まだ、テレビで見た諏訪大社の御柱祭です

1. 平野さんコメント有難うございます。
ご質問の、サンダースの演説の実況をPC 経由見たのがyoutube.かどうか、はっきり分かりません。多分、そうだと思うのですが、私の情報源はワシントン・ポスト(WP)の電子版です。このサイトを開けると、大統領選の記事があり、そこに勝利演説など
時々刻々実況をクリックできるようになっています。


私の場合、家に居るときはしょっちゅうPCに触っています。
ただし、普段はテレビは殆ど見ませんが、連休は茅野市に滞在してローカルテレビで御柱祭の模様を熱心に見たとは、前回書きました。
その映像がいまだに脳裏に焼き付いていますので、今回はその補足です。

2.まずは、歴史についてにわか勉強の知識ですが、


(1) 諏訪神社の歴史は古く、奈良時代以前にすでに中央に知られていた、諏訪神は、5世紀には中央政権に対して、一代勢力をもっていたと推測される、と本にあります。


(2) 従ってもともとは、土着信仰の場所でその当時は、御柱は土着の神の拠り所(依り代)だったという推測があります。
その後の、大和政権によって以下のように合理化され権威づけられました。


――『古事記』に記述があるもので出雲のオオクニヌシ高天原から降ったニニギに国譲りを承諾したとき、ただ一柱反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなった。結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、その際この地から出ないことを誓って許される。――


(3) その時結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っている由です。

「各柱とも、4本が先端を冠落し(三角錐形)されて、社殿の四隅にそそり立っており、その威容は、あおぎみる参拝の人々の心に一種の神霊を感じさせるという」と、これまた本にあります。


3.次に祭の特徴です。

(1) 御柱(おんばしら)の切り出し、山出し、木落し、川越え、里引き・建立がすべて氏子の奉仕によって行われ、かつ4つのお宮に計16本の柱を建てるので、長い時間と大勢の参加によって行われること。


(2)この中で、山出しでは、茅野市安国寺の御柱屋敷までの御柱街道と呼ばれる約12kmを曳行します。川を越してすぐの「屋敷」に約1か月間安置される。


(3)続いて「里引き」は、柱をお宮の境内まで運ぶ行事だが、「めどてこ(あるいは「めど」漢字では針孔梃子)と呼ばれるV字型の角(つの)のように大きな梃子棒が御柱の前後についている。このめどを左右に揺らすと接地抵抗を軽減でき柱が曳きやすくなる効果がある、これに氏子が乗り指揮を執りながらおんべを振る姿は壮観である」。


これには老若男女を問わず大勢の引手が参加し、彼らが「せーの」と声をかけると、でこの乗り手が「よいしょ」と応じて息を合わせて行進する。

街道から、大鳥居をくぐって境内に入って、さらに急坂を上がって社殿の屋根に「でこ」がぶつからないように傾斜をつけながら柱を運ぶ、ここが最大の難所で「曳行」のハイライトであり、まさに圧巻である。

狭いので「引手」の多くは鳥居の手前で役目を終え、あとは若い・勇ましい氏子たちに委ねられる。

テレビのリポーターが「これこそ、氏子の技と心意気の見せ所です」と興奮して叫びます


(4) 里引きの2日目の「建御柱」は神事のあとに、前日引いてきた御柱を皆で建てる行事。
「祭りのフィナーレといえる。各宮の四方に柱を立てる。この際、御柱の頭を三角錐に切り落とす“冠落し”が施される。そしてワイヤを御柱に巻きつけ、車地という道具を使って巻きあげて御柱を建てていく。御柱に多数の男たちが乗り、にぎやかに盛り上げる。1998年の長野オリンピックの開会式ではこの建御柱を行った。」

当日のテレビの実況では、柱には41人の氏子が乗り、1人1人の名前が披露されました。

名誉なことなのでしょう。


4.(最後に)ということで今回も御柱祭で終わってしまいますが補足すると以下のような感想でしょうか。
(1)氏子たちの奉仕活動、そのための苦労はたいへんなものがあるだろう。悩みもあるだろう。人出不足に悩む地区もあるようだし、職人がこの間働いてもらえないので商売上つらい、という声もあるようだ。
(2)そうかと言って、あまり「観光」化するのでなく、何とか「歴史・風俗」として継承していってほしい。
そして、諏訪地方(もちろん出雲など他にもあるでしょう)の、大和政権成立前の人々とその文化や信仰というのは、もっと皆が知ってもよいのではないか。
(3)他方で、危険をともなう祭であることをどう考えるか。近年では1980年、1986年、1992年、2010年、2016年に死亡事故が起きた。
たまたま数日前に我々老夫婦と会社帰りの40代の長男と3人で、代々木上原蕎麦屋で食事をしました。御柱祭の話をしたところ、
「死人が出たそうじゃない?」と彼に訊かれて、
「毎度のことだよ」
「でも、それって、いくらお祭りでも、ちょっとどうかと思うけど・・・」
という会話をしました。
たしかに、これが普通の感覚でしょう。とすると、そんな危険な「風俗」をどうやって危険を防止しながら、しかも伝統を守りながら続けていけるのかも問われているかもしれません。