が行われている。80%前後が英語版へのアクセスで、日本語版、スペイン語、ドイツ語へのアクセスがこれに次ぐ。
(5)ウィキペデイア財団のスタッフなどの一部を除き、編集から運営・管理にいたる人々の大部分がボランティアである。
(オフィスの写真も載っていますが、こんなところで仕事をしているようです)

私が「ウィキぺディア」の存在を知ったのは、2006年に出た梅田望夫さんのベストセラー『ウェブ進化論』です。
彼は同書で、この試みがいかに「不特定多数無限大の知の集積の可能性」を示す革命的なプロジェクトであるか、を熱っぽく語ってくれました。
以来、私も、たいへんお世話になったなあと思います。
しかし実はこのプロジェクト自体にさほど関心がなく、「最近、少額の寄付をした」と前回のブログに書きましたが、恥ずかしながら実はこれが初めてです。

寄付に対しては、財団の事務長からメールでお礼が来ました。
一部を引用すると以下の通りです。
「この一年間、287言語におよぶ百科事典を構築し、またそれを世界中でさらにアクセスしやすくする私たちの営みは、あなたのような方々からの篤志によって支えられてきました。私たちは特に、教育を受けるのが難しい人たちがおかれた状況を変えるため邁進してきました。例えば、インドのソーラープルで生まれたアクシャヤ・アイエンガーのような人に、知識を提供しています。アクシャヤは、織物業が盛んな小さな町で育ち、ウィキペディアを一番の教科書として学んできました。この地域の学生にとって、十分な本を持つのは難しかったのですが、携帯のインターネットがあったため、閲覧したウィキペディアがとても役立ちました。アクシャヤは、インドで大学を卒業し、今ではアメリカでソフトウェアエンジニアとして働いています。彼女は、彼女の知識の半分がウィキペディアのおかげだと語っています・・・・」
そして
ウィキペディアの5億人の読者、何千何万人というボランティア編集者、そして当財団職員を代表しまして、皆さまに御礼申し上げます。
おかげさまで、今年もまた広告を掲載せずにウィキペディアを運営することができました」



8年近く使わせて貰って、やっと1回寄付に参加しただけの人間が、えらそうなことは言えませんが、
「日本語版へのアクセスは英語に次いで高いとある。もちろん英語版にアクセスしている日本人も多いだろう。
それに対比して、日本人のウィキぺディアに対する寄付の割合はどのくらいなのだろうか?」
そんな疑問を持ちました。
何にでも「答え」のある時代・・・・・これも、「疑問」を「検索」すれば答えてくれるサイトが見つかるだろうか?と考えています。