Escape to the Country(田舎に逃げ出す)と英国イートン校

前回のブログで触れた、習さん・キャメロンさん(女王も巻き込んで)の蜜月については、ご意見をいろいろ頂きました。

1. 我善坊さん、丁寧なコメントを有り難うございます。

「これこそが「原理原則」に基づく国ではない、つまり保守主義の国なのでは?」
「人々にはどうしても守りたい「何か」があって、それは言葉にし難いような、日々の生活習慣であったり景観であったりで、・・・。そういう人々が現実の状況で追い詰められれば、他の何でも受け容れます」

という指摘はいろいろ考えさせられて面白かったです。


(1) 「どうしても守りたい何か」が「景観」や「生活習慣」だけであって果たしてよいのか?
(2) むしろ「どうしても守りたい」のは原理原則であって、それ以外の「漸進的な変化や改革」を否定しないのが「保守」ではないのか?(まさに「京都人」はそうではないのか?)
(3)「保守主義」は歴史的には、フランス革命への抵抗・批判に始まる政治思想だとすれば、「原理原則に基づかない」と言い切れるか?

(4)少なくとも英国であれば、(1)自由と議会制民主主義と(2)階級社会・身分社会――たとえ追い詰められても、この2つの「原理原則」を守り抜くのが「保守」ではないのか?

(5)昔、白洲次郎が『プリンシプルのない国、日本』という本を書いたが、仮に白洲の言うように日本に「原理原則がない」とすれば、それは「保守主義の国」ということか?
・・・・等々、問題提起だけですが。


2. 他方で、フェイスブックでもいろいろと貴重な意見を頂きました。
「共に千年の歴史をバックにした“知恵”したたかさ”を感じます。タヌキと狐の化かし合い。日本には出来ない芸ですね」とあり、日本でも我善坊さんが評価する「京都人」の知恵を期待できるかな・・・・

また、「アメリカの力が落ち、中国、英国、アラブ、ロシア等百鬼夜行、混沌とした世界になりますね。・・・国連も力不足だし。この先、どうなるのでしょう?」
というコメントもあり、
たしかに、2015年もそろそろ終盤という時期、新しい「国際秩序」「新しいパラダイム」が見えないという不安があります。
「だからこそ、やはり「原理原則」が大事、だからこそやはり憲法9条」と言ったら、「その年でまだそんな甘いことを言っている」と笑われるでしょうか?

3. 少なくとも、 どうしても守りたい「何か」に景観があることは同感で、とくにこの時期の日本の田舎、少し前ですが、稲が黄金色に色づく風景などは残しておきたい筆頭にあげられるような気がします。


週末を八ヶ岳山麓に過ごし、冬に備えて田舎のボロ家の水抜きをして閉めて帰る予定ですが、秋の山や落葉松の紅葉も見事です。
八ケ岳の初冠雪ももう間もなくでしょう。山なみの美しさは英国にはない、この国の美しい姿でしょう。

英国の大半はなだらかな丘陵や平原で、だから帰国すると、山なみを見てほっとします。
その代わり、英国の国土の約90%が人の住める場所。したがって、面積は日本の3分の2ですが、可住地はおよそ日本の倍。


その英国も、「カントリー」とその美しい景観を大事にする国であり、多くの英国人にとって「カントリーに住むことが理想の暮らしである」という感覚がまだ残っているようだ、とブログにも書きました。

たまたまロンドンのホテルでTVを付けたところ、「Escape to the Country(田舎に逃げ出す)」という番組をやっていました。
シリーズ物のようで、毎回、田舎の不動産物件をいろいろ紹介して、興味を持って見に来る中高年の夫婦などを登場させて、カントリー暮らしを大いに推奨する番組のようです。

もちろん環境や物件の豪華さや値段など日本とはケタが違いますが、こういう番組をNHKに相当するBBCがやっていること自体、田舎への憧れが根強い証左でしょう。

4.  最後に、蛇足ですが、英国の保守が何としても階級社会・身分社会を守ろうとしていることについて、異国人の勝手な感想ですが、以下、整理しておきます。

(1)貴族・上流・中流・労働者階級、という「クラス(階級)」の違いについて。
「身分や階級」というと人間の「格」を論じているようですが、そうではなくてむしろ「生き方や暮らし」の違い、価値観や義務感の違いという側面が大きいのではないか。
例えば、読む新聞や、やるスポーツや、食事に行く場所や、買い物をする店が(どっちが「格」が上か下かではなく、ただ)「違う」。
自分が労働者階級の人間であれば、ベンツを持ったり、サボイ・ホテルでアフタヌーンティーをなんてことは考えない。別に欲しいとも、不満とも思わない。
近くのパブで仲間とビールを飲み、時に一緒に楽器を演奏したり、運動したり、合唱したり、家に帰れば庭のバラづくりに熱中する・・・それが生きる最高の楽しみ。

(2)ということは当たり前の話だが、夫々の「クラス」と幸福かどうかとは無関係。
クラスによって別の「幸福な生き方」があるということ。
上流階級であれば、収入の割に慈善事業への寄付依頼が多いという悩みがあるかもしれない、息子が果たしてイートン校に合格してくれるかといった余計な苦労が増えるかもしれない。当然ながら、不幸な上流階級の家庭は山ほどある筈(離婚や不倫はおそらく上流階級の方に多いのではないか、とはさる英国人から聞いた言葉)。

(3)最後に、「クラス」相互の流動性は十分に存在する。労働者階級からミドルクラスやニュー・リッチに変身する人もいるし、他方で移民や難民でやって来た人の場合は、まずは労働者階級としてスタートする人が多いだろう。

流動性」について補足すれば、例えば超有名パブリック・スクール、自他共に許す英国NO.1のイートン校であれば、5年間(13歳から17歳)の学生生活で1年間の授業料(全寮制でありその費用も含めて)は3万5千ポンド(約700万円)もする。制服だけで2千ポンドする(上級生になると写真のようにテイル(Tail)と呼ばれる長い上着が要る。学内だけなく学外に出るときも着用が義務とのこと)。

しかしこの学校は目途として、1年度に合格する学生約300名のうち、
・約4割を、イートンの卒業生の子弟から選ぶ
・約4割を、イートンには縁のない家庭の子弟から選ぶ
・そして、残りの2割が、無償の奨学金を受給される生徒(もちろん全員が100%の奨学金ではなく成績によって支給の程度は異なる)を合格させる、
という方針を守っているそうです。

全体の2割が奨学生というのは、日本では考えられない多さではないでしょうか?
これが、「クラスの流動性を保証する社会」ということだろうと思います。