「文化」は不合理・不便なものであってよいのでは?

1. 前回の拙ブログにいろいろコメントを頂いたお礼が遅くなりました。
京都で少し遊び過ぎたか、

 
私事ながらインフルエンザに感染してしまい数日間寝てばかりいたためです。
周りの友人からも「やられた!」という情報が多く入っており、かなり流行しているようです。皆様も十分お気を付けください。
多少は参考になるかもしれず以下、若干報告いたします。
(1)27日(土)の昼に旧職場の仲間との飲み会があり、咳と鼻水が数日前から出ていたので同席者に迷惑を掛けてはいけないと思って、朝いちばんで近くの内科医に行った。
(2)ただの風邪だと思い、先生にもそう告げたのだが、「念のため検査をしてみましょう」と言われて、結果は「インフルエンザA型、熱もある、これから上がる、薬を飲んでしばらく外出禁止」と言われて驚き、飲み会は急きょ欠席。
(3)もっぱら寝ていましたが、本日あたりから平熱に戻り徐々に落ち着いています。熱が下がっても最低2日は感染させるリスクがあるので外出禁止とのこと。
(3)比較的軽い症状で済みそうなのは、早めに専門家に診断してもらったことで、タミフルという薬をとにかく早めに飲むことが大事で、これを怠ると症状が長引くとのこと。
(4)そういう方は他にも居られると思いますが、私は、元来、物臭さで大の病院嫌いなのですが、今回は早めに行ったのがよかった。これは、前述したように昼食で人に会う約束があったので気にしたせいですが、これが結果的にはよかった。何も予定がなれれば「面倒臭い」とさぼって、翌日は日曜で病院は休み、処置が遅れて長引いたことでしょう。
それにしてもタミフルと薬の効能は大したものだと感心しました。普段あまりこういう薬を服用していないので効き目も早かったかもしれません。
もっとも友人からのメールでは「タミフルは自殺の副作用もとりざたされたことがあります」とあり、これには驚きました。元来、薬の知識はない方ですが、「副作用が自殺とはこれいかに?」、大量に服用すると人生に絶望するという副作用でもあるのでしょうか?
(5)何れにせよ、暫らくは予定を全てキャンセルしたり延期して頂いたりして、3月5日(土)には所用があるので何とかまた京都に出かけるつもりです。

2. 経験のある方もおられるでしょうが、熱と無気力はインフルエンザの特徴のようです。
本日ようやくPCに向かう気分になりました。
前回のブログにいろいろコメントを頂き、これらをたいへん興味深く拝読しましたので、今回はお礼と補足の文言を差し上げることでお許しを頂きます。
まずそれぞれのお名前は繰り返しませんが、コメントを整理すると、
(1) バスの乗り降りについて
(2) エスカレータの利用方法
(3) ことばのこと −「しち」と「ひち」など
(4) 朝日親書の『京都ぎらい』と京都一般について
になるように思います。
今回、最後まで行きつくかどうか分かりませんがこの順に沿って勝手なコメントをさせて頂きます。


まず、バスについてですが、
(1) 東京でも都下では、後ろ乗り・前降りの京都方式もある。
(2)横浜は両方あるが、京都方式は例外のようでその旨の大きな表示がある。
(3)意見として、東京の先払い方式に賛成。後払いだと支払いに手間がかかる人がすくない。
――以上について、
まず(3)については家人は、東京の前払い方式でも支払いに結構手間取っている人を見かけるから、どちらもあまり変わらないのではないか、時間を掛ける人は前に払おうが後で払おうが同じ態度ではないだろうかと言っています。
私自身は仕事に追われている訳でもなく、前の人が多少時間をかけても一向に気になりません。
何れにせよ、皆さまそれぞれの意見があって当然ですが、私の言いたい本音は前回のくり返しですが、
「要はどちらでもいいじゃないか。違うということを面白く・素敵だと思ったらどうだろう?」に尽きます。
いろんな日常生活の過ごし方が全国一律ではなっていく、まして東京主体で決められて、皆が素直にそれに従うというような風潮が、生来の天邪鬼のせいか、気持ちよくありません。日本語だってそうだろうと思います。


3. 次に、エスカレータについて。
(1) ハンブルグが東京方式で、しかもちゃんと指示してあるとのこと、面白いですね。やはりドイツですか。
(2) また「エスカレーターの片側利用は自然発生的にそうなったものと思われ、定着しているものを変更するのは困難だと思いますが、左側に長蛇の列ができているのに、右側を歩く人のためにが空けているというのは何とも解せません。・・・名古屋交通局では「右も左も立ち止まって乗るのが正しい乗り方でエスカレーターは走らない、歩かないようにお願いし」ているそうです。関東でも「歩かない」」「2列利用」を促進する措置を講じているところもありますが、なかなか実行されないようです」のコメントを面白く読みました。

――これらもたしかに卓見だろうとは思います。こういう意見の方が(とくに日本やドイツでは)多いかもしれません。


しかし私個人はと言えば、「自然発生的だから面白い」です。
多少の不都合や不便や理屈に合わないところがあっても、そもそも生きているって、そういうことの積み重ねではないだろうかと思う者です。
まさに司馬遼の言うように、「文明は普遍、対して文化は不合理なもの」。

お雛さんだって、東京と京都では違いますよね。京都は変えないでくださいね。


4. 最後に少し脱線しますが、生真面目・勤勉も大事ですが、「文化」には時に「遊び・愉快な・いい加減なもの」があっていいのではないか。
政治の世界にこの論理を持ち出すのは論外と思う人も多いでしょうが、
たとえばいま、民主・維新の両党が合流の話し合いに入ったようですが、大きな戦略(与党への対抗軸をつくる)を共有していれば、個々の政策の違いはお互いに飲み込めないのかなという気がします。やはり細かいことに拘る、真面目で律儀な日本人には無理でしょうかね。

このあたりはアングロ・サクソン流を少し真似てもいいのではないか。
ご承知の通り、英国は6月末にEUに留まるかどうかの国民投票を行いますが、保守党の閣僚の中からもキャメロン首相の意思に反して「離脱」派が多く出てきて彼を悩ませています。
しかしそこがまたいいといえばいいところで、同じ党内でも意見の違いはありうる。
「立国は私なり」と言った福沢にそえば、立国がそうなら政党なんてもっとそうだろう。
大きなところでまとまってさえいれば、個々の政策(それがEUに残留するか否かといった大問題であっても)は違って当然だろう。
それを「党議拘束」と称して、個人の意見を押さえつけるというのはどう見てもおかしいのではないか?
これでは「〜〜組」の固い団結と変わりないではないか?
英米の政党で「党議拘束」なんていう言葉はあまり聞いたことがないように思います。


5. ということで、コメントのすべてに触れる紙数がないままに終わりになりました。