蓼科高原の「梅雨の晴れ間」と憲法の長谷部恭男元東大教授頑張ってください

1. 「梅雨の晴れ間」とでも言う日が本当にあるのだなと痛感したのは6月4日(木)です。
この日、蓼科高原・原村のペンションに1泊で、年1回が18年続いている中高の友人夫妻4組8人の旅行があったのですが、この日だけ絶好の快晴でした。
車山高原から霧ヶ峰あたりをドライブし、れんげつつじが満開で、展望台から北・中央・南のアルプスに八ヶ岳、富士山まで見渡せて「丸見えだ」と皆大喜びでした。

その前日も翌5日(金)も午後から雨がしっかり降りました。
4日の一日だけ快晴で、運が良いというか、メンバーの心がけが良いのか、何とも不思議です。


我々老夫婦は田舎の家が近いのでその後も残って、雨や霧を眺め、例年より寒いのでまきストーブに火を入れています。静かで散歩しても人影はほとんど見ません。
時々かっこうが鳴きますが、あとは春ゼミがやかましいだけです。巣立ちの時期でもあり、ちかくの農産物の販売所の軒先で、つばめが巣をつくり、雛がかえりました。親鳥がせっせと働いて、餌を運んでいます。

この時期、れんげつつじだけでなく、まだ車山高原ではこなしの花が咲いていたし、家の近くでは「金ぐさり」が咲いています。
田んぼの田植えも終わり、水が張られました。


2. と、ここまではまあ前置きで、個人的にこれもまた「梅雨の晴れ間」だと感じたのは、同じく4日に衆院憲法審査会で
自民党など各党の推薦で参考人招致された憲法学者3人が、集団的自衛権を行使可能にする新たな安全保障法案について、いずれも「憲法違反」との見解を示した」という新聞報道です。
梅雨空に1日だけ陽がさしました。


お三方の意見は常識ではないかと考える人が少なくない筈ですが、
前々回のブログに簡単に触れたように、日本にはドイツのような憲法裁判所が存在せず、最高裁違憲立法審査権はあるものの、「高度の政治判断」として自らの法律判断を回避することが多く(「統治行為論」)、責任を果たしていません。憲法裁判所があれば、そういう訳には行かないでしょう。

3. しかも、新聞等でご存知の方も多いでしょうが、
民主党推薦の小林節慶大名誉教授(この人はもともも改憲には賛成の人です)、維新の会推薦の笹田早稲田教授だけでなく、自民党が推薦した長谷部恭男早稲田教授までもが、
憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかない。法的な安定性を大きく揺るがす」と批判した、と新聞は報じています。

この意味は大きいでしょう。
官房長官は記者会見で「違憲じゃないという憲法学者もいっぱいいる」と反論したそうですが、これは幾らなんでもひどいですね。
じゃ何故、長谷部さんに頼んだのか?御用学者に頼んだと言われたくない気持ちは分かりますが。

当然に自民党内での混乱・批判が予想されますし、長谷部さんへの憤慨や圧力も(世論も含めて)強まるかもしれない。「自民党の推薦を受けながら裏切った」などと意味のない攻撃もあるかもしれない。

ここは、学者としての良心を守って、踏ん張ってほしいと思います。
しかし政府も与党も無視しようとするでしょうし、同時に「学者の意見なんて現実をわきまえていない空理空論だ」という大衆の声も出てくるのではないかと恐れます。
何せ、この国はいま、「日本的な反知性主義」に席捲されているような気がします。
最高裁が責任を取らず、早稲田・慶応・東大の憲法の先生の意見が無視されるとすれば「反知性の国」としか言いようがないのではないでしょうか。


4 自民党はなぜ長谷部さんに頼んだのか?
勝手な推測を含めて以下、補足します。
なお、過去のブログで憲法について数多く触れており(恥ずかしながら一応、東大法学部公法コース卒なので)、ご興味ないとは思いますが、その1部を以下に揚げておきます。
長谷部さんの著書『憲法と平和を問いなおす』(ちくま新書)と立憲主義の紹介も触れています。
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130618
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130625/1372136634
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130819
http://d.hatena.ne.jp/ksen/20130823


(1)長谷部さんは、定年で早稲田に移りましたが、それまでは東大法学部で憲法を講義していました。
ここの憲法担当は、戦前の美濃部達吉から宮沢俊義小林直樹芦部信喜樋口陽一、そして長谷部恭男、と続きます。(私は宮沢さん、小林さんの講義を受けました)


その中でも長谷部教授は他のリベラルな学者と少し違って、現実に即した弾力的な立場ではないでしょうか。
9条についても個別的自衛権自衛隊も合憲とする意見で、この点は私にも近づき易いところがあります。

ただし印象的だったのは、例の特定秘密保護法の成立に当って「賛成」の立場をとったこと。そもそも、法案作成に当っての委員会の委員(これは民主党政権時)であり、その後、参議院での自民党推薦の参考人陳述で支持する発言をしました。
(彼が支持した理由や発言内容について触れると長くなるので省略します。ご興味ある人はグーグル検索である程度情報を得られます)

自民党は、この秘密保護法を応援してくれたことが頭にあったのではないか。
しかし、それは大きな勉強不足としか言いようがありません。
専門書ではなくとも、彼の啓蒙書(前述の他、岩波新書の『憲法とは何か』)でさえ読んでいる議員が居なかったとすればあまりに勉強不足。
そんな人たちが(芦部信喜も知らず彼の『憲法』を読んだこともないだけではなく、自分たちが推薦した学者の新書本の中身さえ知らない)、憲法改正を考え、憲法解釈を勝手にやり、憲法について関連法案について堂々と国会で論議し、答弁するのか・・・・
正直言って情けなくて涙が出ます。
これが日本の「反知性主義」でなくて何でしょう。

長谷部さんの書いた2冊の新書本、たかが啓蒙書をちょっとでも読めば、現行憲法をきわめて高く評価している彼の立場は明確です。
前のブログにも紹介しましたが、例えば彼はこう書きます。

――『憲法と平和を問いなおす』の最後に、日本国憲法立憲主義にもとづく典型的な法典とした上で、彼はこう結びます。
立憲主義は自然な考え方ではない。それは人間の本性にもとづいてはいない。いつも、それを維持する不自然で人為的な努力をつづけなければ、もろくも崩れる。世界の国々のなかで、立憲主義を実践する政治体制は、いまも少数派である。立憲主義の社会に生きる経験は、僥倖(ぎょうこう)である」―――
私たちはいま「僥倖」を手放そうとしているのでしょうか。
ことの本質は(中国でも日米同盟でも機雷掃海でもなく)、憲法問題だと私は思います。

長谷部先生、これからも政府与党や大衆の圧力、そして「反知性主義」の嵐に負けずに頑張って下さい。
それこそが、オルテガの言う「真の・精神の貴族」ではないでしょうか。