「沖縄県知事の琉球語」と日本語がある幸せ:「国境の長いトンネルを」

1.いまの日本の政党の名前はどうも名は体を表さないのではないか、与党はリベラルでもないし、そうかと言って保守でもなかろう(これは頂いたコメントですが)、と前回書きました。
異論のある方も居るでしょうが、政権与党の変質を感じている人も少なくないのではないか、
そしてその代表的な1人が目下アメリカを訪問している翁長沖縄県知事ではないでしょうか。

(1)5月30日の新聞に共同通信インタビューの詳報が載っていましたが、
訪米の狙いは?と訊かれて「私が自民党出身者として日米安保体制をよく理解していること」と真っ先に挙げているのが印象に残りました。

(2)「今の自民党について?」の質問には、
橋本(竜)さん、後藤田さん、野中さんの名前をあげて「国民とつながる心のひだを持っていたと思う」と答えていました。
小選挙区制になったことも大きいが「小泉さんが政権を取ったころから自民党は変わった」という発言も。そう言えば、某首相の第1次は小泉さんの抜擢でした。

(3)「本土の人」に分かってもらえない辛さにも触れて、
少なくとも沖縄では「保革を乗り越えないとどうにもならない。それには保守の側から近寄らないと駄目だ」という言葉もあって、
僭越ながら、「保守とリベラルが手を取らないといけないのでは」という私の思いに通じるものを感じました。



2. 翁長さんについては、5月22日東京新聞の佐藤勝氏の「沖縄県知事琉球語」と題するコラムも心に響きました。
因みに佐藤氏は同志社大学神学部出身のクリスチャンで、母親が沖縄出身です。
私が昔勤務した京都宇治にある大学の当時の学長が同志社のもと神学部長で、教え子だった彼のことをよく聞きました。
外務省時代に鈴木宗男議員と一緒に起訴された時は、釈放の署名運動にも参加しておられました。


その佐藤氏のコラムですが、5月17日那覇市で行われた「辺野古基地阻止」県民大会に出席したことを書いています。


他の新聞にも報道されたかどうか知りませが、佐藤氏によれば、3万5千人以上集まった会場でのあいさつで、翁長知事は、最後に琉球語で語りかけたそうです。
「うちなーんちゅ、うしぇーてぇ、ないびらんどー」と述べた。
「沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ」という意味だそうです。
佐藤氏はこう補足しています。


――「沖縄人をなめるんじゃないぞ」という意味だが、琉球語は敬語と丁寧語の表現が豊富なので、捨てぜりふのようにはならない表現を翁長氏は選んだ。
「うしぇーらんけー(みくびるな)」と投げつける言い回しを避け、
「うしぇーてぇ、ないびらんどー」と、諭す響きがあった ―――


3. そこで、8年も昔、まだ京都で働いていたときに、大学の教員仲間と大阪にある「関西沖縄文庫」を訪問したことを思い出しました。

主催者の金城馨さんという方からいろいろ話を伺ったのですが、
その時の感想をこんな風に当時のブログに書いています。

―――同じ「金城」でも文庫の主催者はキンジョーさん、ガイドをしてくれたのはカネシロさん、そしてどちらも沖縄語では「カナガスク」さんだそうです。
親が沖縄を出てきた、したがって自分たちは「二世」と呼んでいるそうです。
カネシロさんは、一度「キンジョー」に変えようと考えたそうですが(カネシロの方がより日本的だという判断で親の代に変えた)、カネシロに慣れ親しんだお嬢さんの反対もあってあきらめたそうです。
沖縄語と日本語とは、学者によるとフランス語とドイツ語の違いより大きいと。
いまや沖縄の小学校でも教えておらず、だんだん話せる人が減ってきているという話を少し痛みを感じながら聞きました。
いうまでもなく、言葉はそれを話す人々にとっての「たましい」だろうと思います。――

4. 佐藤氏は「この大会で翁長雄志知事の求心力は一層高まった。それは翁長氏の琉球語の力によるところが大きい」と書きます。


いま学校で教えられていないとすれば、果たして若い人のどれだけが佐藤氏のようにきちんと理解したのだろうかなと考えました。

学校では無理でも、家庭や私塾のようなところで琉球語を学ぶ機会はまだあるのだろうか。
学びたいと思う若者は多いだろうか。
かって、自分たちの「ことば」を持っていた、それが失われてしまった、という思いをどれだけの人が抱いているだろうか。


そして同時に、日本語を失わなくてすんだ私たちの仕合せを思いました。
前々回17日のブログで文学作品の翻訳の難しさと同時に、日本語の魅力に触れました。
例えば、川端の『雪国』の冒頭
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」と、
サイデンスデッカー氏の該当する英文、「The train came out of the long tunnel into the snow country.」を比較すると、
英文は、これを1つのセンテンスに収めようとすると「The train」と主語を1つにせざるを得ない。論理的です。
しかし日本語は最初の主語「汽車」も次の主語「そこは」も抜かして十分に意味が通じます。それが「発見の“と”」と言われる「と」の効果です。
「汽車が(略)トンネルを抜けると、そこは雪国であった」より引き締まった美しい日本語になります。
しかも、それだけではありません。主語はひょっとして、主人公である島村かもしれない。少なくとも、読み手は、島村の眼と意識で読むことができる。
「島村は自分の乗っている汽車がトンネルを抜けて、眼前に雪国の景色が拡がっているのを眺めた」・・・こんな風に読むでしょう。活字を通して、島村の眼を通して、映像が読者にも浮かびます。
論理的ではないかもしれないが、論理的な上記のサイデンスデッカーさんの英語では、あくまで「汽車」についてしか語っていません。
私たちは、こんな素晴らしい日本語を、敗戦後も失わずに済んだ・・・・・
他方で、沖縄の琉球語の運命を思い、
そして翁長さんが自らの「アイデンティティ」の証左として琉球語を使ったことに、いささか感動を覚えた次第です。