「茶とう」「一足立ち」など、ご存知ですか?

1. 前回は英国から来たパワーフルで素敵な女性とアフタヌーンティーをともにした報告をしました。
情報提供やコメントをいろいろ有り難うございました。


フェイスブックでは「メイド喫茶のコスチュームはヴィクトリア朝の英国を基本にしたらしい」など丁寧に教えて頂き、前もって知っていたら英国女性にうんちくを披露できたのに残念です。来店すると「おかえりなさいませ、ご主人様(お嬢様)」とOMOTENASHIしてくれるそうです」とあり、
彼女たちには「Welcome home ,ladies」と挨拶したのかなと想像したら愉快で、これも知っていたら質問できたのに・・・・
ナイトクラブ(これが正式の呼び名ですかね)については経験者から「この説明で間違いではありません」とお墨付きを頂きました。

ミスター・京都からは「お茶屋の門前、舞妓と芸妓の髪型の違い、襟替えの説明を求められたらお手上げですね」といかにも「いけず」なコメントを頂き、全くその通りですが、しかし、こういう女性たちを気楽に、安い値段で祇園に連れて行くというのも面白そうだな(私には案内役は無理ですが)と思いました。

アナザー・ミスター・京都からは、紅葉情報有り難うございます。
実は私もそのあと、4日(金)から京都に行き、6日(日)の午後帰宅したばかりで、ブログの更新が遅くなりました。
(というとで、今回の・相変わらず下手くそな素人写真はもっぱら京都で撮ったものです)。


2. 前回はこれに加えて、ラッキーなことに私の場合、銀座や祇園に行かなくても、素敵な日本女性と会話をする機会は少なくないという自慢も少ししました。
今回はそのフォローです。


機会が少なくない理由の1つに昔の職場の女性の質の高さということがあるだろうと思います。
詳しい実情は知りませんが、50年前の日本企業で、おそらく優秀な女性が活躍できる場はきわめて少なかった。その中で、私の職場はかなり例外だった。
その結果、有能な女性がたくさん入ってきて、「男性よりも優秀な女性が多い」とわざわざ私の顔を見て皮肉そうに言う上司もいた。
従って、当然に職場結婚も多く、当時はさすがに、同じ職場であれば女性が退職するケースが多かったが、「某さん(やめる女性)が辞めるなんてほんとに惜しい。どっちかが辞めるのなら某氏(同じ職場の結婚相手)の方が辞めてくれれば・・」なんて、冗談ではあるでしょうが、それくらい惜しまれて退職する女性も少なくありませんでした。


3.前置きが長くなりましたが、そんな素敵な女性(もちろん決して若い人ではありません)を紹介したいと思います。
10日ほど前に、彼女プラス昔の同僚の男性3人が昼食をともにして、そのあと、彼女の自宅にお邪魔して、お茶を点ててもらいました。
こじんまりしたマンションが住まいですが、和室に炉が切ってあって、茶室の雰囲気です。


1人が多少知識があるというので、正客になり、私がいちばん無知・無学なので、末席に座りました。
ところが後で知ったのですが(お茶に詳しい方には常識でしょうが)、いちばん末席は「おつめ」と言って、これも無知・無学では務まらない、というか、茶会をやるときは、道具屋さんなどが相務める席だそうです。

まず、おこい茶を3人で回し飲みし、そのあと、おうすを頂きました。
くだんの女性は、お手前をしながら作法や掛け軸や茶器などの説明をしてくれて、無知でかつ好奇心旺盛な私は質問ばかりしていました。
(師走の南座は、芸妓さん・舞妓さんの「総見」で賑わうそうです)

もちろん、本人が「庶民のお茶」と言っていますし、定年近くまで働いた女性ですから、そんな高価な・豪華なものを所蔵している筈はない。しかし、それぞれ自分の好みで長い間に少しずつ集めたのでしょう。好ましい感じのものばかりでした。
 もちろん日本の会社ですから男女の処遇の違いや差はどうしても大きい。しかし、当時の他の日本企業に比べれば、それなりに女性にも働き甲斐のある職場で、彼女も管理職にもつき長年勤めあげただけに,引退後の生活を送れることが出来ている筈で、良い職場だったというのが4人共通の想いです。


4. 説明や質問に加えてそんな思い出話も入るので、4人のお茶会はゆっくり進み、楽しい時間でした。
因みに、これもお茶をやる人は常識でしょうが茶会では「我が宝、婿養子、我が仏」の話はしないのが作法。
婿養子の会話をしないとは、今で言えば、子供や孫の自慢はしないというのも(序でにペットの自慢も)入るでしょうか。


いちばん印象に残ったのは、「茶とう(茶湯とも書くそうです)」で始まったことです。
これも私は無知でしたが、亡くなった方に献茶をする儀式です。
今年亡くなった某先輩が、4人とも昔職場が一緒だったことがあり、穏やかな人格者でもあり、彼女が「茶とう」のためにお茶を点て、皆で黙禱をしました。


5. 実は、彼女自身も5歳年上の姉上を1年前に亡くして、1周忌を済ませたばかりです。
2人とも独身で仲の良い姉妹だっただけに、介護の疲れと悲しみに、なかなか立ち直れず、暫くは誰にも逢いたくない心境でした。
やっと1年も過ぎて、この日は久しぶりの再会です。
このごろは何とか元気を取り戻したそうでまた、お茶を点てたり、お茶会に出られるようになった、ただ暫くさぼっていたので、「一足立ち」が辛くなった、というような話をしてくれました。
これもお茶をやる人は先刻ご承知でしょうが(もちろん私は初耳)、表千家の作法では、正坐でお茶を点てたあと、立ち上がるときには、一挙に両足でそのまま立つのだそうです。
なかなか脚力の要る動作で、その場で試してみましたが、老人の私にはとても出来ませんでした。
(錦市場は今年400年だそうです)
6. もとの同僚3人の男性のうち、2人はスペイン語圏での勤務が長く、スペイン語がたいへん堪能です。


帰り、その1人の某君と途中まで電車が一緒でした。
「〜さん、お姉さんを亡くしたショックから立ち直ったようで、また昔のように明るくなってよかったね」
と私が感想を述べると、
スペインにはこういう諺があるんだ、と教えてくれました。
「時間が、すべてを解決する。
もし解決しなければ、さらに時間をかけることだ」。