憲法記念日に蓼科物語

1. 1週間に1度は更新をと心がけていますが、先週(4月26日)はペリリュー島で戦った中川州男大佐の悲劇を書いたのがフェイスブックとの連携がうまく行きませんでした。悲しい話なのでFBが避けたのかもしれません。
 

本日は、GWの最中とあって老夫婦で八ヶ岳山麓にて静かに過ごしております。
暖かな陽気で桜も例年より1週間ほど早く、里山はすでに散り始め、いまは花桃、こぶし、こなしなどが美しく咲いています。
友人の1人が遊びに来て、近くにオープンしたばかりの「笹離宮」という名をつけた「蓼科笹類植物園」に行ってきました。
友人の友人がここの事務局長に就任。当日はいろいろと説明を聞きました。

2.「蓼科の地で、笹をとおして、地域文化を創造します」
といううたい文句で、すでに静岡に「富士竹類植物園」というのが現存するそうですが、「温暖化で弱り始めた笹を寒冷な蓼科の地に移植して、世界一の笹の植物園をつくろう」と6000坪の敷地に120種類の笹を植えたそうです。
「社長の道楽」と笑っていましたが、笹から薬を作る会社がスポンサー。
たしかに、案内書にあるように普通は「竹が主役で笹は添え物。しかしここでは笹が主役」で、園内を歩くと気持ちよいです。
とても良いところでお勧めです。自然保護のコンセプトもいいと思いました。


ここのもう1つのコンセプトは、「本格的な回遊式数寄屋庭園として整備」したことです。数寄屋建築の設計施工は、桂離宮の改修など手掛けたその道の権威・安井清氏とその仲間の和風建築を手がける棟梁や大工さんたち。
いま新しく和風建築をつくる機会はほとんど無く、改修が主な仕事だそうです。
ですから今回のような新築の話は、設計から施工まで、実にいい経験にもなり勉強にもなり、皆大いに感激して取り組んだとのこと。嬉しかったでしょうね。
しかし当然ながら、この分野も職人さんの数は減り、「匠の技」を継承していくのはまことに難しいとのことです。


当方はもちろん和風・数寄屋建築や茶室の知識など全くなく、
「お庭は外露地と内路地にわかれます」
「石畳を踏んで茶室に行きますが、ここが小堀遠州好みのかま石、あれが延べ段のあられ流し、一二三(ひふみ)石が埋めてあるのは遊び心です。」

「茶室の前には、京都御所清涼殿と同じく、向かって左に漢竹(からたけ)右が呉竹(くれたけ)があります。茶室は立礼式です。どこが上座か分かりますか?」
「あちらのお庭は海に見たてて、とうろうは岬とうろうと呼びます」

「建物は原則ひのきなどの組み込みで、釘は和釘しか使っていません」
等々の説明を伺っても、ただ拝聴して感心するばかりです。


我ながら日本文化にうといなあと痛感。
そこで、自己弁解ではありませんが、坂口安吾昭和17年に書いた「日本文化私観」が私に与えた影響は大きかったろうなと改めて思い、書棚から取り出して読み返したところです。
戦中に書かれたこのエッセイは、大きな反響を呼び、「ことさら「日本」や「日本文化」そして「日本精神」を語る者についてのひそやかな批判」が含まれているとはよく言われることです。時代がかなり保守化しているいま、再読する意味があるのではないでしょうか。
もちろん、「笹離宮」の素敵な数寄屋庭園と建築の「日本的な美」を守ることの大切さは重々理解しているつもりです。
それと、坂口安吾の挑発とをどうバランスを取っていくかを私たちは考えて行くべきでしょう。


「僕は日本の古代文化について殆ど知識を持っていない。ブルーノ・タウトが絶賛する桂離宮も見たことがなく、(略)竹田も鉄斎も知らないのである」と書き始める安吾は、
こう結論づけます。
「・・・美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに空虚なのだ。・・・詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代わってネオン・サインが光っている。ここに我々の実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて何であろうか・・・・」
まことに過激で、解説者も「戦争中でなければ『京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らない』とまではいう必要がなかったと思われる」と書きます。

しかし、この過激さがまさに「安吾節」で、戦後の民主主義の社会に与えたメッセージ力は大きかったろうと思います。


3.さて、蓼科物語のもう1つは、原村に住む知人の息子さんが村会議員の選挙に出馬して当選したという話です。


(1)彼は45歳、両親とともに原村に住み着いて10年になります。
両親は、定年後、この地でペンションをオープン。もとロンドンに勤務したことがあり、お庭を小さなイングリッシュ・ガーデン風に花々を植え、原則B&Bでおいしいイングリッシュ・フレックファストが売りです。
宣伝は一切せず、もっぱら口コミで紹介者のみ。学校やもとの職場の友人が主な泊まり客で殆どがリピーターでしょう。
我々夫婦も冬などに泊まり、友人も何人か紹介して喜んでくれました。


(2) 原村は有権者は約6千人、茅野市と富士見町に隣接する小さな村ですが、比較的健全な財政で知られます。
議員の定数は11名で、このところ、12年無投票が続いていた。それではいけないのではないかと話合っているうちに直前になって自分が立候補することになり、結局彼を入れて3人の新人が立候補。
彼はすべて手作りで草の根で、結局7位当選。
投票率50%として平均300票として200票以上とれば何んとかなると頑張ったようです。
現職はほとんどが60歳代、70歳代だそうですから、45歳はまだ若い。結構なことおと思います。

(3) ただ、人口7千人弱で村会議員は11人。例えば宇治市は人口19万でたしか市会議員は30人ぐらいと思います。
ある一定数の代表者は必要でしょうが、それにしても小さな自治体の民主主義というのは、相対的にコストも手間もかかるのでしょうね。
新聞によると、地方自治体の厳しい財政をふまえて、この10年で町村議会の定数は3分の1に減ってしまった、とあります。しかもそれでも「なり手不足は深刻で、無投票選挙のところも無くならない・・・」。
民主主義はたしかに手間のかかるシステムです。
しかし、全国一律同じやりかたではなく、小さいところは小さいなりに独自の選び方、運営の仕方があってもいいのではないか。 
仕事を持つ人や子育て中の母親が週末などに気楽に集まって、原則ボランティアの精神で、村の活動や運営について語り合う・・・そういうやり方があってもいいように思いますが。