桜が咲く前に司馬遼の『本所深川・神田界隈』を読みながら

1. 東京の桜は明日にも開花宣言とのこと。我が家のは、道路に大きく張り出してあぶないので一昨年、残念ながら枝をほとんど切ってしまいました。それでもほんの少し残った枝につぼみが膨らんできました。

2.前回のブログのコメント有難うございます。平野さんのコメントは、昔勤務した宇治の大学を評価して頂いて、まことに嬉しいです。いつか京都で一献傾けたいものです。
柳居子さん、t-konoさんには、司馬と空襲についてのコメント有難うございます。

たしかにご指摘の通り、「大阪人だから東京を語る資格が無いと考えたのではない」、丸谷才一が対談で「司馬さんは、昭和の戦争は書きませんね」と言っているように別の理由があるはずです。その一端を知るのは、19日の読書会で読んだ『街道をゆく、本所深川散歩・神田界隈』にある彼の以下のような文章から推測することが出来ます。


――「1945年、昭和前期日本という、日本史のなかで異形の国家がほろんだ。
じつにばかな人達が日本を運営してきた。むかしは、ちがったのではないか・・・。昭和初年から20年まで(略)こんな異形な国家はむろん日本的ではない。げんに日本史のどの時代にもない」(朝日文庫新装版355頁)―――
これが俗にいわれる「司馬史観」の核にある考えの1つだろうと思います。


読書会は本書についてのいろいろな感想が出て面白かったです。
18人の出席者のうち下町出身は1人も居らず、その点が残念でしたが、ある女性は大きな江戸古地図を持ってきてホワイトボードに貼って説明してくれて、発表担当である私に大きな応援をしてくれました。
感想のいくつかを披露すると、


(1)司馬の語りの面白さ、声に出して読みたい感じ・
(2)本人がいちばん楽しんで、読者なんか気にせず書きたいことをかいているようだ。
(3)風土性はあまり感じない。例えば山本周五郎の小説などを読む方がはるかに江戸時代の「本所深川」の雰囲気が伝わってくる。


(たしかにこの点を司馬に求めるのはちょっと無理ですね。例えば、山本周五郎の名作「さぶ」など、冒頭の一文から引き込まれます ――――「小雨がもやのようにけぶる夕方、両国橋の西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。双子縞の着物に小倉の細い角帯、色のあせた黒の前掛けをしめ、頭から雨にぬれていた。・・・・・」)

(4)ちょっと物足りない・掘り下げ方が浅い感じがする

(5)それは、「引き出しの多さ」のせいもあるのではないか。とにかく博覧強記で、あちらこちらに話が飛ぶが、大阪人的な大らかな人間性と豊かな知性に由来するのではないか。


2.私はこの中で「引き出しの多さ」は至言だと思い、当日の発表も、これに沿って私の考える“引き出し”あるいは“キーワード”を披露することで本書を要約しました。


例えば、「本所深川散歩」であれば―――「江戸っ子とは」「下町とは」「職人」「江戸時代の土木工事と橋と隅田川

さらに、「武士とは」「明治の文章語(円朝など)・・・・


「神田界隈」であれば―――「江戸時代の上水道工事」「武士と学問」「神田は学びの街・本屋の街」「様々な人物、成島柳北など粋人たち、陸羯南長谷川如是閑正岡子規&律、岩波茂雄・・・」、さらに「明治の悲しみとは?日本の近代化とは?」
などなどです。

司馬史観」という大げさな言い方は私は好きではありませんが、これらの1つ1つに、司馬さんの人間や文化に対する好みが控えめながら表出されていると思います。


3.発表では、以前、坂野潤治という『日本近代史』の著者で東大名誉教授が、
歴史学者の研究論文や著書は、もちろん一次史料を克明に読んで冷静に客観的に判断することが前提であり必須。
しかし同時に、誰でも、歴史上の人物判断についてはどうしても好き嫌いが出てしまう。私であれば、大久保利通は最大現に尊敬するが、好きではない。他方で西郷隆盛は、維新後の言動はあまり評価しないが、大好きであって、どうしても書くものにそれが出てしまう」
と語ったことが面白かったので、紹介しました。


1. 司馬さんが、誰を・何を好きだったか?と考えるのは面白くて、そのあと、本書には登場しないのですが、彼の西南戦争と隆盛について書いた文春文庫全10巻の『翔ぶが如く』に出てくる村田新八についても触れました。


村田新八は1836〜1877、薩摩藩士、西南戦争に参加して戦死。
幼少時から西郷隆盛に兄事し、可愛がられたといいます。戊辰戦争にも参加し、維新後明治政府に出仕し、岩倉欧米視察団の一員になり、大久保が頼りにした逸材でした。
「西郷下野し、鹿児島に帰る」と知り、大好きな西郷を見捨てるわけは行かないと職を辞して自分も帰郷します。大久保はそれを知ってしばし茫然としたと伝えられます。

欧米文明を自分の眼で見てきた彼のことですが、西南戦争がいかに時代錯誤の・意味のない・成算のない戦いであること十分知っていたはずです。しかし、西郷への思いはそれよりも強かった・・・
翔ぶが如く』には、同じく西郷を慕う同僚が「自分たちも一緒に職を辞してともに帰る」と言うのを、
「おいどん一人でよか」とそれを認めず、東京に追い返す場面が出てきます。


明治10年9月24日、城山での西郷の自決を見届けたあと、自らも戦死しました。


もちろん『翔ぶが如く』は『竜馬がゆく』と同じく小説ですから、村田新八が同僚を追い返す場面など、どこまで史実に沿っているのか、司馬の創作なのか私には分かりません。
しかしいかにも、司馬さんはこういう人物が好きだったのだなあと思わせる場面です。